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「またね」の流儀

1年とちょっと、ベビーシッターとしてかかわらせてもらっている男の子がいる。

ひろくん、6さい。

出会ったころは、オタクレベルの電車好きに感心したものだった。お絵かきをさせたらパンダグラフまで丁寧に描く。将来の夢は「でんしゃ」。決まってプラレールであそんだ。

最近のお気に入りは、マリオカート、オセロ、将棋、2人野球(ゴムボールをペットボトルバットで打つ)。ゲーム性のあるあそびに興味があるらしい。

いずれのあそびも手加減なく戦うわたし。オセロは勝つが、マリオカートと野球は互角。将棋は簡単に負ける。悔しくて最近将棋アプリをダウンロードした。こうやって子どもによって自分の好きなことや興味関心がひろがっていくのは楽しい。

あそびが変わりゆく中で、昔と変わらず楽しんいるあそびがある。トントン相撲だ。ただ、あそび方は確実に進化している。

これまでは、トントンしてお相撲さんがコテッと倒れるだけで楽しかった。今はちょっと違う。横綱、大関、関取、小結…階級によって紙のお相撲さんの体型を変え「はっけよーい、のこった!」。勝ち負けを楽しむ。


その勝ち負けにおいて、ひとつ気になっていることがある。

それは”負け”が見えると「もうおしまい!」と言うようになったこと。自分に有利になるようなちょっとしたズルを働かせることもしばしば。

それをひろくんのパパは「また自分の都合のいいようにして」と制するのだけど(ひろくんのお家は両親とも在宅の中シッティングをさせてもらっている)、わたし自身は彼とどうかかわるべきなのか迷う。

ズルすらも成長の過程だよなぁ、と思っちゃうからだ。

もしそれで嫌な気持ちになったとしたなら「嫌だな」って言うけど、別にそうでもないから余計困る。

だったら別の場所で学んだらいいじゃん。その方が自然だとわたしは思うんだけどどうなんだろうなぁ…。もやもや。


ひろくんに会うのは月1くらいのペース。

彼にとってわたしはどういう存在なんだろうなー、とときどき思う。

お仕事などママやパパの都合による依頼がほとんどな中、ひろくんのお家は「息子が会いたがっているので、ぜひお願いします」と子どもを主語とした依頼をくれる。わたしはそれがとてもうれしい。

その割に人懐こさ皆無なひろくん。そこが彼のいいとこでもある。

毎回「よ、ひさしぶり、なにしてあそぶ?」ってな感じでライトに出迎えられ、「じゃあね」ってハイタッチして軽やかに別れる。


あの頃死ぬほどあそんだプラレールやトーマスは、今やほこりをかぶっている。卒業は突然だった。心なしか寂しそうに見える電車のおもちゃたち。

ベビーシッターからの卒業もそう遠くないだろう。

今日が最後かもしれない、って毎回思う。

次があるかなんてわからない。

だけどわたしは別れの際「バイバイ」じゃなく「またね」って言う。

いつか本当の「バイバイ」がきたとしてもそれはそれ。

いつだって「また会おうね」の気持ちでいたいなーと思うのだ。

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