0405金

大好きなうさぴーへ

今日でほとんど、春休みが終わります。月曜日からはしばらく、午前は座学、午後は学生実験の日々が始まりそうです。適当に音楽を流しながら日記を書くなんてできるかしら。できるといいな。見返すと、今年に入ってからはなんだかんだで平均すると3,4日に1回くらいは書けていますね。

最近担当馬ちゃんがめっぽうかわいくて、おとといは彼女に乗って海の上を飛ぶ夢をみました。降りたら彼女が疲れてしまって気づいたら目線より下に背中があって、なぜか蹄からだんだん溶けていました。とっさにバケツに汲んだ水をかけたら少し回復して、そのあと急いでペレット状の栄養のあるご飯をあげたら今度は人間の姿で、スプーンでお上品に食べていました。謎だらけだけれど元気になったみたいで良かった。少し会話もしていました。動物と話したいね。『動物と話せる少女リリアーネ』がすごく好きで発売日に買いに行ったりしていたけれど、まだ新しいのが出ているのかな。あの本が翻訳だと気づいた時の、翻訳者ってすごい!という感覚が忘れられません。リリアーネみたいに話せなくてもいいけれど、敵意がないことが伝わればいいなと思います。ふと手を伸ばすだけでものすごく警戒されたりするので。人の緊張と弛緩に敏感というのでゆるゆるの気持ちで近づくのですが。群れで生きる動物としてパーソナルスペースを侵害されると相手をリーダーと認めるみたいなことを聞いたのですが、認めたくないのかな、それとも単にブラシが嫌いなのかな。怒って噛む真似はするけれど噛むことは稀で、あっても間違えて当たってしまったくらいで全然痛くないのですが、叱ろうとするとすっと引いて身を硬くしているのでかわいくなってしまいます。

でも私からしたら楽しくてたまらないこの触れ合いも、馬にとって何が楽しくて何がストレスなのか本当には知り得ないのです。自分たちが乗るために馬を飼うということに対しての後ろめたさのようなものがずっとあります。人間が介入しなければ自由に草原を駆け回っていただろうに、競馬というギャンブルのために、弾丸のようにひたすらに速く駆けるように作られて、ほとんどは子供も残せないようにされて、サラブレッドの脆くなった爪では野生ではひとたまりもないでしょう。未来の競走馬としての仔馬が生まれ育つ牧場が「生産牧場」と呼ばれていることを知ったときは、ひんやりとした気持ちになりました。

馬だけでなく、生物が好きでもっと知りたいと思って生物系に進んだのに、生物で実験をするということはたくさんのいらぬ殺戮をするということです。遺伝子編集なんてその最たる例です。この間も卵をいっぱいに抱えた線虫のお腹に遺伝子編集のための薬剤を打ち込みながら、うまく遺伝子が変わったと思われる個体を選んでDNAを抽出するためにたんぱく質を溶かす薬に浮かべながら、それをぼんやり考えていたところで、救いのような言葉に出会いました。植物の本の中で「植物を利用するのは、その性質に敬意を表すことである」、と。久しぶりに、電撃に打たれたようでした。よく考えたらこれだって所詮人間の自己満足の口実です。それでも、ひとまず自分で少し納得できたような気がします。生き物が持つ有用な性質に感謝して、尊敬しながら利用する。なんとなく、生きるために命を食べることに似ています。実験前にいただきますとか言おうかな。玉ねぎの皮を剥こうとして、あきらめて一枚多く剥くのとも。少なくとも、たとえ生き物を利用する罪は拭われないとしても、それがせめてもの償いにはなりませんか。

馬について完全に同じようには考えられないかもしれませんが、とりあえず引退競走馬に乗ることについては、サラブレッドとして人間のもとに生まれてきた大事な命を精一杯愛そうと思うことにしています。もし野生のままだったら、臆病な馬は人間に頭をこすりつけてくることもないでしょうし、鞍をつけることも、ましてや乗って一緒に走ることなんてとてもできないのでしょう。長い年月の中で従順な種が生まれて、調教してくれた人がいて、馬と人間が一瞬でも仲良くできることに感謝しよう、と。そしてもちろん、生まれてきた競走馬に対して、あなたたちはゆがめられた種なのだからといって遠ざけるのは間違っています。競馬という産業を心から応援する気になれないのには変わりありませんが、競馬が続く限りある意味その受け皿として乗馬がある言い訳にはなるんじゃないかと消極的にだけれど感謝しています。サラブレッドだけでなく乗用種とかもいるので全然言い訳できていませんけれどね。いろいろ理屈をこねくりまわしたけれど、普段は結局目の前の馬がかわいくて、すでに眩んだ目にはみんな霞んでしまいます。

2024.04.05

P.S. ずいぶん前から思っていたことをなぜ今書こうと思ったか、多分今日薬用植物園に行ったからです。植物を薬学部的に見る説明は生活に近くてとてもおもしろかったけれど、徹底的に人間視点でした。私が医学や薬学ではなく生命科学に魅力を感じたのはこういうことだったのかもしれません。


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