見出し画像

マイクロプラスチック:現代人の遺体は、大地に還ることは可能か

 あなたは死後のじぶんの肉体の扱いについて考えたことがありますか?ぼくは死後、肉体を大地、又は、海洋に還したいと思っていました。つい数分前までは。ある記事を読み、長年の計画はあっけなく変化しました。今は、死後の肉体の扱いに困っています。なので、みなさんの「死後の肉体についての考え」を教えていただきたく、文章を綴りました。

 以下の文章は、少し長いです。ですので要約を最初に載せます。

①「ぼくの遺体は大地に還れない」
ぼくたちは、魚介類などを通してプラスチックを日々食べている。プラスチックをはじめ、身体では消化できない様々なものを知らず知らずのうちに体内に溜め込んでいる。

故に、これまで「遺体は地球に"還る"」と考えていたが、それは嘘で、実際には「遺体はある程度分解されるが、最後にはプラスチックの残骸が残る」ため現代人(少なくとも魚を食べるぼく)の身体は大地に"還る"ことを許されない。

②「プラスチックはその創造主である人間のもとに還る」
体内に摂取されたプラスチックは、もともと人間たちが作り出し、そして捨てたもの。それによって自分たちの体内が侵食・汚染されているのが、現状。つまり「人間の肉体は大地に還ることが出来ない」が、それに対して「プラスチックは、その創造主である人間に還る」という皮肉な事実、妥当な結果が生じている。

③「食料主権を自覚し、身体を構成する食べ物に選択的になる」
食べる飲むという行為は、体外に存在する異物を体内に侵入させる事である。その侵入を許された異物によって人間の身体は構成されている。故に、一人ひとりが、自らに与えられている“食料主権”を意識して、自分が口にする食べものに、これまで以上に関心を払う必要がある。


④「死後の肉体の扱い」
食べたものによって、ぼくたちの肉体は構成されている。死後の肉体には、生前の生き方が反映されており、現状の食環境では、ぼくの肉体は大地に還ることが出来ない。これまで土に還帰ることを考えていたが、それは無理なので、今は、死後の肉体の扱いに困っている。死後の肉体の扱いを実行するのは、生者なので、遺体になる前に肉体の死後の扱い方について、決めておきたい。


「肉体はどこから生まれてくるか」

 「還す」という概念が、今回の重要なキーワードです。還るという単語を使うからには、死後の肉体の行き先と、死ぬことが出来た肉体の出所(つまり生まれた所)が同一である必要があります。人間はどこから生まれ、どこに行くのか、というのは各々の死生観・宗教観・考え方があると思います。今回、ぼくが言及するところの考えは端的にいうと「人間の"肉体"は地球の外ではなく、地球そのものから生まれ出た」というものです。(ぼくは、魂や精神などの話をしているのではなく、人間の"肉体"について話をしています。)

 例えば、大地に撒かれた種子は(運が良いいと)芽をだし花なり果実を結びます。人間の肉体もそれと同じで、地球外からピューッンとこの星に飛ばされた訳ではなく、地球上の営みによって地球そのものから生まれ出たと考えます。生まれ"出た"とあえていっているのは「生まれ落ちる」などの表現だと、どこか別の星や空から地球に人間が生まれ落ちた、というニュアンスが強いと感じるからです。

 なので、種から芽が出て花が咲き、そして枯れ大地に戻っていくように。ぼくの肉体もそうあるべきだと考えていました。だから、この肉体の死後は、地球の大地や海洋に還したいと思っていました。生まれ出た場所に肉体を戻すことは道理であるとすら考えていました。

 ですが、この頃ある地球規模の課題について知る過程で「ぼくたち人間の身体は地球に還ることが出来ない身体になりつつある」という事実を知りました。この肉体は土に還ると思いきや、還らない。遺体は地球に還元されるかと思いきや、プラスチックの残骸が残るそうです。切ない。ではそれは何故か?


「消化できないものを、好んで身体に侵入させている」

 答えは簡単です。ぼくたちは日々、プラスチックを食べているからです。そして、プラスチックをはじめ、肉体の内部では消化できないものを溜め込んでいます。日々の摂取量は微々たるものですが、それが寿命と考えられている80年90年積み重なるとすごい量です。何故なら消化されないので体内に溜まって行きます。ぼくは専門家ではないので、詳しくはわかりません。排便などによって体外に排出されるものもあるのでしょうが、体内にプラスチックは日々蓄積されているかもしれません。

 上の記事によると、貝をはじめ、魚などの内側にはプラスチックが蓄積されています。このプラスチックは自然が作り出したものではなく、人間が作り出し、そして捨てたものです。自分たちが作り出し、捨てたものによって、自分たちの体内が侵食・汚染されているのが、現状です。

 この現状を冒頭のキーワードに絡めて言い換えるならば「プラスチックがその生産者である人間のもとに還ってきている」ということでもあります。皮肉的でありつつも、妥当でしょう。ぼくはこの頃なにを食べればいいのか、よく考えたいと思うようになりました。魚介類以外にも食べるものはあります。しかし、他の食料として考えられているものたちにも「汚染の状況が広がっている」と指摘する人が多くいます。

 「汚染が広がっていること」「汚染が広がっていると指摘する人がいる」では、全く意味と事実はは異なります。ぼくは専門家ではないので詳しいことはわかりません。ただ少なくとも言える事実は「食品の一部には、汚染されている食品がある」「それを無自覚に食べている可能性がある」ということです。


「食料主権の主張とその実行」

 食べる飲むという行為は、体外に存在する異物を体内に侵入させる事です。その侵入を許された異物によって人間の身体は構成されています。故に、一人ひとりが、自らに与えられている“食料主権”を意識して、自分が口にする食べものに、これまで以上に関心を払う必要があると考えます。

 そうした口にされた食べ物によって、ぼくたちの肉体は構成されています。なので、死後の肉体には、そうした生前の何を、どのように食べてきたのか、という生き方が反映されるはずです。ぼくの現状の食環境では、そういった理由からこの肉体は大地に還ることが出来ません。これまで、大地に還ることが出来ないものをたくさん食べ、それらがぼくの肉体を構成しているからです。

 土に還帰ることを長年当たり前に様に考えていたが、それが無理だとわかった今、死後の肉体の扱いに困ってしまいました。ぼくの死後、遺体となったぼくの肉体の扱いを実行するのは、死者のぼくではんく、生者としての誰かです。死んでからは、その生きる人に対して「俺の体は、こうやってくれ」とは頼むことが出来ません。死んでから、もしくは死ぬ直前に考え方は変わると思うのですが、遺体になる前に肉体の死後の扱い方について、決めておく必要があると考えました。

 ただ、ぼくが前提として今持っている「じぶんの肉体なのだから、その取り扱い方はじぶんで決めることができる」というのは、かなり傲慢な考え方だと思っています。死後、じぶんは生者の行動に対して口出しなんて出来ませんし、この肉体は、そもそも誰のものなんでしょう。地球からぽっと生まれ出たぼくに、この肉体の取り扱い方の決定権なんて、そもそもあるのでしょうか。そんな疑問が脳裏をよぎります。



いただいたサポートは、これまでためらっていた写真のプリントなど、制作の補助に使わせていただきます。本当に感謝しています。