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【コラム】ローカルテレビ2.0はいつの日か。その①

久しぶりの更新。今更ですがあけましておめでとうございます。私は元気です。

さて、いよいよ平成も終わり、新たな時代の幕開けですね…と言いたいところですが、これっぽちも時代の変革を体感していないでおなじみのゆとり世代です。

この20年間でインターネットの普及により、新たなビジネスも多少は生まれました。しかしながら、ほとんどが既存のビジネスがベースであり、それをよりコストダウンや時間短縮することができるという程度です。

というか、物心ついた頃には携帯電話も普及していたし、インターネットの娯楽もあるにはあったんですよね(2chや個人サイトが流行ってた時代)


そんなこんなで2019年の今、最も生活に根付く技術革新は何かって考えた場合「通信速度・容量」の劇的な向上だと思います。動画、写真、音楽、HTML、アプリケーション…すべては通信技術が発展したおかげで、多くの人々が利用することができるようになりました。どんなに素晴らしい技術であっても通信することができなければ意味をなさない時代になりつつあります。

つまりは、10年代において技術革新とは「全ての人々が平等に利用することができる」ことを前提としており、ここを念頭においた開発をしなければ、少なくとも通信技術の業界では生き残れないということになります。

なんかポリコレっぽいこというのはあまり好きでは無いんですけど、すべての人々が平等に表現をする機会を与えられるような世界を目指すのであればこれは当然の結果なのかなとも思います。そして、通信機器を開発する日本企業がグローバル市場において競争力が低下することもまた、当然の結果で…


そしてなにより、この時代に一番苦労されているのはおそらくテレビ業界の皆様なのではないでしょうか。


そのむかし、テレビ見てない自慢をする時代がありました。これは、みんなが見ている、テレビコンテンツを利用しない俺かっけー精神に基づくものでしたが、ほんとにテレビ見ない人が多くなってしまったので、そんなことを言う人もいなくなりました。

その代わりに、スマホつかえない自逆風自慢やlineやってない不便な人(俺)とかスマホゲーやらないアピール等は極稀に存在します。


なぜテレビを見なくなってしまったのか。つまらないから?偏向報道または大本営発表に嫌気がさした?ワイプが嫌、芸人がきらい、同じ内容ばかり、CMがうざい?オンデマンド配信のほうが便利?


いろいろ理由はあると思うんですけど、結局一番の理由って「配信サイドが身近ではない」ことだと思うんですよね。

例えば、youtuberの人気チャンネルがありますよね?中には面白いことをしているものもあるんですけど、ほとんどが過去にテレビでやりつくされたネタです。でも、テレビより、youtuberのチャンネルを見る人々はたくさんいます。


これって「youtube」のフィールドが多くの人に開放されていることが一番の理由なんだと思います。


一方で、テレビ配信は、ごく一部の限られた人々にのみ「配信者」としてフィールドに立つことが許されます。


つまり、どこか遠い世界から配信される映像よりも、身近なツールを使って配信された映像のほうが安心できるんですよね。


で、逆に「非日常」を感じたい場合はテレビがすごく楽しいはずです。サッカーをはじめとしたスポーツの国際戦をプロの機材、編集で見るのはまさにテレビの醍醐味であると思います。こればっかりは過去の実績、経験がものをいう世界です。


そして、本来のテレビの価値として「信頼性の高さ」が挙げられるはずです。これはまさに、ごく一部の限られた信頼されるに値する人々が配信を許可されているからです。


にもかかわらず、テレビニュースの報道はインターネットのweb新聞に押されつつあります。

受動的な情報収集よりも、人々は自らが興味のある記事のみを閲覧できるほうが興味深いと気づいてしまったのでしょうか。

これは、決してそれだけが理由ではないと思います。仮に、信頼できるメディアが「信頼できる情報」のみを個人の趣向に応じて配信してくれるのであれば、これは資本力や配信ツールが巨大なテレビというメディアに利があるはずです。

例えば、ビックデータの活用はすべての通信業界にとって必要不可欠です。そして、従来、顧客に関するデータを最も活用できていたのは、他でもないテレビ業界だったはずです。すなわち、視聴率というわかりやすいデータを基にした番組作りが効果的であった時代が存在したのです。


しかしながら、テレビが他のメディアと競合するようになった現代では、顧客一人一人の趣向に応じたサービスを提供する必要がでてきました。視聴率が良いだけでは、潜在顧客へのアプローチには程遠いのです。


これが、テレビの最も難しいところだと思います。一人一人に番組を制作するのは不可能ですし、かといって一つの番組の中に様々な要素をちりばめるのはあまりにもお粗末です。じゃあ放送法を改正し、番組の数を増やせばよいのかというと、そのチャネルは殆どがyoutubeで賄えてしまっており、既存のCSやBS、さらには朝日系列のabemaですら苦戦を強いられているのが現状です。

政治的、または社会的なメッセージをつたえるべく、新たな放送局を持ちたいという場合、法改正で電波を解放せよという論調は少しズレてしまいます。何故ならば現状の与えられているネットツールで主張することが出来るからです。
にもかかわらず、テレビという媒体に拘るのは、テレビ局のスタンスに対抗するために、テレビで応戦したいという以外ないのではないでしょうか。
これは、本来のテレビ放送における、公正、中立であり、最も信頼のできるメディアを努める。という部分から逸れてしまいます。このガイドラインを遵守できているのか?という部分で、テレビ放送が国民により審判を受けるのであって、改善を求めることはあっても、解放を求めるにはメディアとしての役割が少し他と違います。

では、テレビはどうしたら面白いコンテンツに返り咲けるのかというと、キー局と地方局における役割分担をこれまで以上に細かく分けていく必要があるのではないかということで、やっと本題に入れます。


しばらく書いてなかったんで色々ごちゃ混ぜであまり良くない長ったらしい文章になってしまったのですが、勘弁してください...!

つづく

#コラム #テレビ #市原市 #社会 #放送法





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