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なぜ‘’とりあえずやってみる‘’が大切なのか、馬糞を通して皆さまに伝えたい。いまここに。

1年で30%の継続率らしい。

ブログやnote。

ボクの場合、続けてきたというよりも、
一週間でふと思いついたことを
日々ノートに手書きでメモり続け、
土曜日の夜明け前からバコバコとまとめに入る作業をしているうちに、いつの間にかこんなに時間が経っていた、

という感じである。

ご覧のとおり、ビックリするようなネタなんてのは、ほぼない。

だから
こんなありきたりな日常をつづっていると
書きたいことがなくなった、
何も特筆すべき事項がない、

ということはない。

それよりも
もはや一軍でお披露目することもなくB級ボツネタ下書きとして放置しているものが、
それはもう、アホほどある。

実は今週。
またいつかこの場で報告したいと思っているが、仕事面で重大なことがあって、

それに追われアワアワしているうちに、
あっという間にいま土曜日。

だから

ないのだ。
ナニもない。
書くネタを1ミクロンも用意できていない。

「1ミクロン」という評価のしがたい単位を持ち出したことで、ボクは今、皆さまからボキャ貧の小学生のたぐいだと思われたかもしれないが、

その評価は甘んじて受け入れよう。

どんなにあがいても、いま
薄暗い部屋で更新する下書き原稿のないまま、呆然としている事実に変わりようがないのだ。

そこで今日は超昔のB級ボツ記事を掘り起こして一軍で使って更新としたい、と思っている。

先週末のことだ。
(※と言っても、遠い昔の週末)
神戸元町の中華街を7歳なる長女と二人でブラブラした。

唐突に豚まんが欲しくなって
中華の本格的なるお店に入って注文をした。

すると、
レジ担当のおばはんが
豚まんと併せて、
なにやら商品棚から売り物のホコリがかぶった品を持ってきた。

「これいかがですか?中国で人気ナンバーワンの月餅げっぺいなんだよ!」

プッ笑
ボクは反射的に吹き出した。

どうやらこの人、純中国人。
クセの強いカタコトの日本語で
気前よく言ってきた。

いくらなんでも唐突すぎる。
すると店員も吹き出した。
そりゃそうだ。
店長の命令で仕方なく勧めているのだろう。自分で自分の行動のおかしさを分かっている。

「いらないですか?月餅げっぺい

月餅げっぺいはいらないです」

「中国で一番人気なんだよ」

「いや、いらないっすね」

「ナンバーワンだよ?タダでいいよ?」

「うん、ナンバーワンでも。タダでも」

二人ともヘラヘラしていた。
いったいナンなんだ、このやり取り?

しかしマニュアル感が消えた店員とヘラヘラ感を共有すると、少し楽しい。
気まずさと照れくささの混じりあった奇妙な空間で、ボクらは少しだけハニカミトークを展開した。


代金を支払って
肉まんを受け取ってから店を出た。

気づくと長女が、嬉しそうに月餅げっぺいを2個手にしていた。

改めてみたが、外観からしておぞましい。
それぞれ‘’茶色‘’と‘’緑色‘’
キレイに人工的な着色がなされている。

パッケージをみると一帯が漢字で埋め尽くされていた。これは日本人向けに日本国内で作られた月餅げっぺいではない。
中国で製造され、輸入された月餅である。

ボクは会社の中国人から、
帰省した際のお土産でもらったことがあるから知っている。

これはヤバい。
マズいやつ。

が、ナニも知らない長女は
お菓子をもらった感覚でとても喜んでいた。

家に帰ってから

長女は2つのうちの1つ。
茶色の方を喜んで開封し、3分の1くらいの大きさをパクリと食べた。

‘’おいし……‘’

脊髄反射的せきずいはんしゃてき
‘’おいしい‘’
と言いたかったのだろう。

が、
時間差で口の中が月餅で飽和されたころで
認知した。

‘’これは自分の知ってる饅頭まんじゅうではない‘’

