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透析の歴史

今回はテストなどでも必ず問われる「透析の歴史」について、大まかに書いていきたいと思います。今後の参考にしてもられえればと思います。

まず、透析の原理は1854年にThomas Graham(トーマス・グレアム)らが発見しました。トーマス・グレアムはスコットランドの化学者で、気体の拡散速度が分子量の平方根に逆比例するグレアムの法則などで知られています。

1914年にアメリカのJohn J. Abel により初めて動物を用いて最初の体外循環血液透析が行われました。 セロファンに類似した直径8mm、長さ40cmのコロジオンで作製されたチューブ32分を人工腎臓とし、血液を動脈圧により取り出し循環させました(この際、血液ポンプは未使用)この際の透析液は0.9%の生理食塩水として、抗凝固薬にはヒルの唾液から抽出した、ヒルジンを使用しました。

1923年にGeorg Ganterは初めて腹膜透析を臨床応用したため、”腹膜透析の父”と呼ばれています。

1938年からWillem Kolff回転式ドラム式コイル型ダイアライザ(セルロース系膜)で15名の急性腎不全患者の救命を試み、人工腎臓の臨床応用に至った。
1945年に回転式ドラム式コイル型ダイアライザ(セルロース系膜)を用いて、血液透析で初めて肝腎症候群の急性腎不全患者の救命に成功した。

1948年にSkeggs Leonards平板型ダイアライザ(セルロース系膜)を開発し、臨床応用した。また、Kolffは米国に移住し、OlsonらとともにKolff-Brigham型人工腎臓の作成を行った。

1956年に日本では稲生らは急性腎不全患者に対して透析治療を行い、救命している。

1960年にKillは、汎用性の高い平板型ダイアライザ(セルロース系膜)を開発した。透析膜はセロファンからキュプロファンへと移行していった。
また、QuintonとScribner外シャントを開発し、血液透析の反復実施を可能にした。その後、Killの装置を改良したスタンダード・キール型ダイアライザがScribnerにより発表された。
この頃、Rubinが腹膜透析を慢性腎不全患者の治療に応用した。

1966年にStewartらは、中空糸(Hollow fiber)を1万〜1.5万本を束ねたダイアライザを開発し、臨床応用された。透析膜はCellulose diacetate(セルロースジアセテート)が用いられた。また、Brescia、Cimino内シャントを開発した。

1967年にHendersonらは、血液濾過法を開発した。

1968年に日本で透析医療が診療報酬で算定できるようになった。

1970年にMayらは、グラフト内シャントについての研究成果を報告した。

1985年に下条文武らは、透析患者の手根管症候群の原因物質であるアミロイド蛋白の主成分をβ2ミクログロブリンであると報告。

1991年にBazらは、透析液を清浄化することで手根管症候群の発生頻度を有意に減少させる事ができると報告した。

2010年に診療報酬の改定で「透析液水質確保加算」が新設された。

2012年にOn-line HDFの保険点数が改定された。


今回は大まかな歴史の流れを書きました。世界的な透析メーカーであるフレゼニウスにわかりやすい資料がありましたので、もっと細かく知りたい方はアクセスしてみて下さい。
血液透析療法の歴史
腹膜透析療法の歴史

それでは、今日はこの辺で。



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