100年目の文体変化。口語体から会話体へ

100年前、夏目漱石以前の小説は、かしこまった文語体で非常に読み難いものだった。漱石の小説がインパクトを与えたのは、内容よりも圧倒的な読みやすさ、文体の発明だったという人もいる。

そして今、明らかに文章の書き方が変わってきている。口語体がさらに進んで、目の前の友人、または飲み会で会話しているように書く会話体が主流になりつつある。正直この書き方をしないともはや読んでもらえない。

例えば「就活落ちた日本死ね」の文章。

何なんだよ日本。
一億総活躍社会じゃねえのかよ。
見事に面接10連敗だわ。

これが「日本は一体どうしたのだろうか?」と書き出したら途端に嘘くさくなってスルーされる。100年前、口語体の普及によって文語体がかしこまって見えてしまったように、会話体の普及によって、今度は口語体がかしこまって見えている。

と書いているこの文章もかしこまっているが。おそらくこの原因は、メディアが誰でも書けるようになった結果、書いている人と読んでいる人の距離感がゼロ、目の前にいるくらいの距離に近づいているからだろう。口語体でさえ偉そうに見える時代になっている。

広告も口語体から会話体に切り替えないともう読んでもらえない。WEBライターが書く文章も意識的に、または無意識的にどんどん会話体になっている。この辺の感覚が広告主側の校正担当とあってないと悲劇が生まれそう。

以上、友人の佐々木大輔さんとの会話からあらためて思った。

あと会話体の例。県すらこんな風に会話するようになっている。

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京都式カメラ|谷口マサト

和や京都の写真をつれづれに。マンガ原作者&LINE社チーフプロデューサー。著書『バカ日本地図』等7冊。企画 http://bit.ly/2fGEhN8 Voicy http://bit.ly/2Fzrr0h ※このnoteへの執筆ご相談はfacebookでメッセージください。

コメント1件

きっと僕たちが気軽に話している言葉も、何十年も経てば堅苦しいものとして敬遠されていくのだと思います。
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