春休み

大好きなうさぴーへ

最近梅雨よりも雨が降っている気がします。天気予報に書いてあることと実際の天気を照らし合わせるのを繰り返すことで2つの相関関係を予想する精度が上がってきました。AIのパターン学習ってこういうことかなと思って、それが逆の発想なのかどうかわからなくなります。あんまり書くことはないけれど書きたいので、久しぶりに文したためをいたします。

ちょっと前からおもしろいと思い始めた人間の分類に、先に絵で思考するか言葉で考えるかというものがあります。数か月前からハマっているYouTubeのラジオのパーソナリティの2人がそれぞれこの2つに当てはまるんじゃないかというコメントが印象に残っているのです。周りの人たちをこのフィルターで認識して遊んだりしていたのですが、最近またよくわからなくなりました。何のひねりもなく、ただ絵から言葉に変換するスピードと滑らかさの問題なんじゃないか、と。この分類についてそのうち書こうと思っていて、見失ってからやっと書く気になるなんて私らしいです。

自分はどちらだろうと思った時にまず、わからないのです。わからないなりに考えてみます。一旦絵主体とすると、私はそれを言葉に変換する時間を楽しんでいるような節があります。そして例えば記憶は間違いなく映像として残っています。擬音語擬態語が多いのも、ごくたまに他の言語が先行して口をつくのも、その証拠でしょうか。でも一方で、言葉だけが残っていることももちろんあるのです。あ、早速自己矛盾しますが、単独の言葉はいつも「残って」いるのであって、あとから思い起こすものであって、発想するものではないのかもしれません、案外単純なこと。気に入った言葉とか言い回しはそのまま状況ごと覚えてしまって、似た風景や言葉、感情なんかに刺激されて引っ張られて出てくる。だから、言葉が先にあって絵が広がるようにも見えるのかもしれません。

そう考えると、例のラジオの2人では言葉先行っぽい人の方が私は好きなのも、自分にないものに惹かれる人間の性なんでしょうか。これに関しては逆なら親和性とかなんとか説明がつくので、好きに解釈する方が人間の性でしょうか。とにかくその人は、少なくとも私よりはずっと言葉が直接出てきている感じがして、そのふわふわした鋭さが心地よいのです。あるいは分類なんて大層なことではなくて連続した数直線みたいな感じかもしれないけれど、ちょっと思考が進んで満足したのでここまで。のんびり過ごしている春休みがそのまま見えそうです。

ずっと前に募って勧めてもらった本を本当にゆっくり順番に読んでいて、透明度40%くらいでその人が背景に映りながら読むこともあって全部おもしろくて、やっぱり人間は勝手にでもいいから大事にしようと思いました。

2024.02.25

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