虐待の疑いがあるとして、警察が児童相談所に通告した十八歳未満の子どもが昨年十万人を超えた。五年間で約二倍増。民法で定める親権が、虐待から子どもを救い出す際の妨げになっているという指摘もある。親や社会は、子どもの権利とどう向き合うべきなのだろうか。
<子どもの権利条約> 18歳未満の子どもに成人と同じように基本的人権を保障するため、成長の過程で必要な▽命を守られて生きる▽教育を受けて育ち友達と遊ぶ▽暴力から守られる▽自分に関係あることに自由に意見が言える−などの権利を定めた条約。1989年に国連で採択され、190を超える国や地域で締結。各国政府には子どもの権利を実現するための国内法の整備が求められる。日本は94年に批准。
◆子の権利保障 不十分 早稲田大法学学術院教授・棚村政行さん
日本の法律や政策は、子どもを権利の主体ではなく、大人の保護の対象として位置づけていると感じます。例えば、児童手当や児童扶養手当は子どもに直接支払われるのではなく、親に支給されます。親にお金を配れば子どもにも届くだろうという発想です。子ども自身が権利を持ち、独立した人格として尊重されるというよりも、大人を通して守られる存在、大人の付属品のように考えられているのではないでしょうか。
日本も批准している「子どもの権利条約」では、子どもの主体的な権利性や独立した人格を持つことが強調され、これに沿って先進国は法律も見直してきました。しかし、日本には「子どもの権利基本法」のような包括的な法律がなく、子どもの権利の保障は不十分です。個別の分野を見ても、体罰を禁止する規定が十分でないとか、民法に親の懲戒権が残っているなどの課題があります。
子どもを従属的にとらえる考え方は、親子の一体感とも関係しています。日本は文化的に親子の結び付きが強い国です。子どもを道連れにした無理心中などは海外では考えられないことです。親子の仲が良いことは悪いことではありませんが、健全な緊張関係は子どもの自立のためにも必要です。
最近では、新型コロナウイルスの感染拡大が子どもに与える影響を心配しています。在宅勤務の増加や失業といった親のストレスが児童虐待という形で子どもに向かっています。オンラインで学習する機会が増え、家庭の経済格差がパソコンを持てるかどうかといった教育格差につながっています。
日本は自己責任論が強く、貧困は家庭の問題とみられがちです。しかし、必要であれば、国や社会が介入して弱い立場にある子どもを守る姿勢を示すことも重要です。
子どもにとって親の離婚は人生の一大事です。日本は、離婚後は父母の一方が親権を持つ単独親権ですが、父母の双方が親権を持つ共同親権の是非を巡る議論が法務省で始まりました。離婚後に父母が子どもを巡って綱引きをする場面が多く見られます。大人の主張だけが前面に出て、子どもの声がかき消されているのです。子どもにとって何が最善かということを中心に置きながら議論する必要があると考えています。 (聞き手・木谷孝洋)
<たなむら・まさゆき> 1953年、新潟県生まれ。早稲田大大学院法学研究科博士課程修了。弁護士。日本家族<社会と法>学会理事長や法制審議会委員など歴任。著書に『子どもと法』など。
◆懲戒権 早急に廃止を 文京学院大教授・甲斐田万智子さん
日本では、親権が子どもに対する親の指導・しつけの権利という誤解が広まったままになっています。そのような誤解が、虐待の正当化につながるリスクを生み出しています。この誤解を解消するためにも懲戒権は一刻も早くなくすべきです。
親権とは本来、家庭における養育に対して、国家や社会は不合理に介入・干渉すべきではないとするものです。娘がある年齢に達したら結婚させねばならないと地域社会が圧力をかけたり、国家が難民や移民の子どもを親から引き離したりすることに対し、子どもを学校に通わせたい、一緒に暮らして育てたいという親の意思を守るものなのです。
