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あかるい正月

8年前の年末のこと、私は地元のハローワークにいた。
その年の春の終わりに軽いうつ病と書かれた診断書を片手に仕事をやめた。
心も体も弱っていた私は、1ヶ月の間は食べる時とお風呂に入る時と心療内科に通院する時以外は布団の中にいた。

心療内科では、毎日家事でできたことに丸をつける表をもらって帰った。
そして「ただ生活する」ということをまず取り戻した。
病院に通い始める前日までも当たり前のようにやっていたはずの、洗い物をするとか洗濯を干すとか、ささやかな生活動作すら、疲れすぎていた自分には本当はしんどくなっていたことに初めて気がついた。

加えて、先生は「プールで泳ぐことが回復につながるよ」とのアドバイスをくれた。
根拠はわからなかったが、昔から泳ぐこと、水の中にいることは好きだったから素直に従うことにした。
梅雨時の蒸し暑い最中で、最寄りの徒歩7分のバス停にたどり着くまでに息切れして、休み休み向かう。
「バス停まで半分まで歩いた、えらい」「バス停まで行けただけで今日はえらい」「さらにバスに乗ったぞ、えらい」「プールに入るのに着替たぞ、えらい」
と小さく分解した工程を大いに褒め称えながら、週1回を目標にプールに通った。
体力が持たずプールに行けない日があっても「出来ない自分を責めること」をやらないと決めた。
初めはプールに入っても5分でぐったりしていたが、
週1回が週2回になっていき、泳ぐ時間が10分から30分になった。
日々休むことと回復することに全力で取り組んでいたら、だんだんと元気になっていった。

その次に取り組んだのは、必死の思いで遊ぶことだった。
「必死に遊ぶ」というと言葉が矛盾しているが、「これは間違っている」と分かっていても病になるまで自分をいじめることに進んでいってしまった道の途中で、「楽しく遊ぶ」ことを「してはいけないこと」と思い込んでいたことに愕然とした。

必死に遊んでいたら、だんだん普通の楽しい遊びになっていった。
そうしたら、これはもう大丈夫だぞ、という兆しが見えたので、秋からハローワークに行き転職活動を始めた。

ハローワークには、3ヶ月の短期で就職を決めたい30代前半までの人向けに、転職相談のメンターに伴奏してもらえるコースがあった。
海外の商社勤務経験があった方が担当になってくれて、留学したことのある私のアメリカでの話を楽しそうにいろいろ聞いてくれ、いつも「とにかく動いて風を起こしなさい」と励ましてくれた。

伴奏3ヶ月目になり、私が内定が2つ決まったのに断ったことを報告すると「他の人は面接に進んだり内定をとることすら難しいのに、何やってるの?」と言いながらも笑って受け止めてくれ、「他の人はなかなか見つからない中、そうやって内定を取れることは、すごいことだからね。ご縁が合わなかっただけ。これからも風を起こし続けなさい」と励ましてくれた。

伴奏プランの3ヶ月の間、年内に新しい仕事を決めたかったので私は落ち込みまくっていたが、最後のメンターとの面談の前に、ハローワークの求人端末PCを叩いて気になる求人をピックアップしていた。

すると、私の隣の隣のパソコンで求人端末を打つ、一人の60代後半程にみえるおじさんがいた。しかもかなり大声で「なんだよお、これ。使えないじゃないか」「わっかんねーな」と愚痴っていた。周囲の人は「ちょっと変な人がいるなあ」と煙たそうに見ていた。

年末の窓口は混んでいて、職員で助けに入る人もいなそうだった。気になってみにいくと、半角と全角の間違いかなにかで、うまく数字が入力できずにいただけだったので直してあげた。すると「お、できた〜!お姉ちゃん、ありがとうな!」とたいそう喜んでくれた。

その後、メンターさんとの面談を終え、ハローワークの建物から出るところで、そのおじさんもちょうど出るところだった。確か私から「おつかれさまです」と話しかけた気がする。

聞けばおじさんは、他の県から仲間を頼って私のまちに最近引っ越してきたとのことだった。どうやら家族もいないし、今まで転々としてきたようだ。

信号のところで道を別れることになり、おじさんは
「お互いあかるい正月を迎えような!」と言って去っていった。


「あかるい正月」

なんて言葉だろう。

年末のCMでしか聞いたことないワードが現実の人の口から出てきて、私はびっくりした。

あかるい正月。

しばらくは寝込むくらい疲れていた年。
いつのまにか崖っぷちを選び、その歩く崖の道がどんどん狭くなり、
もうこんなところを歩けない!と心身がストップをかけて、
思い切って崖から飛び降りるつもりで仕事をやめてみたら、
その崖の高さは15センチしかなかったとわかって拍子抜けした年。
必死な思いで遊んで元気になっていき、
ただの自分でいられる新しい生き方を模索しはじめた年。
新しい道に進みたい自分にとってしっくりとこない直感から内定を断り、
そのくせ、仕事につくチャンスを逃したと不安で落ち込んでいた年末。

すごく響く言葉だった。

そうだ、なにはともあれ、
あかるい正月を迎えよう。

そうはいっても、おじさんと私は置かれている立場がだいぶ違った。
私は病気になっても養ってくれて見守ってくれている家族がいて、生活面では切迫してなかったし、
自分の経歴が評価され得ること、早く決めようと思えば、新しい仕事がもう見つかっていたかもしれなかった。
私はいろんな面で保証があり恵まれている環境だった。
正直言って、おじさんは、PCに向かって大声出して白い目で見られちゃうような「変な」人で、高齢で、
仕事を見つけることは私よりずっと難しいのかもしれないと思った。

ちょっとしたPC操作を教えただけなのに喜んでくれて、
同じハローワークに来て仕事を探している同士という感覚で、
最後に「あかるい正月を迎えよう」という挨拶をしてくれた。
半分は自分に言い聞かせるように。

おじさんがこれまで世の中で様々な体験を
一生懸命にまっすぐ受け止めて生きていたことを表した言葉に思えた。

19歳の時にみたドキュメンタリー。
福祉の窓口でうまく救済されず絶望し、お正月の後に自殺した女性のこと。
友人とささやかな正月祝いを迎えて、頑張ろうと決意していた彼女だったのに、新しい年をあかるいものとして思い描けなかった。

「あかるい正月」を迎えたいと願いながら、
迎えられないかもしれない人が、世の中にはたくさんいる。

「あかるい正月」を押し付けるような番組やコマーシャルやニュースがメディアから流れ、自分の状況とギャップを感じ、孤立を深めてしまう年末年始のまちはひどく怖い。

それでも、どうか誰もが「あかるい正月」を迎えられますように。

ずっとずっと心に残っている、おじさんの励まし。
それは、昔からの私の願いでもあった。

「あかるい正月」

私と出会った名もなき誰かが、
今日を少しでも明るく感じられる事がしたい。

それが「もう一つの椅子」という私の個人活動でしたいこと。
来年、2022年から本格的に取り組む、私という存在で届ける「仕事」にもなるのだと思う。