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宣誓!野球を愛する私たちは〜、憧れの‘’甲子園まで電車で20分の場所‘’から〜、全国の仲間にメッセージを送ります

我が母校。

‘’光高校‘’が春の甲子園出場を決めた。
確定ニュースがyahoo!ニュースに出るやいなや、まさに電光石火の神業かみわざ

ボクは即座に高校時代の友人に
LINEを連射した。

ニュースに敏感なやつだ、と思われたい。
ボクの発信で喜んでもらいたい。

そんな‘’モテたい‘’に酷似こくじした
抑えきれないうちなる衝動、承認欲求・自己顕示欲・愛を求める本能が、
‘’10年ぶり以上‘’という関係のツレにまで送りつける迷惑極まりない活動へと駆り立ててしまった。

仕事中にもかかわらず、
ものすごい勢いで。

気づくとボクの口元は、
少しだけポカっと開いてニヤけていた。

見事に“既読スルー“が各所に見受けられたが、そこはポジティブ男子。
それでも何かに取りかれたように、一心不乱にメッセージを送り続けた。

‘’オレ、甲子園まで電車で20分やから…‘’

誰も聞いてもいないような、
驚異的にしょうも無い近況の話を
しまくったのだ。

とんでもない長文で。

もれなく、
とんでもなく鼻息の荒さで。

1994年の夏

この年、光高校が初めて
“甲子園の切符“を手にした。

そして幸運にも
“選手宣誓‘’のクジを引き当てた杉村衡作主将が、

大舞台に物怖ものおじせず、

圧倒的な存在感を発揮し、
全国の仲間にセンセーショナルなメッセージを発信した。

宣誓
野球を愛する私たちは、
憧れの甲子園球場から全国の仲間にメッセージを送ります

ファイト、フェアプレー、フレンドシップの頭文字『F』のマークをあしらった高校野球連盟の旗のもと、
私たち選手一同は、
苦しい時はチームメートで励まし合い、
辛いときはスタンドで応援してくれている友人を思い出し、
さらに全国の高校生へと友情の輪を広げるため、この甲子園の舞台で、
一投一打に青春の間隙かんげきを噛み締めながら、
爽やかにプレーすることを誓います。

引用:全国高等学校野球選手権大会(1994年8月8日) 山口県立光高等学校・杉村衡作主将の選手宣誓

それはもう、それまでの
 >>われわれ選手一同は~、
 >>スポーツマンシップにのっとり~、
 >>正々堂々と 闘うことを誓います!!

そんな基本型にハマったモノとは一線を画す宣誓であり、贔屓目ひいきめを差し引いて考えてみても

“歴史を塗り変えた“といっても過言ではない選手宣誓であった。

帰属意識なのか、
はたまた地元愛なのか、
なんなのかわからない感情だけれども

今で言うところの大谷すごい。
八村すごい。三笘薫すごい。
だからオレたち日本人すごい。

の論法と同じで、

光市民として、
進学する先の高校として
杉村主将が評価されたことがボクは心底嬉しかったし、とても誇らしかった。

あれから時は流れ28年。

15才だったボクは、
43才の平凡なおっさんになった。

その間、光市といえば、

不本意にも残虐な事件で全国区となり、
また母校においては人口減から他校との合併を余儀なくされ、
学力、国公立大進学率は大幅に低下、
所属していたラグビー部は廃部になるなど、
卒業生、OBとして、

もう悲しくなる便たよりばかりが、ボクの耳には届いていた。

そこにきての吉報きっぽうである。

甲子園出場。

懐かしい匂いのする地元の快挙に、
ボクの心は久々に踊った。

「何か一つのことに打ち込むこと」や「辛さに耐えること」の大切さ

甲子園に出場するような野球部の厳しすぎる練習や過剰な精神論は
‘’理不尽‘’であると、
今の時代はなにかと批判のまとにされる。

ボク自身も当時は、
1年生は球拾いのみといった不合理な強豪の野球部の練習を眺めながら、

‘’そうか。これがツワモノが集まる部活動か‘’、
‘’下積みから練習を積まなきゃ強くなんねえよなぁ‘’

なんて、
「厳しさ」や「下積み」や「精神論」は、
強くなるための‘’通過儀礼‘’であるかのように全面的に肯定こうていしていたが、

令和になった今となり、
当時をふりかえると、

眩しかったあの青春の光景は
いつしか時代遅れの
‘’小さな世界のシステム‘’だったんだ、って、
そう批判的に捉えてしまうように‘’も‘’なった。

ただ一方で、
そうはいっても令和の常識で、
昭和を「時代遅れ」と断罪するのは、
令和で、昭和から平成で大流行したポケベルを批判するくらい
アンフェアではないか、
とも思うし、

