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失敗vol.3『恋愛の失敗』

春なので、恋の香りがする。なんて言葉を恥ずかしげもなく使える人に、憧れを抱く。先日、とある方と東京タワーの近くの芝公園にお花見にいった。今年の1月から仲良くしているA.Hという方で、一冊の本をいただいた。本田健さんの「20代にしておきたい17のこと<恋愛編>」。その第3章に「自分の失敗パターンを知る」というのがあり、大変興味深い内容が書かれていた。また、数年前より失敗のレジュメというこれまでの「失敗」をまとめる文章を書いていることもあり、そのvol.3として「恋愛の失敗」についてこれから書く。

この「失敗のレジュメシリーズ」は数年前によんだティナシーリグさんの「What I Wish I Knew When I Was 20 (日本語名:20歳のときに知っておきたかったこと)」という本の中で描かれていた「失敗のレジュメ」というものを参考にしている。



1:セルフイメージが低い

じぶんの恋愛に、ストップをかけているものはなんだろう。こんな自分ではだめだ、という数多のコンプレックスがある。例えば、ぼくは身長が167cm、髪の毛に相当癖の強いパーマがかかっている、肌が黒い、一重と奥二重で二重がない、指がむちむちして赤ん坊みたいetcと容姿に関するたくさんの「こうだったらいいなぁ」を抱えている。

ぼくは正直、それらのことについてはもうずいぶん、どうでも良くなっているのだけど。時々、特に自信がない時などに、それらを使って自傷行為を加速させてしまう。容姿に関するいくつかのコンプレックスは整形手術だとか、運動とかでなんとかなると思う。しかし、一つコンプレックスをやっつけたところで、際限なくコンプレックスは出てくるように思う。ならば、無くそうとするのではなく、いかに向き合うか。受け入れるか。

欠点のない人間なんていない。欠点があるから人は美しいんだ、とぼくは思わない。けれども、色々な友人を思い浮かべて見ると、欠点があろうが、彼らの魅力は失われない。たとえ欠点があったとしても、それごときでは、じぶんの価値は損なわれるものではないと知ること。


2:好きな人に好きと伝えることを躊躇しない

好きな人に好きと伝えること。それを自分に許可するのに、相当の努力がいる。ぼくにとって相手は、もう、すばらしく見えてしまっていて。そんな相手と比べると「こんな自分では」と、思ってしまうことが本当に多い。自信を持つために、何かを努力して、今の自分を変えていこうという意思とその実践は素晴らしいと思う。けれど、そこの完璧性を持たせてしまうと、いつまでたっても、思いを伝えるということはできない。そして、相手への幻想(?)が異常に肥大化していってしまう気がする。


3:告白を急ぎすぎない、遅くしすぎない

これまで何度か告白をしてきた。告白には、タイミングや、時期というものがあるのだと思う。とあるひとに告白をして、フラれた。フラれた理由はいくつもあるだろう。が、いつ告白をするのか、ということをもっとマネジメントすることが出来ていればと思うことがある。

「恋愛でも、仕事でも、人間関係でも、たいていの人は、同じ失敗を繰り返します。たとえば、好きな人ができるとすぐに告白する人。告白した途端にフラれるのが「いつものパターン」です。これは、相手に心の準備ができていなことに気づいていないのです。それで同じ失敗を繰り返すことになります。これとは逆で、待ちすぎてフラれるパターンの人もいます。いい雰囲気だったのに何も行動を起こさないため、相手が「自分には興味がないんだ」と去ってしまうのです。」(p47)

この文章は、まさにそうだな、と思う。早い、とか、遅いには一般的な法則はない。が、相手の心の準備、温まり具合にあわせて告白をするというのも大事な要素だと思う。自分が、自分が、という頭に昇った血をどうにかこうにか落ち着けることができれば、見極められるのだろうか。そんな恋愛できるかなぁ。

4:無理に告白する必要も、ない

まさにその通りで、告白をする必要もなない、と思っている。恋愛、というのはその当事者たちのQuestionであり、じぶんひとりで進んでいくものではない。相手がどういった形の恋愛を望むのか。居心地がいいのか。一緒に入れるのか。以前、ある人と話をしていると、その人はこんなことを言った。

