なぜスピッツ愛の空白期間があったのか思い出してみた。

ずっとスピッツは好きだったのに、なんで謎の空白期間があったんやろ?と思い返す。
初めてスピッツのLIVEに行ったのが2003年、三日月ロックがリリースされた時の双六ツアー。
高校生になりファンクラブにも入ってバイト代貯めてこれからもLIVE行きたいって思っていた矢先、兄が仕事で大事故にあって利き手が使えなくなってしまうという大変な事になってた。
家庭内が不穏で、高校の途中から専門学校卒業するまでの3年くらいはスピッツどころか他の事も楽しめる雰囲気じゃなかった。
この間の記憶が薄れてた。
卒業してからすぐに就職。
ファンクラブも更新できなかった。
月〜土までフル出勤。
当時は給料も安いうえに新人で従業員も少なく有給を取れるような環境じゃなかった。
色々あって別業種に転職したけど、そこも同じような小規模な職場で、先輩からはパワハラ受けるし有給なんてあってないような環境。めっちゃブラックだったわ。
ロックロックや横浜サンセット、30/50のLIVEには友だちの誘いで行けたけど、当時はSNS(旧Twitter)もやっておらずツアーの情報も入って来なくて…気付いたらスピッツは50代、私は30代になってた。
その間に2度目の転職(現職場)。

月日は流れて2019年。みっけツアーがあった頃かな?
今度は私が頚椎に問題がある事が分かり、大きな手術を受ける事になり、入院。
半年間休職してた。

その時に朝ドラの主題歌にスピッツの歌が使われている事を知った。
病室のテレビで朝ドラ見てびっくりしたのを覚えてる。


“重い扉を押し開けたら暗い道が続いてて
めげずに歩いたその先に
知らなかった世界”

後遺症の事とか考えたり、仕事続けられるのかとか…
精神的に相当参っていた時に初めて優しいあの子を聞いて、大部屋の病室でボロボロ泣いてて、朝食を下膳しに来た看護師さんびっくりしてたな…。
「え??!どうしたん??!大丈夫?!」
「あ、大丈夫です。ちょっとスピッツ聞いて情緒おかしくなってるだけなんで」って言ったら苦笑いしてたな…。

復職したタイミングがちょうどコロナが蔓延し始めた時だった。
スピッツがアリーナでLIVEするっていう情報を知り、2021年のNEWみっけ大阪城ホールの最終日に奇跡的に行けることに。

あの時の事は今でも脳裏に残ってる。
席はスタンドだったけどステージの真正面の1列目。遮るものはなにも無い。
4年ぶりの生スピッツ。
みっけのイントロが流れた瞬間に鳥肌。号泣。

そう、そうだよ…
スピッツはやっぱりLIVEなんだよ…
これだよこれ…
あぁ、私、スピッツ大好きなんやなって、再確認できた貴重なLIVEでした。

ここから完全に沼。
底なし沼に落ちました。

そして現在に至ります。

とげまりーなとか、あまったれとか、さざなみとか、ちぃものとか、醒めないとか…その時々のスピッツを浴びれなかった後悔は計り知れない程あるけど…
でも、私は今のスピッツに再燃、完全なる沼落ち出来た事を心から幸せに思ってる。
スピッツが続く限り、私もずっと付いていくし元気でいたいな。
だからスピッツ兄さんたち…どうかお身体には気をつけて。

生きてたら色々あるし嫌な事もあるけど、スピッツに出会えて良かったと常々思ってる。

これからも宜しく!!

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