ある種の刹那。新宿ゴールデン街と夜の果て

bar=止まり木
tender=優しい

「Bartender」という漫画の中で、“バーテンダーは優しい止まり木を意味する”というワンシーンがある。

まさにそうだなぁ、と思う。

どこか消化しきれなかった日、心の余白が足りなくなってしまった日、ただ誰かとしゃべりたい日、月がきれいな日、夜風が気持ちいい日。

これまでに何度barで羽を休ませてもらってきたか知れない。ときに鳴いたり舞ったり群れたりもしてきた。


最近は新宿ゴールデン街の一角で飲むことが多い。なかでもbar SONOがお気に入り。

職場でも家庭でもない、何か共通の趣味のサークルとも違う、雑多なサードプレイス。

わたしはこの場所にゆるい引力で惹き寄せられた人のたちが、たまらなく好きだ。

通いはじめて数ヶ月。顔なじみの友だちもできた。

基本的にみんな酒好きではあるが、訪れる理由はきっとさまざま。もしかしたら酒以外の要素の方が大きいんじゃないかって、そう思ったりもしている。

例えば、恋とか。

あるいは理由なんてないのかもしれない。


いつ行っても誰かしら知っている顔がいるというのは、どこか安心感があって居心地がいい。


会いたい人に会える夜もあれば、会えない夜もある。

でもとくに連絡をしたりはしない。「ちぇっ。残念…」と思いながらちびちび酒を飲むのだ。

このスマホ時代にこの感覚は、なかなか趣深かったりする。


どんな夜になるか予想がつかないとこも、よい。

“そのとき”の波に乗る。

穏やかな日もあれば、やんちゃな夜もある。

ごくたまにではあるが、場の雰囲気とお酒も相まって感情が乱れる日もあって、そんな日の帰り道は、まじなにやってんだろうなーと情けなくなることあるけど、でも同時に“あー生きてんなー”とも思うのだった。


ここには過去も未来もない。

圧倒的に“いま”がある。


そんなゴールデン街で出会って仲良くなった一人が、今月(あと数日しかない…!)アメリカへ旅立ってしまう。

寂しい。

barでたまたま出会って、なんとなく仲良くなって、会えば飲んで喋って。それだけの関係性のはずなのに、ちゃんと寂しいんだから不思議。

そして別れはいつだって突然だ。

ずっと“いま”が続くわけなんかないってことはわかってる。

わかってるはずなのになーと思う。


儚いものは美しい。

刹那的なものも含めてこの場所の魅力なのかもしれない。


かつて下北沢の横丁で呑んだくれていた頃、ある人がこんなことを言っていた。

「ここは夢をかなえる街なんかじゃない、夢喰う街だ」

ここ、ゴールデン街も同じ匂いがする。

24,5だった当時は、その言葉をなんとなく諦めに近い意味として捉えていた。ただ今思うのは、喰うだけのそれがあるんだってこと。

上等だ。

今夜もなけなしの夜を消費して、使い果たそうじゃない。

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