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【感想文】「朗読とおしゃべりの会」に参加してきました

今日は私が年末から楽しみにしていた
とある企画の当日を迎えました。

今回はnoteのクリエイターさん2人によるコラボで、

①Mapleさん「Yuki in the Snow」(出版記念朗読)
②エイミーさん(創作文の朗読)
③おしゃべりタイム

こんなワクワクの詰まった、スペシャルな企画に
参加させていただけることになりました。
(そして何と、参加費無料…!)


遂に…!
あの、エイミーさんに、会える……!!!


私ね、エイミー愛が止まらないんです。
noteで繋がっただけの
顔も知らないクリエイターさん。
だけど、人を惹きつける何かがあるヒト。

過去の記事でも散々エイミー愛を綴ってきました。

今年はクンダリーニヨガのオンラインレッスンに
参加させていただきたいな…
憧れのエイミーさんに是非お会いしたい…と
思っていた中で届いた「朗読会」のお知らせ。

「このイベントは、
Mapleやエイミーにあったことの無い人を
対象としてます」
という参加要件、
私、満たしてるよ…!

これまで縁のなかったZoomも
つい最近Twitterで繋がった友人のおかげで
デビューを果たしたばかりだった。

朗読も、大好きなジャンルで。

多少の迷いはあったけれど、
これだけ条件が揃ったんだから。

間違いなく、私が書き続けている
「風の時代」の推進力になる。
新年一発目、エイミーさんに会って元気を貰おう。
そんな思いで、参加を申し込みました。


* * * * *

Mapleさんはあしたパスタさんの
朗読コラボ企画を通じて、
最近フォローさせていただいたばかりの
クリエイターさん。

この親子の朗読がとにかく素敵で…
Mapleさんのキリっとしたお声も素敵だし、
お子さんの朗読は聞いてたら
涙が止まらなくなっちゃって。

Twitter上の友人にも「聴いてみて―!」と
オススメさせていただいた記事。
やはりMapleさんも、
私がお会いできるのを楽しみにしていた方でした。

エイミーさんから
「朗読の際には好きな飲み物をご用意ください」と
言われたので、Mapleさんの企画だ💗と思い、
今回はホットメープルを片手に
参加させていただいたのでした…🍯✨


* * * * *

午前11時。ドキドキしながらパソコンを開き。
皆さんと、対面を、果たす――。

あ…、居た。
私の太陽神、エイミーさんが、画面越しに。

キュッと、胸が詰まった。

12月下旬。
私が穏やかでない記事を投稿したことがあった。
その後、詩の朗読コラボに参加した際、
私の半身を映した動画に対して
エイミーさんはこんなコメントを寄せてくれていた。


Chakiさん、今日、いるということ。
Chakiさんが動画で
「存在」を感じさせてくれたことを、
私、「ああ、よかった」って思いました。
日差しの中河川敷にいて
「マシマロ会議」を声に出してる
Chakiさんの存在を感じて、よかったなって。


だから今回、
エイミーさんと「顔を合わせる」ことは
改めて私の存在を伝える、
そんな意味も込めていました。

ここにいるよ、ということ。
エイミーさんに会えて
私はこんなにも嬉しい、ということ。

ありったけの想いを込めて
満面の笑みで、
画面越しにブンブンと両手を振った。

今回はエイミーさん、
Mapleさんを含めて7人での朗読会。
初めましての方ばかりだったけれど
皆さんnoteを通じて繋がっている
クリエイターさん達なのか…と思うと
感慨深いものがあって。

初対面同士ながらも
温かみに溢れた空間が、
そこには広がっていた。

一人ひとり登場する度に
「初めて顔を見るのに、再会した気分!」と
大喜びされるエイミーさんの笑顔が
きらきらと眩しかった。


* * * * *

朗読会はMapleさんの絵本朗読から始まった。
披露してくださったのが、コチラの絵本。

この作品は、アメリカ南部在住のMapleさんが
アメリカの人たちに
日本という国を知ってもらうために書かれたお話。

Mapleさんの言葉をお借りする。
子どもたちは無意識のうちに、
いいものも悪いものも全部吸収していく。
この時期に与えられたものが血となり肉となっていく。


「差別はいけない」と
頭で考える前の大切な時期のギフトとして。
アメリカの子どもたちに
日本文化に、そして人種の多様性に触れてもらう。
――そんな願いの込められた、作品。