暴力は絶対にダメではあるが、

 40年生きてきた実感としては、

ある程度の「めんどくさいし、役に立つかどうかわからないような作業」
当時のように何年も、
というのは極端だとしても、

最初の通過儀礼として、

一定の期間やる、
辛さに耐える、
ということには、

それなりの意味はあるように思う。
批判を恐れずにハッキリ言うが、
ボクは令和になっても、
そう思って疑っていない。

イチローの全盛期。
‘’キャッチボール~ICHIRO meets you‘’という糸井重里氏との対話本の中で
こんな話が出てくる。

イチロー:
子どもにとっていちばんイヤなことは、
勉強することなんです。
よっぽど勉強が好きな人はおいといて、
キライなことをやれと言われてやれる能力っていうのは、後でかならず生きてきますよ。 
ぼくが、宿題を一生懸命やってよかったなと思うのは、そこなんですね。

プロ野球選手という個人が優先される場所であっても、やれと言われることがものすごくあるわけです。
だったら、一般の会社員になんて、そんなことは毎日のことのはずです。
だから、小さい頃に訓練をしておけば、きっと役に立つと思うんです。やれと言われたことをやる能力を身につけておけば、かならず役に立つ。

キャッチボール~ICHIRO meets you

もちろん漫画の世界のように、

学年ビリから東大に合格したり、
弱小ヤンキー野球部が甲子園で優勝したり、
フリーターが仮想通貨で儲けて家を買ったり

そんな下積みの努力なんてほとんどせずに成果を出してしまうスマートな快進撃に、
誰もがあこがれをいだいてしまいがちになるけれど、

実際は滅多にない。

すごい実績を積み重ねてきた人にも接してきたけれど、やっぱりみんな、
‘’才能‘’だけでやってきたわけじゃない。

やっぱりボクらのリアルは、

昭和だって、令和だって、
いつの時代も
“努力してもうまくいくとは限らないが、努力せずにうまくいった人はいない“
という世界なのだ。

だからイチローの言うように
「やりたくなくても、やるべきだと判断したことをやり通せる努力・能力」って、
ものすごく大事なんだろうな、って思う。

勝負の世界は敗者にとって残酷だけれど、、、

今回のサッカーW杯をみても思ったが、
スポーツの世界、
勝負の世界というのは、結果がすべて。過去の栄光は、あくまでも過去。

基本的に勝者の「総取り」で、敗者は多くのものを失ってしまう。

負けるのは、つらい。

だからといって、
‘’やるべきだと判断したことをやり通す努力‘’をした敗者は、失うものばかりではない。

得るものがある。
というか、あった。

昨年、ボクが挑戦したウルトラマラソン。
大会3ヵ月前になっても、
ボクの中では3年間のコロナ規制による練習不足はいなめなかった。

もちろんボクは普段の仕事に加え、園児、小学生の子のパパとしての役割もあるし、
今夏は、前々記事でふれたとおり“昇格試験“のための勉強や小論文の課題も重なって、

はっきりいうと限られた時間の中で、
一番、時間を捻出ねんしゅつする意義が見いだせなかったのはウルトラマラソンへの挑戦だった。

大局的に見て、
今年は見送るという選択肢が
大正論であった。

が、

応援旅行を楽しみにする家族、会社の同僚・後輩たち、それと久々だからと言ってボクと一緒に挑戦することを楽しみにしてくれていた同士、仲間もいた。

間に合わないかもしれないが、
やれるだけのことはやってみようか。
完走できないかもしれないが
その人たちに恥じぬように頑張ろう、と決心し、真夏の炎天下に自分なりに、しゃにむに練習する決意をした。

結局、どの数字をとってみてもコロナ前の体力にまで戻すことはできなかったが、実のところは自分なりには手ごたえを感じていた。

でも結果は、既報のとおり過去最悪、
‘’散々たるもの‘’だった。

ボクは55kmでリタイアを申告した後、
預けていた荷物を受け取りにスタート・ゴール会場に戻った。

そのときに抱いた感情を
今でも鮮明に覚えている。

人影のない場所にひとり座って
ゴールするランナーをボーっと眺めた。

するととめどなく涙が流れてきた。

その涙は、ゴールできなかった悔しさとか、恥ずかしさとか、もちろんあるんだけど、
ひたすらに流れていって、
使い古された言葉だけれど、
次第に「心が洗われていく」みたいな気分になっていった。

あのとき、
ボクは人生で指折りであろう。
「ああ、ボクはよくやった、最後までやり遂げた」
と、自分を認めてあげられたような気がした。

誰かに聞かれたら、
noteでも書いたとおりに
「いや結局、全然ダメだったし、なにをいっても言い訳にしかならない……」
と答えるしかないのだけども、

ボク自身にとっては、
なぜか、次回に向けての「自信」みたいなものになっている。やりたくなくても、やるべきだと判断したことをやり通せる努力をしたことって、きっと結果的に残酷な敗者になったとしても、

全てが失われるわけじゃない、
そう思った。

センバツ開幕まであと1ヶ月半

人口5万人の市から生徒が集まる高校。
そりゃあ、勝ち上がるのはキツいさ。

だけど、大敗しようとも、
一投一打に青春の間隙かんげきを噛み締めながら、
甲子園で胸元に刺繍ししゅうされた「光」一文字のユニフォームに会えるのをボクは楽しみにしている。

燦々さんさんと輝け光!

オレ、甲子園まで電車で20分じゃけー…
会社休んで応援に行っちょるけー、頑張りーね!


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