変態は褒め言葉である!(後編)

めっちゃくちゃ遅くなってしまったんですが、後編です。
世の中には変態が多すぎる。すばらしい。


クレヨンのどうせ捨てちゃうとこの黄をください 星を 星を描きたい/御殿山みなみ

実に変態である。なんだろう、この切迫した感じは。クレヨンの黄色、というのは、どうだろう、個人的にはそこまで不人気な色だとは思わないのだけど、でも、この主体にとっては「どうせ捨てちゃうとこの」って語られてしまうカラーなんだろうな。「どうせ捨てちゃうとこの黄」で「星」を描きたいと願うことの歪な感情。強い息苦しさを感じさせる一字空けの連続とあいまって、まさしく変態である。

「だ~~れだ?」多分天使だ手ではなく羽でしょう目を塞ぐひらひら/葵の助

実に変態である。だれなんだろう。ふしぎなのは、この一首を包む絶大な幸福感だ。たいせつなひと、たとえば自分の子どもを天使と喩えているようにも思えるし、あるいは本当に天使そのものを詠んだ幻想詠なのかもしれない。目を塞がれて、なにも見えない空間のなかで、聴覚→映像→触感の順に想起させられるやさしい光景。変態である。

へこむ日は踏切からも伸びて来るやさしい腕を見てしまったり/一ノ瀬礼子

実に変態である。ホラー詠という幻視を含んだ一首は、外部へのストレスに対する反応でもある。この不気味なはずの「腕」を「やさしい」と形容してしまうあたり、主体の実に倒錯した感情が見て取れます。並列「たり」の言いさしで終わる結句も現実ではない「腕」に救いを求めているようで、「へこむ」という非常に口語的な感情表現のなかに込められた日々への鬱托とした思いを感じさせます。変態である。

島なまり話す妹の声きけば受話器のむこうはきっと青空/瀧川一麿

実に変態である。妹萌え。おそらくは上京した兄と、おそらくは島に残っている妹との、なんときれいなワンシーンを描いた一首でしょうか。妹萌え。妹の人柄を表すような電話の向こう側の快晴の島の情景。妹萌え。もしかしたら受話器のこちら側は、反対にすこし曇っていたのかもしれないけれど、それすらも電話の向こう側のあかるい声が晴れやかにしていくようなそんな爽やかな空気を思います。妹萌え。変態である。

「ととのう」というしずけさよ定型の孤独のさきを見つめておりぬ/宮下倖

実に変態である。倖さんのは正直、好きな歌が多すぎてどの歌を引こうかと迷ってしまうのだけど、敢えて外連味よりもワビサビのありそうなこちらの一首を。歌全体として凛とした雰囲気があって、ピンと空気が張りつめるような韻律。まさしく歌の通りに「定型にととのえられた」からこその孤独が、そこに独特の空気を生みだしています。まさしく変態である。

この部屋に雨の匂いを連れてきた人の名前がほしい明け方/尾崎七遊

実に変態である。尾崎さんは、あまりネット上には短歌を発表されていないようなので、フォロワーさんだけれどもあまり作品を読む機会のない詠者さんだ。多才なひとで、この歌とかも読むと他の作品もぜひとも読みたくなるんだけど、短歌の発表の仕方はそれぞれのスタンスがあるので難しいところですね。それにしても不思議な雰囲気を持った歌です。独自のやわらかさがありますね。変態である。


思い出が消化不良のまま残りずっと胃もたれしたままなんだ/モカブレンド

実に変態である。けっこう素直な比喩なんだけど、素直な分、そこに感情の重さが伝わるような気もします。どんな思い出なのかは一首のなかでは語られないけれど、きっとどの読者にも似たような経験はあって、すっと沁み込むような歌です。二ヶ所の無理のない句またがりが「消化不良」を表しているようです。変態である。

大切なものがなくても歌ってよ記憶のままに聴いてるからさ/永峰半奈

実に変態である。たぶん多くの人は「大切なもの」を歌う。あるいは、大切なものでなくても、それを「大切なもの」だとして歌う。でも、この主体が望むのはそうではないのだという。もしかしたら、それを聞くことでだれかにとっての「大切なもの」だと錯覚したいのかもしれない。きっと記憶のなかではそうであったように。そうではないことを自覚している、ようにも思う。その物悲しさ。変態である。

警告のようなものかな石榴の実を肩すれすれにカラスが落とす/雨虎俊寛

実に変態である。カラスの威嚇というのは(特に繁殖期であれば)よくある光景なのだけど、それが石榴というのが趣深く、また一首の構造としては、「カラス」が犯人であることが結句があかされるミステリのようなスタイルが読んでいて楽しい。それにしても「なに」に対する警告だと主体は受け取ったのだろう。きっと思い当る節があるのではないかと思う。それは主体にも、あるいは読者にも。変態である。

