日本橋

祖父の思い出

いつかの朝に、もう大昔に亡くなった祖父のタバコの匂いでふと目がさめた。

明治の終わり、日本橋生まれの江戸っ子。
子ども時代に三輪車で怪我をして以来歩けなくなり、20歳まで生きられないと医者に診断され、蝶よ花よと贅沢に育てられた。好物はうなぎ。ところが関東大震災のときに必死に逃げたら、歩けるようになったという嘘かホントか分からない伝説がある。

大学を出て、英語と数学の高校の教師、個人塾をしてた。後年は関係のあった工業系の会社のリクルーター。高校回りをして人材探しをしていた。

江戸っ子らしく、宵越し金は持たないは、浮気は当たり前だわ、年金未納期間あるわ、なかなかの酒豪でもあり、祖母や父、家族は苦労したみたい。怪我した足のせいもあるのかお金がなかったのか、海外に行ったことがあるような話は一度も聞かないけど、西洋かぶれで、お酒のつまみにコンビーフは欠かさなかった。

学があり、江戸っ子らしい洒脱なところがあった(ので、モテたんだろう)。元教師らしく共産党支持で赤旗を読んでた。書斎にはブリタニカ百科事典が一式置いてあり、なんかこう昔のインテリなんだよな。

真面目な性格の私の母は、なんでも一生懸命にやりすぎる所があったのだが、ある日、そんな母を諭すように「遊びの部分を持ちなさい」と言ったそうだ。諸事情あって大学教育を受けられなかった母は、学のある人の余裕のようなものをそこに感じ取ったそうだ。

祖父の書斎においていた壊れたタイプライターや、教室で使ってたアルファベットのハンコは、子どもの頃の私のワクワクするおもちゃだった。英語が本当に好きだったみたいで、手帳の日本語の曜日をわざわざ修正液で消して「Mon」「Tue」などと書き直してた。旅行の記録はマメで、スクラップブックに写真や切符やパンフレットなどを挟んでメモを書いていた。

私が小さい時に駐車場から三輪車で無鉄砲に飛び出したら、杖をついてるのに慌てて追いかけようとしたことがあって、なんかそのシーンは忘れられない。本人、三輪車で同じ年頃に大怪我したからね。私が7つの時に他界しているので、難しい話なんかしたことはないけど、私の2つか3つの誕生日祝いがたまたまテープに取られていて、その時の音源を思い出すと、本当に優しい優しい声で、「おめでとう」と言ってくれている。それだけで孫としては幸せだと思う。