「好き、にわたしは巻き込まれたくない。
好きとか嫌いとか、そういった単純な対立の中で人と一緒に居たくない」

好き、の中身は千差万別だ。そして、その実現の方法も無限にある中で、「好き」の模範解答のような中で、恋愛をするのは、ぼくには心苦しい。たとえば、ぼくは「彼氏 - 彼女」という言葉が、嫌いだ。友人が「彼女欲しい」といった発言をするたびに残念な気持ちになる。

その発言は、到底、特定の誰かに恋い焦がれているように思えない。彼女、という属性を使って、自分を慰めたいだけなのだと。たとえ、その彼に彼女と呼べる人ができたとして、その名前のある彼女は、いずれ元カノと呼ばれるようになり、新しい彼女がまた彼と時を過ごす。有限にそれを繰り返す中で、彼は、彼女という箱に、名前のある人々を入れ替え続けていくだけなのだ。

だから、それと同じように、「好きな人」に、特定の誰かを当てはめようとする態度も、もう終わりにしたい。人を好きになることを避けたいのではない。じぶんの気持ちを捏造したり、相手をよく見ようともせずに、手持ちの言葉で相手や、相手との関係を語ろうとしてはいけない。語る言葉をもたないのなら、無理に告白をする必要は、ない。


5:性欲について、お互いで、話す

様々な欲望が日々生まれている。そして、思考の力でその欲望を正当化してしまう。欲望に振り回されると、自分の生活に支障をきたしたり、誰かを傷つけたりする。じぶんに欲望があることを、抑え込む必要もない。抑え込むのではなく、それをどのように扱うか。だから、それをパートナーを話をして見たい。体の関係について 、相手と話してみようとしたことはあるけれど、まだまだ足りないと思う。

ただ、話をしたくない人に、無理やり話をさせる必要もないし、話をしたいという人に「絶対に言うな」と命令することも出来ない。ポジティブな話題もそうでない話題も、相手に話をしてもいい。そう思える関係性を作りたい。100%さらけ出し会うのがコミュニケーションでもないし、お互いの過去の話を全て話せる時間もない。だから、気のすむまで話をするというのではなく、話をしてもいい。と思える関係性の方が、より大事?かな。


6:贈り物をすることで、何かから逃げない

ぼくは、贈り物をすることが好きだ。10代がおわるころに、憧れをいだいているひとたちが、たくさんのプレゼントをしてくれたから、そこに影響を受けている。なにかをプレゼントできる人はかっこいい。でも、時に、それをやりすぎてしまっている気がする。

去年、仲良くしていた人には、よく贈り物をしていた。手紙、綺麗な石、花、器、アクセサリー、地方のお土産、チョコレート、詩集。たくさんのものを送った。けれど、途中から、なんだか素直なきもちだけではなくなった。感情に踏ん切りがつかない、というより、なんだかあげることが目的になってしまっていたし、それで相手を支配しようとしたり、支配できないことに、イライラしていた。

プレゼントを贈ることは、いまでも素晴らしいことだと思う。けれど、そういった物質的なものに、逃げていた。相手をみることを、喜ばすことを、自分を伝えることを、プレゼントを渡す。という一見すると素晴らしいことによって、代替えして、逃げていた。贈り物をすることで、逃げないこと。

7:仕事を共にすることから、逃げない

以前、当時仲の良かった方とお仕事をする機会があった。ぼくは普段写真の仕事もしていて、時々クライアントさんから「こんな人いない?」と言われた。その時に思い浮かんだのは、当時とても仲の良かった人。その人ととは、ひょんなきっかけで出会って、出会った日から仲良しになった。仕事の話が来た時、付き合ってはいなかったけど、週に何回も会ったり、夜に長電話をしたりする仲になっていた。だから、その日も彼女に「モデルをやってくれませんか?」という電話をして、二つ返事でOKをもらった。順調に見えた。

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