速攻でペッペッと吐き出して
リビングから立ち去っていった。

テーブルには
長女が食べかけた茶色の月餅の3分の2が無惨むざんにも残された。

うん、これは捨てよう。

…いや。
ん?……いや…
…ちょ、待てよ、、、

人間というのは自分の中で「ダメだ!」と思うほど、その気持ちに反発したくなる心理が働く。

月餅かぁ、
どれだけマズかったかなぁ。
少しだけ食べてみようかなぁ。
残った月餅を見つめれば見つめるほどに、そんな衝動に駆られた。

“禁じられた愛ほど燃え上がるロミオとジュリエット”
‘’くさいと知っていて靴下を嗅いでみたい‘’

まさにそんな心理である。
意を決し、
ボクは長女が残した欠片の半分くらいをパクリと食べてみた。

馬糞ばふんの味がした。

これまでの人生を振り返っても馬糞ばふんを食べたことはまだ一度もないわけだが、
そんな馬糞経験の浅い自分でも、
かなりの自信を持って馬糞味だと断定することができた。

食べ始めた時は馬糞の放つ特有の野生感に圧倒され、月餅を持つ手が凍ったが、

自分に「これは旨い、最高じゃないか」

と広大な草原をイメージしながら言い聞かせて強引に食べ続けているうちに
次第に馬糞への理解が深まり、
最後は、無類の馬糞好きを誇れる域に到達した。

それなら、おぞましい色した緑のほうもいけるかもしれない

「バスクリン」の味がした。

スルメに限らず、ある意味では人間も
‘’噛めば噛むほど味がでる‘’
といわれる所以ゆえん

吐き出すのではなく、噛み進める方に歩みを進めてみたところ

噛めば噛むほど最初は
バスクリンだと断定していたが、
次から次へと複雑に食材が絡み合った味が出没してきた。

恐らく我々日本人が全く食べ物として認知していない昆虫や爬虫類のたぐいは相当ふんだんに入っていたし、

フンコロガシがもつ糞やゴリラの糞は勿論のこと、自転車のサドルに、長女の上履き靴、掃除機のコード線やポケベル等の珍味な食材をグツグツと煮込んでから入念に炊き込み、カリカリになるまで焼き上げてから、

颯爽さっそうと炒めたのだろうか、

そんな風味だった。

食べ物としての評価は最低レベルであり、非常に残念ながら、最後まで‘’緑色の月餅" の魅力は理解できず、吐き気をもよおしたまま終わってしまった。

ボクは、これらの月餅から人生の‘’教訓‘’をえた。

まず一つは、
どうやらこの世には、気の持ちようではどうにもならない領域が存在するようだ。

気持ちではどうしても突破できない
‘’バスクリン‘’がある。

食べられると思って食べているうちに、
あ、オレ意外とお風呂好きだわ、
とはならなかったのだ。

もう一つは、
本人の気持ちの持ち方次第でどうにかなる
ものが存在する。

‘’馬糞味‘’というのは普通に考えれば食べられた代物しろものではないが、癖のある野生感が意外とコーヒーとマッチすることに気付き、

あ、オレ意外と馬糞好きだわ、
となったのだ。

そしてここからが、もっとも重要なこと。
それは

「気の持ちようで変わることか、それとも受け入れ難いものか、最初の一口目ではよく分からない」
ということだ。

「茶色の月餅」も「緑色の月餅」も、
一口目では同程度の不快感をもち、その段階では、どちらもその時の自分にとっては、にわか受け入れがたいものだった。

いいかい。つまりだよ。
その理論で言うならば、よ。

このnoteだって、そう。
内容が薄っぺらいどうしようもない馬糞ボツネタであっても適当に書き進めてみれば、気の持ちようで‘’教訓‘’まで到達できるのだ。

素材はさほど関係ない。
だからこれからも手を抜きまくろう。
そんな真理を学んだ気がする。

ありがとう、月餅。
ありがとう、馬糞。

よしゃビシーーーっと、決まった。

え?

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