* * * * *

Mapleさんの朗読は、すべて英語で披露された。
お母さんの台詞を読み上げる時のやわらかさと
子どもの台詞を読み上げる時の純粋さが入れ混じる。

英語のフレーズたちは
私の耳に心地好く響いた。

Roll, roll, roll and roll, roll, roll.
(ゴロ ゴロ ゴロ ゴロ ゴロ ゴロ ゴロ)

ここはわたしが特別気に入った部分。
きっと私が子どもなら、
お母さんと一緒に繰り返し音読するところ。
「もう一回読んで!」そうおねだりする、
幼き日の自分が見えた。

Yukiという名前の少女が
snowは日本語で
「雪(Yuki)」だと学ぶシーンが印象的で。

朗読を聴きながら、
私は名前に纏わる思考を手繰り寄せていた。


* * * * *

自分の名前を見つけること。
自分の名前を見つけてもらうこと。

最近の私の中の、ひとつの通過点だった。

Twitterもnoteもずっと
「Chaki」の名前で貫いていて
言わば第二人格のような感覚でいる。

この「Chaki」というユーザー名は、
私の独特の思考で生み出したものだった。

小学生の頃、中高時代、大学時代。
社会人になってから。あるいは家庭で。
これまで様々な場面で
色んなあだ名、呼び名をつけてもらった。

オンライン上では
自分で自分に名前を付けることができる。
私は今までどの場面でも呼ばれたことがない名前を
名乗りたかった。

私の本名に近いけど、
本名とは非なるもの。

みんなに愛着を持って
呼んでもらえそうなもの。

ここで出会った人たちにのみ
呼んでもらえる、そんな呼び名。

それが「Chaki」という
今の名前に込めた思い。


一方でうんと距離が近づいた相手、
これから深く仲良くなりたい相手には
本名を知ってもらいたいという思いが
ムクムクと芽生えてくる。

本名を伝えることで、
今度は私の第一人格に
グッと近くなる感触がある。

本当の名前を伝える/知ることは、
相手と繋がるひとつのツールだ。
知ってほしい。だから、伝える。
そんな場面も、時々ある。


意見交換会の中で出た意見に
目から鱗が落ちた。
「私の名前は
外国だと色んな意味になるマジックワードだ」、と。

最初に名付け親から与えられた意味から
どんどん派生して、
意味が膨らんでいく。

そういったことも
生じるのかもしれない。

派生して、意味が膨らんでいく―。

この話を聞きながら、
まだアルファベットのChakiを名乗っていた頃に
「Chakiちゃんは
コーヒーや紅茶に詳しいから茶鬼だね!」と
言われたエピソードを思い出して
クスッとしていた。

アルファベットだと
周囲が読みにくい場合もあるようだったので、
漢字で「茶樹」の文字を当てはめて
今に至るのだが、
これは姓名判断に基づいて
画数のいい漢字を選んだものだ。

私の変な几帳面さ&凝り性が
遺憾なく発揮された部分でもある。

「名前は文化を超えて多層的になる」
その言葉に、深く頷いた。


* * * * *

ちなみに「意見交換会」という場面において、
当初は少し尻込みしてしまったのも正直な感想だ。

周りの参加者は一見すると私より年上の方達で
ましてやnoteで表現されるクリエイターさん達。

私の浅学さが露わになる――、
そう感じて、エイミーさんの
「それじゃあ感想を言いたい人から手を挙げて!」の
言葉にはしばらく反応できずにいた。

浅はかな私。
自分を貶める感情が頭を持ち上げる。

しかしその感情は
よいしょ、と昔の光景を連れてきた。

大学での私。そして就職してからの私。
意見交換がある度に
「立派なこと」を言わなきゃと萎縮していたけれど、
もう何も出てこない…、と行き詰まって
頭の中にある卑近な話を吐露した時こそ、
周囲がリアクションを示してくれたのだった。

