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長女(小3)が「dog」の意味を問われた英語の小テストで「ドッグ」とカタカナで解答していて、トンビが鷹を生むなんてないと確信した

うそん

ここをスタート地点として、どうすれば憧れの地というだけの理由で志望校である北海道大学に辿り着けばいいのか。

一億光年くらい先か笑

まあ、不可能とは言わないし子どもの可能性を否定するわけではないけれど、キミ、年中さんから英語に通っていなかったかい?

「北海道大学ムリやん」
のボクの定量的かつ冷静な指摘に対し、

「これから、ちゃんとやればできるから」
と熱意かつ仮定の話で切り返す。

もちろん、やればできると内心で思っていてモチベーションにするのはアリだが、それは「ちゃんとやらなければ、できない」という予防線も同時に張ってしまっていることで、それが何とも悲しい。

最悪は「やればできる」から「やればできた」へ、過去形になってしまうことである。

やる、やらない、やっていく、やめる

世の中には習い事が多く存在する。
あれもこれもできやしないから。
そういう仕分けをそろそろしていかないと、あっという間に大人になり、後悔を口にするようになってしまうよ。

「やればできる」
この言葉を自らが発する人で、
ボクは、ただの一人も「できた」というケースを知らないから。

「やればできる」と同族の、関西人の「行けたら行くわ」

18歳でど田舎から関西にやってきたボクは、この言葉のもつ、もう1つの顔を知った。

ボクの経験上、
26年間、関西(大阪、兵庫)で過ごしてきた中で、この言葉を発した人が、結局来たという試しがない。

他都道府県の人は、
ウソだ、大げさだ、
と思うかもしれない。

しかし、
本当にゼロなのだ。
※繰り返しになるがボクの経験上の話

直前になって、

遠い親戚が帰ってきたり、
バイトでシフトが突如変更になったり、
昨日マンションの別部屋に泥棒が入ったから家を空けるのが怖くなったり、飼っていた犬を動物病院に連れて行くことになったり、
まるでコントのような出来事が直前に起こるのだ笑

「行けたら、いくわ。」

関西以外では多くの場合、
「約束はできないけれど行く気はある」ときに使う。
一方で関西では、あまりノリ気ではないときや行きたくないときに「都合のいい言い訳」として使うことが“多いようだ”。

関西人:
「ほぼ行かない 9割」・「ほぼ行く 1割」
関西人以外:
「ほぼ行かない 2割」・「ほぼ行く 8割」

(毎日放送 「ちちんぷいぷい」調べ )

◇ 
そう。

世の中には、「やればできる」や、
関西人の「行けたら行くわ」を始めとした、決定力に乏しい「信じてはいけない言葉」が存在する。

「(マラソン大会)一緒に走ろうな」や、「怒らないから正直に言いなさい」は、絶対に“信用できない”王道ではあるが、
併せて、
「準備が完全に整ったら始めようと思っている」というセリフも「信じてはいけない言葉」の王道だとボクは思っている。

準備が整えばさっさと“辞める”というウソ

入社して間もない頃、

「リーマンはどうしても手取りが少ないし、拘束時間が長すぎるので、準備が整ったらさっさとやめて起業して自分らしくいきたい」
という2歳上の先輩がいた。

会社員にとって、会社を辞めるというのは、そこそこの大きな決断だ。

初めてその話を聞いた時は、
就職氷河期だったボクにとって、入社した会社はたしかに第一希望ではなかったが、向こう30年は少なくとも安定した会社に就職できたということもあり、それなりに満足していたので起業などを考えることもなかった。

だから
「入社後たったの3年。リスクを取るなんてすごい先輩、すごい覚悟、すごい立派」
と尊敬の眼差しで先輩を見ていた。

が、

あれからかれこれ20年も経過したが、
この先輩、未だに絶賛、起業準備中である。初めてその話を聞いた時からすると、準備期間としては少々長すぎるのではないだろうか。

このままだと、
50歳でリーマンを引退して、お気楽カフェをオープンすると“決定している”ボクの方が、
きっと早く退職する。

なぜに先輩は永遠に準備中なのか。

それは、
最初の一歩をどちら側へ踏み出せばいいのかがわからないからであろう。起業とは、道なき道を歩む人生初めての挑戦となる。

人生をふりかえると
多くの人にとって、
学校を卒業すれば次の学校があった。
学校を終えれば就職があった。
選択を迫られたときに、道がいくつかあり、消去法であれ何であれ、どれかを選べば迷うことはなかった。

