ねぎの話

大好きなうさぴーへ

数日前に、自炊をするぞという久々の気概を携えてスーパーに行ったらねぎがとっても安かったという主婦ぶったせりふをひとつ。この前クラスの子と女子会をした時に一晩で20回くらい激推しされた春キャベツを買おうと思っていたのですが、普段なかなか手が出ない白ねぎがよすぎて、どっちも買いました。奮発して。春の味覚は難しいですね。冬の料理からひとっとびに夏野菜へゆく気がします。その日はすき煮をつくりました。冬は白菜のところを春キャベツ(と信じていますがあるいは普通のキャベツだったかも)にして、新玉ねぎも使って。ねぎが甘くて本当においしかった、まだ残っていますが。

スーパーでゆりねがちらと見えて、家を出る年の春に母が「ゆりねを食べたことないってのもね」とわざわざ料理してくれたのを思い出しました。味はほとんど覚えていないのだけれど、その声はまあ鮮やかなこと。ねぎにもこういう記憶はあって、父方の祖父母のうちに初めて行った時、当時5つくらいだった私がねぎを喜んで食べるのでたいそう褒められた覚えがあります。あとから何度も、祖母は「ねぎも食べてくれるし」「育て方がよかったのね」というようなことを言って偏食のないのを褒めてくれました。そんなことで祖母の、母と私の第一印象が良くなったようなのですからおもしろい。わさびはまだ食べられないのだけど、ねぎはずっと好きで、ラッキーだったかも。そして父や叔父が子供の時にねぎが嫌いだったおかげです。それから、これも小さい時に風邪を引いて、父か誰かがねぎを首に巻くといいらしい、と言い出して、あたためたねぎを首に巻いて寝たことがあります。あとから家族の誰かがそれを迷信と言っているのを聞いたし、ねぎはちっとも素直に曲がらずにほとんど首に触れていなかったし、その後二度とそんなことはしなかったけれど、なんだか妙に鮮明な記憶なわけです。ねぎは風邪にいいといって風邪の日に母がよく味噌汁に入れてくれたのは、迷信ではないはず。私はくたくたのねぎが甘くて好きなのですが、家族で鍋をする時はくたくたになるまで待っていようとすると取られてなくなってしまって、おいしさ待ちと争奪戦とのギリギリの妥協点で箸をのばしていたこととかも。

その日はトイレットペーパーも買いました。自転車のカゴからふたつが飛び出ているのを見て、妙だけれど強い共通点だな、と思いました。ふたりともどうしたって飛び出てしまう否応なさと、他にこの共通点をもつものが少ないという点で強い。そう思ったら、このふたつは形状も似ているな、と思い至りました。層状で、円柱形ですから。これも強いと思います。ねぎと玉ねぎの共通点は、層状の野菜で、生でちょっと辛くて火が通ると甘いというだけで、トイレットペーパーとねぎの結びつきと比較してしまうといまいち弱いんじゃないかと思ってしまいます。ひとつ違うのは、層同士がひとつながりかそうでないか、ということでしょう。もしトイレットペーパーがねぎのようだったら、トイレットペーパーの消費量はどれくらい増えるでしょうか。もしそうなっても、あのトイレットペーパーを切る部分に半端な分を律儀に挟んでおくくらいの心の余裕をもっておきたいものです。各層の始めにイライラしないくらいの余裕を。逆にねぎがトイレットペーパーのようになっても、さしたる不便はないかもしれません。したがって、ねぎ型よりトイレットペーパー型の方が利便性の点では優れている。ふざけた結論が出てきました。

2023/03/25 土曜日

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