ちょっぴりだけ信じている
今年の夏はあまりに暑くて、このまま延々に夏なのでは?と思ったけど、季節はやはり巡るもので、秋を越えて今、ちゃんと冬に向かっているのだから、地球ってすごい。
もうすぐ12月。
街はすっかりクリスマスの雰囲気だ。
思い出すのは、いつかのサンタのこと。
子どもの頃、サンタの存在を本気で信じていた。
「サンタさんなんていないんだよ!」と周りの友だちが言い出すようになっても、
でもなー。だっているんだよ、と思っていた。
それくらい母は完璧だった(今思うとちょっと恐ろしくもある。笑)。
結局、サンタからのプレゼントがフェードアウトする高校生まで信じていたわけだけど、
それほどまでに信じていたのには、完璧さの他に2つ理由がある。
ひとつは「手紙」
毎年フィンランドから手紙が届いていたのだ。
送り主はもちろんサンタさん。
サンタから手紙が届くサービスがあることを知ったのは割と最近のこと。母にそんな遊び心とマメさがあったとは。
話が少し逸れるが、うちは家族で鍋をしたことがない。母曰く「鍋なんてものは、幸せな家庭がするもの」だからだ。うちが幸せか不幸せだったかはさておき、そんな母が、クリスマスにせっせとサンタに手紙を送っていたことを想像すると、なんだかおかしい。
もうひとつは「鈴の音」のこと。
ある年のクリスマスイブ。
あの夜、たしかに聞こえた気がしたんだよなー。
シャンシャン……っていう鈴の音が。
遠くからシャンシャン…がだんだん近づいてきて去って行くまで、わたしはぎゅっと目を閉じていた。なんとなく見てはいけないような、そんな気がしたからだ。
空飛ぶソリに乗ってやってくるサンタさん。
赤い鼻をもーっと赤くしたトナカイ。
そんな景色が頭の中いっぱいに広がる。
朝目覚めると、枕元に赤い袋のプレゼントがおいてあった。
「サンタさんへ」としておいておいた、みかんやホッカイロと引き換えに。
「おかあさん、きのうのよるね、すずのおとがきこえたの!」
こんなファンタジー娘の姿を、
母はどんな気持ちで見つめていたのだろうか。
緩やかにサンタの存在を知り、大人になった今。サンタにプレゼントのお願いをすることもなくなった。欲しいものは自分で手に入れる。
だけれども、いまだにどこかで、
サンタの存在をちょっぴりだけ信じている。
きっと鈴のせい。
鼻がつんとする空気。澄んだ空。
イルミネーションの中を歩くとつい耳を澄ませてしまうのは、あの時の鈴の音にまた出会えるかもしれないって、そう思っているからかもしれない。
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