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2023年も終わりそう

前回の記事が3年前…
3日坊主どころの騒ぎではない。
よっぽど削除して何もなかったことにしようかとも思ったけど、どうやって消すのかも分からずじまいでそのまま残しておくことにします。
(大したこと書いてないし)

さて、2023年について振り返りたくなって
Instagramでは内容がまとまらないので
ここに記録していきます。

2023年は3月末まで宮城県仙台市にいました。
4月から所属していた会社を辞めて生まれ故郷の神戸に戻ってきました。
知った場所とはいえ、環境が変わると色々と不安定になるものです。
結婚してから環境の変化については当たり前のように起こることだったのですが、それにしてもなかなか大きな決断をした春でした。

3月末で所属していた会社を辞めたわけです。
実は辞める直前というか辞める数ヶ月前くらいから、自分自身がどんな状態で過ごしていたかあまり思い返せなくて。
最近やっと、その頃の自分について振り返られるようになりました。

ーあのままだと危なかった

コロナ禍から夫がうつになり、思ってたよりも闘病生活が長くなっていました。
仕事にはなんとか復帰してましたが、それでも日々体調に波がある毎日。
うつになったことのある人やご家族や近しい人にうつの方がいらっしゃると分かるかと思うのですがうつは「はい!!治りました!!」とかじゃないんでよね。
人によっても症状は様々だし、良い状態と悪い状態が本人にコントロールできるわけでもないし。
とはいえ、1番そばにいるわたし自身は、わりと夫のケアについてしんどくなったりすることはほとんどなかったです。
ただ、取り巻く環境に非常に苦しめられてしまって、それにプラス不安定な夫がいるとなると話は別です。
毎日ヘラヘラして笑ってばかりいるわたしも、2022年の冬くらいからほんとに気が狂いそうに何もかもが嫌になる日がたまにありました。
夫がしんどい思いをしてるのにこんなことではいけないとは思いつつ、ほんとに精神的に無理で仕事に行けない日もありました。

詳しい話はもう少し時間が経ってからじゃないと話す勇気はないのですが、仕事もほんとにしんどくて出勤すること自体が怖くなっていました。
改善したくて声をあげたけど無駄足に終わり(声を上げたのに足ってなんなんだよ…)
とにかく毎日がツラくてしんどくて、何やってるんだろうと思ってました。
話は色々あるんですけど長くなるし、まだ今は言うべきタイミングじゃないと思うので心にしまっておきますが、とにかくしんどかったんだなぁと思っていただけたら…。
ほんとにあのままだとふと命を断つことも選択してたかもしれなかったです。

ー勇気をくれた夫

仕事は行くしかないから行って、家で夫と話す時は仕事関係の話には触れずになんだか息苦しさもありながら過ごしていました。
そんな中、2月にお休みがあってふと夫が「東京に行こうか」と言ってくれたんです。
思いつき、ノリで、ほんとにそんな軽い感じで以前住んでいた東京に行って会いたい人に会おうってなったんです。

この仙台一東京間の新幹線が運命を変えました

東京に向かう時、夫の顔を見たらとても楽しそうだったので今まで話してなかったことや今後のどうしていきたいかを話してみました。
夫が何を考えているのかも聞いてみました。

わたしたちは違う理由でしたが、2人揃って同じように苦しんでいました。
このままじゃいけないと思いました。
わたしが会社を辞める勇気が持てなかったのは、夫のことが心配だったからなのですがそれはただの言い訳だったんじゃないかと。
なぜなら、夫はわたしとの未来の話をする時にとても楽しそうに話すのです。
ただ、会社にこのまま居続ける想定の話ではとても険しい表情になっていました。
その様子を見て、辞めた方がわたしたちにとっては幸せなことがある気がする!と思ったのです。

将来やりたいことを話す夫の晴れやかな顔に勇気をもらいました。
その日、2人で「会社を辞めよう」と決めました。

わたしたち(夫は特にですが)は、自己犠牲をしすぎたように思います。
心や身体が壊れてしまったら何にもならない。
もっと自分自身を大切にした生き方がしたいと思いました。

ー辞めることになってから

会社に退職の意思を伝えて、3月末で退職が決定しました。
(去るもの追わないスタンスの会社なのであっさりしてて助かりました)

辞めることになってから家探しと引っ越し準備、とにかくやることがたくさんあります。
しかも3月末は引越しのハイシーズン。
引越し先は神戸に決めたものの、神戸は入居の際にコストが割とかかるので自分達のお金事情を照らし合わせながらの準備は大変でした…
退職直前に会社で大きなトラブルがあったせいで、引越し先の家に入居できないかも?!などのヒヤヒヤすることもあったり。
とにかく落ち着かない1ヶ月だったように思います。

ただ、この頃はこの状況から脱したい思いで必死だったなぁと振り返って思います。
無事に仙台を出て、神戸行きの飛行機に乗った時は過去よりも未来のことを楽しみに考えられるようになっていました。


良い感じの展開になってきたところで、続きはまた次回。
ここまでは2023年3月までのお話しでした。

ほなね。

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