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妊娠中に一度は思う、五体満足に生まれてくるだろうかということ

こんにちは、chakumiです。

妊娠中、お母さんたちは、
お腹の赤ちゃんについて、実にたくさんのことを考え、想像します。

それは、明るい想像が多いでしょう。
女の子かな、男の子かな。
パパに似てるかな、ママに似てるかな。
兄弟に似てるかな。
お腹をどんどん蹴っているからやんちゃな子かな、お転婆な子かな。
どんなお顔をしているのかな。
将来は何になるのかな。

なんてこと。
想像して、ウキウキとした気持ちになるものです。

それに並行して、こんな想像もします。
病気の子だったらどうしよう。
五体満足に生まれて来てくれるかな。

想像しやすいのは、四十代で産んだら100人に1人の確率と言われるダウン症について。

ダウン症の子だったらどうか、
出生前検査をするのかどうか、考える人もいるでしょう。
出生前検査については、賛否両論あり、色々な考え方があるので、何がいいとか悪いとかは、私からは発言できません。
実際、障害児が行く通園施設の、息子と同じクラスの8割超は何かしらの染色体異常のお子さんです。
その子たちは皆可愛くて、愛らしくて、周りの人にとっても幸せな気持ちになる存在です。
出生前検査をすることで、妊娠を諦める人も実際いるでしょう、それに関してご家族の意見を無視して全否定をすることもできませんし、
検査をしたことで、病気が分かり迎える準備ができたという親御さんもいるでしょう。

私も考えました。生まれてくる赤ちゃんがダウン症だったら・・・
第一子の時は、夫にも伝えました。

「病気の子が生まれて来るとしても生むよね?」

答えはもちろんイエスで、夫は軽い感じで、
「何言ってんのー」って感じでした。

でもこれって大事なことですよね。
赤ちゃんを産むということは、親としての責任を負うということ。
どんな子供でも育てる!と思っていないと。

そうして、期待と不安の10カ月を過ごして、赤ちゃんは生まれます。
報告をする時に使うことが多い「母子ともに健康」という言葉は、とても大事で、そして、それだけで奇跡的なことなのです。

第三子はマタニティクリニックで産みました。
私にとっても母子ともに健康だったはずの出産でしたが、第一声の泣き声から母としては何らかの違和感がありました。
それでも、少し早めに生まれてきたから小さいのかな
いつも眠っているのは三人目の遺伝子を持ってうまれたからかな
くらいに思っていました。

生後6カ月で、脳障害が判明、脳室拡大・小頭症が判明し、滑脳症の疑いと診断され、同時に難聴が発覚します。

当時は、目の前が真っ暗で、何度、夢だったらいいかと思ったことか。
将来歩けないかもしれない次男を悲観して、絶望的な気持ちになったものです。

それから3年が経過しました。
3歳10カ月の息子は歩けません、話せません、普通の食べ物を食べれません。

それでも、私たちの息子はもちろん、私たち家族は今日も幸せに生きています。
あなたが幸せなのは「五体満足だから」でしょうか?


私は思うのです、障害のある息子はとても幸せと。もちろん、世間からよく言われるように可哀想な面もあるのでしょう。
でも、それは、私の足が短いのも可哀想だし、音痴なのも可哀想だし、顔面が残念なことだって可哀想、そう、余計なお世話なのです。

彼の世界で、彼の価値観で、彼らは楽しく生きている。

もちろん少し。周りは大変です。親は特に大変でが、かわいい君のためなら今日もせっせとお世話をして、たまに泣きたくなることもありながら(普通の育児だって一緒ですよね)、それでも、平たくすると幸せに今日も元気に生きています。






売上げの一部は、障害児のために寄付をしています。