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「変人であれ。」というリクルートの求人が素晴らしい

リクルートは変な会社だ。

むかしコンサルで入ったことがあるけど、どの会社とも違っていた。みんなが本音で話す。多くの会社では上役の発言をうかがってなかなか本音を言ってくれない。本音同士で喧嘩になって大変だったけど、今でも当時のプロジェクトの何人かは友達だ。

そのリクルートの求人が話題になっている。

本音文化らしく、「就活のこれっておかしくね?」という所を突いている。

個人的に気になったのは「KEEP YOUR WEIRD」というコピー。

そのまま訳すと「変人であれ。」

同じ「変」を表す英語を解説した、strangeとweird、oddの違いが面白かった。

「strange」は、ただ単に「変」という意味です。
一方の「weird」は、背景に何か問題があったり、奇妙さだったり、
「strangeよりも変」な状態を指します。「odd」も同じ「変な」という意味です。「odd」は「strange」と比べて奇妙さが強調されています。
よく使われるのは、「odd news」=「変なニュース」という表現です。
例えば、東京スカイツリーに登ったという人がいれば、「odd news」になります。「weird news」になると、「なぜこの人は登ろうとしたか」という背景がニュース内に含まれている話題になるのではないかと個人的には思います。

「変」はネガティブに使われることが多いが、WEIRDはポジティブにも使える。

“Stay weird, stay different.” 第87回アカデミー賞の感動的スピーチでは次のように訳されている。

I tried to commit suicide at 16 and now I’m standing here,
I would like for this moment to be for that kid out there
who feels like she doesn’t fit in anywhere. You do.
Stay weird. Stay different, and then when it’s your turn and
you are standing on this stage please pass the same message along.
16歳の時、私は自殺を図りました。しかし、そんな私が今ここに立っています。私はこの場を、自分の居場所がないと感じている子供たちのために捧げたい。あなたには居場所があります。どうかそのまま、変わったままで、他の人と違うままでいてください。そしていつかあなたがこの場所に立った時に、同じメッセージを伝えてあげてください。

変人を求人するというのは、イノベーションが求められる昨今と関係している。リクルートの求人でも「圧倒的な多様性が、圧倒的な共創に火をつける」と書かれているが、イノベーターは、愛される変人であれという記事で紹介されている図が面白い。参加するメンバーの多様性がイノベーションの結果に比例する。

何をもって変人というかだけど、DeNA南場氏「会議で“正解”を探す人はいらない」就活生に語った、デキる人材になる方法の記事が面白い。

最終面接を今でも自分でやることがあるのだけれど、「最後になにか質問ありませんか?」と言うと、「こういう質問が正解だ」と頭がまず回り始める人が多いです。「ここではこういうことを聞くのが正解だ」みたいに頭が回転してる。「質問」するときまで「答え」を探しているという……。
我が社はそういう人は採らないように踏ん張っています。すでにある「正解」を探す癖は、常識の枠を超えて事業を発展させる際に邪魔になります。「正解」は常識だったり、前例だったり、そして組織の中では往々にして上司や権威になります。

現状の最適解を探すのか、それとも新しい答えを探すのかで思考法は異なる。新しいパラダイム(常識)の最適化は何か?と考えるので、そもそもパラダイムの仮説をどう立てるかという思考になる。

とくにコンテンツを作っているときに問題になるのが、「どのムードの最適解なのか?」ということ。今流行っている傾向は比較的わかりやすいのでそこに最適化しがちだけど、流行はすぐ変わる。ムードが変わるので次に来るムードに合わせないといけない。ムードを作れるのが最高だけど。それが難しい。

例えば今ならバブルのムードが来ている。エンタメシーンに見る“バブル”事象を探る リアル世代から若者に波及するか?では次のように考察している。

昨年後半くらいから、ディスコイベントからファッション、テレビCM、お笑いまでエンタテインメントシーンにおいて多発的にバブル時代を追体験する事象が起こっている。そこには若い世代が動いているのだろうか?
バブル生活をネタにしてブレイクした平野ノラやその時代の雰囲気を放つブルゾンちえみが人気になり、ソフトバンクやGUのCMでもバブル期の洋楽が使用され、ファッション誌『VOGUE JAPAN』は90年代生まれの編集者が80年代のバブルを追体験する特集を組んでいる。これらからは、リアル世代を動かそう、さらには現在の若者に向けて“バブル時代”をリーチさせようという思惑が見え隠れする。

前に話題になった建築史に隠されたウェブデザインの未来でも、これからはバロック(過剰な文化)が来るのではないか?と予言されている。

シンプルに論理的で精巧に作ることが楽しいのは一定期間のみです。その期間がすぎれば、人は作ったルールを壊し始めます。建築では、文字通り古典派の装飾を壊して複雑な形をつくりだしました。ルネサンスの主知主義と比較すると、バロックはドラマチックで感情的でした。
では、ウェブデザインでこれはどうやってこれは実現されるのでしょうか?明言するのは難しいですね。待ちましょう。2年以内にその答えは見られることでしょう。

長い歴史をもつ建築には、文化の流行が刻まれている。ざっくり言うとシンプルさと過剰さが交互にくる。音楽もシンプルな時代は建築もシンプルになり、過剰な場合は建築も過剰。バロック建築とバロック音楽の共通点を研究している方もいる。

シンプルさと過剰さのループが、世間の根底に流れている。

そして過剰さという意味で、バロックとバブルは似ている。果たして時代は過剰に向かいつつあるのか?向かうのならコンテンツも過剰にしていかないといけない。というわけでバロック研究の専門家にこないだ相談してきた。

「うん、バブルくるんじゃないかな」

めっちゃ軽い。でも明快だった。新しいバブル文化の調査をしよう。こちらは駅で最近みかけたポスター。バブルですねー


余談だけどリクルートの「圧倒的な多様性が、圧倒的な共創に火をつける」に関連して、ネット、テレビ、新聞といったメディアの共創について興味深いことが最近あった。頭いいひとって本当にいるんだなって。こちらは興味ある方だけで。

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