僕なりの論文の書き進め方 その1

気分転換に、ぼくの卒論を書いている際の、「書き進め方」について書きます。自分のために書いているので、わかりにくいかもしれません。自分の頭の整理に、そして、あわよくば誰かの役に立てば、と思い公開しました。わかりにくいや、いい「書き進め方」があれば教えてください。連絡先 FB, Twitter

前提として

僕が所属する研究室は認知や身体知、一人称研究を行っている研究室です。卒論のテーマは「作品とはなにか。及び、制作行為においての外界(他者および作品)との関わりによる認知と意味の変遷」といったことを書いています。これまで作ってきたものを、どのようにして作ってきたのか、そしてその制作行為が他の作品や自分自身にどのような影響を与えているのか、について、今日は書いていました。


書き進めるための手法

1:まず、事実(具体)を書く
2:事実をベースに意味(抽象)を積み上げていく
3:抽象は具体を補完することを促す
4:事実の土台は、ひらめきを生む

卒論を書き進めるために、今の自分が取っている方法この1〜4のような感じです。説明していきます。

1:まず、事実(具体)を書く

ぼくは、作品制作周辺の認知や意味について書いています。「作品の意味」という抽象について論じることは、かなり体力が使います。気分が乗らないと全然書き進められません。頭が回りません。めちゃくちゃしんどい。しかし、頭が回らないからといって、頭がいい感じになるのを待つのは本当に気が遠くなるので、そんな時でも何かしら書き進めなければなりません。

あまり頭が回らなくても、机に向かい、何かしらを書き進めなければなりません。そして、そのなにかしら書き進めたことが、論文を書いていく上で推進力を産むようなものだと、私、とても嬉しいわけです。元気な時には抽象を書き、元気がない時は元気になった時のための土壌をしっかりと整えておこうというわけです。

具体的に何をやっているかというと、「具体的な事実を丁寧に、丁寧に、丁寧に、書く」ということをやります。ねちねちねちねち、具体的な事実を書き進めます。

ぼくにとって「作品Aの意味というのは〜〜」ということを書くのは、めちゃくちゃ体力がいります。一方で、作品の背景などの「事実(具体的なこと)」は、頭を使わなくても書けます。だって考えなくても、思い出せばいいんです。ただただ時間がかかる作業です。例えば、「作品Aの素材はBというものを使い、いつ作った。どこで発表した。素材Bを選んだ理由はこうだ。実際に素材Bを試したらこのようなことがあったので、素材Cにすることにした。」みたいなことです。

こういった事実は頭を対して使わなくても、思い出すだけで書けます。作品の写真を一枚用意して、それを見ながららかけばかなり書き進めることができます。それを丁寧に丁寧にやっていくと、作品の事前の導入だけで数千字の分量を書くことができます。

2:書き連ねた事実を土台にして、意味(抽象)を積み上げていく

そして、そういった具体的な素材が集まって来ると、自然と作品の意味といった抽象的なことが書けるようになります。というのも、事実をたくさん書いていると、事実と事実との関係性に目がいくようになり、それら事実Aと事実Bを繋ぐもの。すなわち抽象的な話をせざる得なくなります。事実を書いているつもりが、いつのまにか気分が乗ってきて、意味などの頭を使わなければいけないものに、いつのまにか取り掛かっている自分がいます。

というより、具体的な事実をたくさん書き連ねたことによって、抽象的なことを論じるための土台が整った、という感覚があります。意味の世界という抽象的な話をするにしても、その抽象を支えるための具体的根拠が、必要であり、根拠もない(自分の中ではわかっていたとしても、論文の中ではいちいちそれを説明していく必要がある)ものを書くことはできは。しかし、具体的な事実を書き連ねたことによって、抽象的なものを支えるための具体的な足場は示されています。

3:抽象は具体を補完することを促す

また、今度は、抽象的な話を書いている途中で、具体が書き重ねられるということが起きます。ある抽象を書いている時に、その抽象支えるため柱(=具体的な記述/事実)が足りていなのか?ということが具体的に把握されます。

抽象Aを読者納得してもらうためには、すでに書かれているa, b, cという話題だけでなく、今は書かれていない事実dについて示さなくはいけないな、ということに気がつきます。

ぼくは思考が分散する(よく言えばひらめく)ことが日常的にあり、人と会話をしていても、「脱線した」と思われることが少なくありません。しかし、脱線しているように感じられても、僕の中ではたしかに繋がっているのですが、新しい話題が基の話題とどのように繋がっているのかを示さなくてはなりません。むしろ、どのように繋がっているのかを示す事実をしっかりと聞き手に示すことによって、脱線したと当初は思われていた話題が、実は基の話題と繋がっており、また、基の話題をおおきく進める(飛躍させる?)ために必要なものだと言うことを理解してもらうことができます。

4:事実の土台は、ひらめきを生む

事実をしっかりと書き連ねていくことによって、当初は思いつきもしなかった抽象を思いつくことがあります。これが一番すごい。ひらめくためには、ひらめくための土台が必要ということが、今回卒論を書き進めていたわかった。事実をたくさん書き連ねているうちに頭の中が掘り起こされている感覚。

そして、ありがたいことに、このこの種のひらめきというものが、僕の論文を大きく前進させることになる。なぜなら、作品の意味の変遷についてぼくは書いているので、この発見のプロセスが本当に必要(だし、めちゃくちゃきもちがいい)。論文を書くことで新しい意味を掘り起こす・醸成する・発見する、このこと自体が作品を前進させることになっているので。

まとめ

そういったわけで、具体的な事実を書き進めていくことによって、頭を使う作業と思われていた抽象的なことを書くのがすんなりと進んでいきます。そして、抽象的なことを書くことによって書かなければいけない事実が浮かび上がります。相互補完的に具体と抽象が助け合うことで、どんどん書き進めていける感覚があります。


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