誤解が消えないのは、一九八九年に国連で採択された「子どもの権利条約」の考え方がほとんど浸透していないためです。この条約は「子ども観」を百八十度変えました。子どもは未熟で導かなければならないという考えから、子どもは権利の主体であり、一人の人間としてその人格が尊重されなければならないという考えに。
では条約で親権はどう規定されているか。第五条で父母などに自分の子どもの権利が守られるよう、権利があることを子どもに伝え、その権利を使えるように手助けをする責任、権利、義務があるとしています。親権は何よりもまず責任であることを心にとどめておきたい。
共同親権に関する議論についてですが、私は、離婚あるいは別居している親に希望する子どもが会えるようにすることは大事だと思います。また、これからは同性パートナーの家族や多国籍・多文化家庭などもますます増えていくので、個々のケースで子どもの最善の利益を最優先することが大切でしょう。
日本が子どもの権利条約を批准してから二十七年になりますが、政府は条約の内容を広報する義務をきちんと果たしてきませんでした。教師が子どもの権利を教えるカリキュラムも存在せず、子どもは自らの権利を学ぶことができていません。
子どもの権利を知ることで、親と子の関係も変わり、子どもの意思が尊重されるようになる。子どもと大人は、力関係において非対称ですが、人間的には対等。子どもを支配する存在としてではなく、よりよい社会を共につくり、地球的課題を共に解決する仲間と考えるべきでしょう。 (聞き手・大森雅弥)
<かいだ・まちこ> 1960年、長崎県生まれ。認定NPO法人国際子ども権利センター(シーライツ)代表理事。編著書に『世界中の子どもの権利をまもる30の方法』(合同出版)など。
◆幸せ祈り映画つくる 映画監督・成島出さん
アイルランド系の米国人の映画編集者と仕事をした際に、イタリア系の奥さんと韓国人の養子という全く容姿の異なる三人がとても仲良さそうにしているのに感動しました。家族は血のつながりだけではないという思いが映画「草原の椅子」(二〇一三年公開)につながりました。
子どもを誘拐する「八日目の蝉(せみ)」(一一年公開)とは逆に、赤の他人の子どもを押しつけられる話です。取材で、虐待やネグレクトを受けた子どもを預かる施設を訪れた際、けなげな子どもたちの姿に「この子たちと手をつないで生きたい」と強く思いました。
どんな境遇に生まれても子どもには幸せになる権利があります。僕の作品には「子どもの魂が幸せに」という願いが必ず出ています。「現実が過酷だとしても、せめて映画の中ではハッピーエンドに向かってほしい」。映画をつくることは僕にとって祈りなのです。
最新作の「いのちの停車場」では、姉の子どもを育てる女性を広瀬すずさんに演じてもらっています。彼女が、松坂桃李さんが演じる、診療所で知り合った青年に、大事な打ち明け話をする場面があるのですが、ラーメンを食べていた子どもの口をすずさんが拭くというカットを入れました。二人きりにしてもいい場面なのですが、僕の映画ではこうなります。「何年か先に、この三人が家族になればいいな」。そんな未来を願いながら撮っていました。
「草原の椅子」で、パキスタンのフンザでロケをした際、近くに(ノーベル平和賞を受けた)マララ(・ユスフザイ)さんが育った村がありました。宗派対立による戦闘があり、焼かれたバスが残されていました。殺された人々の写真に「絶対相手を許さない」と書かれたポスターも見かけました。
「教育を受けたい」と言っただけで命を狙われる環境から、マララさんのような女性が出たことは奇跡だと思います。そんな奇跡が二つ、三つと重なっていくことで世界が変わっていく。子どもたちの選択する自由を認めていくことが何より大事なことだと考えます。
子どもたちの未来を考えることは、世界の平和につながり、食料不足、地球温暖化の解決にもつながる。それが僕の考えの根本です。 (聞き手・中山敬三)
<なるしま・いずる> 1961年、山梨県生まれ。「八日目の蝉」は日本アカデミー賞最優秀作品賞など10冠に輝く。吉永小百合さん主演の最新作「いのちの停車場」は5月21日公開。