文章は、文字で描かれた絵画と考えると伝わるようになる。

漫画家かっぴーさんとの対談で、表現はディテールが細かいほど笑いになる、という話があったけど、なぜそうなるのだろう?と暫く考えていた。

解像度低い:ベンチャー社長は意識が高い
解像度高い:ベンチャー社長は家に埃がかかったDJセットを持っている。

おそらくだが、上は「概念」なのに対し、下は「描写」だから、はっきりとしたイメージがこれを見た人の頭の中に浮かび上がりやすいのだろう。

読者は概念よりもイメージに動かされる。例えばホストクラブの話で、下手なホストは「旅行行こうよ」という「考え」をいうのに対し、上手い人は「旅先でなにしようか」と例をあげていって、イメージを伝えるという。

概念というのは考えだから、反発を呼びやすい。例えば「すべてのベンチャー社長は意識が高い」というと、果たしてそうだろうか?という考えも生まれてくる。一方で描写はその様子をレポートしているだけなので、反発も生まれにくい。

これは俳句や短歌の世界でも同じで、

古池や かわず飛び込む 水の音 (芭蕉)
寒き田や 馬上にすくむ 影法師 (芭蕉)
歯あらわに 筆の氷を 噛む夜かな (蕪村)

といった名句はどれもパッと頭にイメージや音、体感(寒さ)が広がる。

余談だが、どっかの本で、読者は視覚優位、聴覚優位、体感優位とそれぞれ感覚が違っているから、いろいろな感覚を刺激するように書け、というのがあった。考えば上の俳句も見事にそれになってる。

雑文なのでテーマがぶれてるけど、その文章が「概念」なのか「描写」なのはもうちょっと意識しようと思った。

読んでくれてありがとう!