でも起業というのは、道筋がない。
あるのは根拠のない自信だけ。
根拠のない自信が、根拠の無さばかり増幅して不安へと姿を変えていくのに時間はそうはかからない。

「準備が完全に整ったら…」
なんて言っている人は、そもそもリスクをとりたくないと考えるタイプなのだ。良く言うと、根っからの慎重派なのだ。
そういう人には起業は向かない、とボクは思っている。

だったら、「やればできる」、「やればできた」ではなく、「やらない」と決断して生きていく。それだって立派じゃないか。
全然いいじゃないか、って思う。

挑戦は素晴らしいもので、そこに疑いの余地はないけれども、でも、才能や伸びしろに乏しい人が、「まだまだ」「もっともっと」「自分のほうが」と、ダラダラと「よくわからない成長マインド」に依存し続けてるのは、けっして良いことばかりではないのも悲しいけどリアルである。

毎日、何事もなく無事に終わるような、挑戦とは無縁の生活を望む生き方もある。実際、そういう生き方を望んでいる人の方が世の中多く、何事もない日々の暮らしを祈ること、平和な老後を望むことは、エキサイティングな挑戦の日々と同じくらいな価値があるから。

大事なことは自分で考え、
“迷い”を振り払って決断すること。
そして決断したことに向き合うこと。
やる、やらない自体は、人それぞれ。

ボクは、何を選択したか自体には、
それほどの価値はないと思っている。

翌日、仕事が終わり家に帰ると机で英語の勉強をしていた

ボクの顔を見るなり長女は
ドヤ顔で言った。

「パパおかえり。これから家でもちゃんと英語するね。1日30分だけね。」

おおおお。
やると決断したんかいな、と思い、
後ろからノートを覗くと、「bag」を
“バッグ”とカタカナで書いてあったのが見えた。

ま、ま、まあ…
これはギリセーフとしてやろうか笑
それよりも少しだけど、すぐに行動にうつすなんてやるやないか。

まあ、小さくね。
努力をやってみればいい。

結果、うまくいかなくて、英語を使わない生き方をしていくと決めた。
北海道大学も諦めた。
まあ、それだっていい。キミの人生。

やるか、やらないか。
やっていくか。やめるか。
スパっと決められる羨ましい素質を持っている人もいれば、なかなか決められない人もいる。けれど、見方を変えれば、
人生なんてのは迷いと決断の連続なのだ。
そして迷いのターンの方が、決断のターンよりもずっと長い。

だから迷ってもいい。
全然いい。

でもね。
「やらないと決断した」なら良いけど、
「やればできた」の過去形にならないようにね、とパパは思う。

迷った後は、
必ず具体的な目標とか叶えたい夢、もしくは自分の身の振り方をしっかりと“自分で”決めてほしい。失敗したときに他人のせいにしないようにね、それが大事。

トンビが鷹を生むなんて思ってないから。
パパは、後悔のない人生、自分で決断していく人生、

あなたたちに、
それだけを願っているよん。

【追伸】

いや、もうたくさんの方々、サンクス。
あ、カタカナなった。
ありがとう。

noterさんも、web検索からお越しくださっている方々もオールサンクス。
あ、みんなありがとう。

北海道、青森、岩手、宮城、栃木、群馬、東京、埼玉、神奈川、茨城、静岡、山梨、新潟、石川、長野、愛知、岐阜、福井、滋賀、三重、和歌山、京都、大阪、兵庫、岡山、広島、山口、徳島、愛媛、高知、福岡、長崎、熊本、宮崎の各都道府県で、ボクが思いつきでつくった走RUN会(走らんかい!)が、勝手に活動してくれるだなんて、小鼻を膨らませてピクピク、ニヤニヤしちゃってます。

もう少し時間を頂きますが、
必ず送り届けますので、お待ち頂きたくよろしくお願いいたします。

それと正直に言います。
ボクに利益ゼロ、さらにBASEで手数料をもっていかれると言いましたが、たくさんの方々にご購入頂いたおかげで、なんと3ランク上の大量発注枠となり、計算上では70円/枚くらいボクに利益(粗利益)がでることになりました。

と、いうことは、

つ、ついに億千万円の大金を生み出す機会を得たのだ。売れれば売れるほどに、チャリンチャリンと70円/枚が音をたてて資産として形成されていく。

オークセンマン、オークセンマンの
あの独特なメロディがいまずっと耳の奥でリピートされている。

それがね。
いますんんんごく楽しいの♡

引き続き、販売中です♡
オークセンマン、オークセンマン…

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