夕立よあと五分だけ降り続き自販機前を孤島にさせて/シリウス

実に変態である。雨の降り続く自販機前を「孤島」と表現する比喩もよく、それが願いに説得力を持たせている。その背景にうっすらと見えてくる感情はなんだろう。読みとしてわかれると思うのだけど、この自販機前にいるのは「ひとり」だろうか「ふたり」だろうか。それでずいぶんとイメージの変わる歌だとは思うのだけど、個人的にはこの一首、「ひとり」でいる歌なのだと読んだ。変態である。

海にいきたい と書かれた青色の付箋がホームに貼り付いている/小川けいと

実に変態である。そして奇妙に切実な印象を受ける。『ホーム』というのは、ここでは『駅のホーム』として読んだ。そこに貼りつけられた付箋は、だれのものともわからないものでありながら、同時に主体自身の叫びなのだろうと思う。見知らぬひと=存在したかもしれない自分、というパラレルなリンクのなかで、ふっと潮騒を聴くような「どうしようもなく取り残された感じ」が一首のなかに漂っている。変態である。

我が襟に妻が香りぬ。同居とは洗劑同じくして服洗ふこと/さとうひ

さとうひ爆発しろ。どかーん。



向かい風 君に好きだと言うための肺活量を持たない僕だ/イトコ

実に変態である。なんて爽やかな変態だろう……じゃなくて青春だろう。初句切れが実に気持ち良くある。きっと言えないこと自体も心の底では楽しんでいるタイプの変態である。でも、それでいいのだと思う。だって、それこそが青春じゃないか。みんな変態でいいじゃないか! なんか熱くなってしまったけど、この歌はそうさせるだけの熱量がある。変態である。

潮騒は喝采である。あなたへの、またはあなたの汚れた指への。/満島せしん

実に変態である。まず句読点が変態である。個人的に短歌に句点を使うのは、けっこう変態だと思うんです。ただ、この句点には必然性がある。そこから希求される熱量が一首を包むための必要な句点。どのような一首なのだろう。実景としては、よくわからない。けれども、この歌はわたしたちの「汚れた指」をいじらしいまでに肯定する。その熱量を、この句読点が包んでいる不思議。変態である。

無人駅のベンチの裏の約束を空にさらしている水たまり/近江瞬

変態である。本来ならだれにも見られないようにひっそりと描かれた約束が、雨あがりの奇跡のような一瞬の中で静かに晒されている。しかもそれを見ているのが「空」だというのがとても洒落ています。もしかしたら忘れ去られていくだけの、けれども大事だったはずの約束の存在をクローズアップする一首。それは残酷なことなのかもしれないし、だからこそ美しい。変態といわずしてなんといえばいいのか。

現実が押し寄せてきてもいいように将来の夢は大きめにする/諏訪灯

実に変態である。とてもやさしいことを言っているのに、それがきれいごとには感じないのは、この歌が「現実」の内包する残酷さを嫌味なくすっと一首のなかに組み込んでいるからだと思う。現実がやさしくないからこそ、この一首に込められた願いは強くてやさしい。変態である。

「次回から表示しない」にチェックしてなにかをひとつなくしてしまう/岡桃代

実に変態である。これはどうでもいい情報なんだけど、たぶんこの歌は「うたの日」の次席作品としては最高点を取っています。これだけの良い歌なのに首席ではないのは驚きなのだけど、それは例えば百人一首の四十番「忍ぶれど~」と四十一番「恋すてふ~」が歌合にて対峙してどちらも読み継がれているのを思い起こしますね。独特の喪失感が、すっと沁み込む名歌です。変態である。

むかしむかしあるところののっぺらぼうだった自分よ さよならいつか/がね

実に変態である。がねさんはツイッターのプロフィール画像も全裸という生粋の変態歌人なのだけど、この上の句の6・6・6の独特な韻律から下の句に跨いで一字空けという非常に印象的な造りのこの一首はまさに特筆すべき変態歌である。この平坦な韻律が実に「のっぺらぼう」であることを強調している。この主体は、今は顔を得たのだろうか。そしてそれは幸せなのだろうか、ということを考えます。変態である。

たましいがまったく光らなくなってから見るゲリラ豪雨きれいだ/ハナゾウ

実に変態である。まず韻律が変態だ。「たましいが/まったくひから/なくなって/からみるげりら/ごううきれいだ」と過剰なまでに駆使される句またがりの音が、けれども歌のなかで「わたし」と「世界」の境界線をごっそりと取り除くような感覚に襲われる。ハナゾウさんはこの歌に限らず独特な韻律の歌が多く、うたの日のなかでも「音」だけで誰の歌かわかる稀有な歌人だ。それはすごいことだと思う。すごい変態である。

ヴァイオリン弾きの鎖骨の曲率はひとつの神秘の夢を描いて/みやや

実に変態である。ラストの一首は、わかりやすくフェティシズムの変態性を持ったこの歌。おそらく説明するまでもなく変態である。ヴァイオリン弾きの鎖骨……そして、その曲率である。とても変態度の高い歌。すばらしい。それを「神秘の夢」とするのは、まさしくフェチ人の鏡。変態を通り越して、崇高にも思えてしまう。変態である。

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