その時のことを、ふと思い出した。

ひよっこではあるものの、
私もクリエイターの端くれだ。

背伸びをせずに、
私の等身大の目線で話すこと。

それが今できる全てだと思った。



Mapleさんの朗読を聴いて
子どもの頃、母親に
絵本の読み聞かせをしてもらったのを思い出したこと。

英語での読み聞かせは初めての体験だったけど
「Roll, roll, roll...」のシーンは聞いていて
思わず楽しくなったこと。

きっとこの音の響きの楽しさは、
英語を知らない日本の子どもたちにも
伝わるであろうこと。

名前について、
最近わたしも思うことがあったこと。
「本当の名前を知ってもらう」ことの意味。

こんな取りとめのない感想を、
皆さんは温かく聞き入れてくれた。

終盤でMapleさんから
「Roll, roll, roll...」の部分は
音の響きを意識して書いたのだと、
気付いたことへの
お礼を伝えていただけて、胸が熱くなった。


* * * * *

続く第二部は、
エイミーさんによる創作文の朗読会。
「こぼれる」という作品をご披露いただいた。

identity、社会的役割、
女性としての痛み、自己受容。

エイミーさんが話す背景に、
またもや皆さんが頷く。


エイミーさんの深い声で
読み上げられる小説の言葉たち。

朗読の合間にふと画面を見やると、
同じタイミングで頷く
参加者の皆さんの姿が見えた。

ああ、これが朗読会か、と気付いた。
ひとりで本を読んでいるのとは明らかに違った。

エイミーさんの朗読を
同じタイミングで聴くことによって、
どの場面に人が共感するのか
垣間見ることができた。

同じ部分で胸を打たれていることが
画面越しに伝わってくる。
そんな臨場感が生まれた。


* * * * *

偶然にも、会の参加者は女性ばかりだったので
ここでの感想は私の中にある
「日本人女性が課される責務」について溢した。

分かるわかる、という風に頷いてくださる
皆さんを見ていた、その時。

不思議な感覚が走った。

他の方の感想の中で
「noteで文章を書くことは自分を癒し、他者を癒すこと」
「noteに書くことで自分の過去を消化できた」という
お話が出てきて、この言葉にもまた
深く共感させていただいたのだけど――

この空間で皆さんの前で話すこともまた、
私にとってはnoteに書き出すのと同様に
「癒し」に繋がっていた――。

Mapleさんやエイミーさんに惹かれて
出会った方々の織り成す空間で、
誰かの話を聞くこと。
そして私の話を聞いてもらうこと。

言葉や思考が連鎖し、交錯するこの場所は
ヒーリングセッションの場、だった。


* * * * *

最後の感想を述べ合う時間になった。

「何でもいいから話したいことを言って~、
もう、ここからは気楽にね!」
朗らかにエイミーさんが告げる。

何を話そうか、まとまらない中で。
私がnoteを始めた理由をポツポツと話した。

スピリチュアルに長けた方から、
私がライトワーカー、メッセンジャーとして
文章を書く人だと教えられたこと。

書く方向は定まっていないけど、
とりあえず何でも書いてみること。

何気なく書いた文章が、
予期せず誰かの胸に届く瞬間がある。
だから「何でも書いてみる」ということ。

私の言葉を必要としている人の元に
届くように書く、ということ。

そして、言う予定になかったことも、話した。
初対面の人が大勢いる前で
話すようなことではなかったかもしれない。
でも、この空間にいる皆さんと、
この瞬間、繋がり合えた気がして。

Mapleさん(ん?エイミーさんだったっけ?)の
「風の時代。会いたい人と会えるようになった」の言葉に、
ふわりと気持ちが乗せられた部分もあった。
noteで人の内面と繋がる。
この言葉に深く深く共感して、それで思わず。


話した途端、エイミーさんが顔を綻ばせてくれた。


あぁ。私はこの顔が見たかったの…!

だからこの場で話した。
皆さんにも、このエイミーさんの笑顔を
一緒に見てほしかったんだ
、と、
言葉にした後で気づいた。

何を話したかは、ここには記しません。
参加した皆さんが私の記事を読んで
クスクスッとしてくれれば、それでいい。

居合わせた皆さんとエイミーの奇跡を
共有させていただいたことに、胸がホカホカした。


愛しいエイミーの魔法にかけられて、
私のこの1年が動いていく。

またnoteで。
そして願わくばエイミーさんのオンラインレッスンで。
これからもどうか、私と出会ってくださいね。

最後にMapleさん、エイミーさん、
素敵な企画をありがとうございました!

≪最後の最後に≫
皆さんからは出遅れましたが
Mapleさんの絵本を先程、
Amazonで購入させていただきました!

週明けには届くかな。
早く実物を手に取って読みたい!!
今からワクワクしています。

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