塔2018年4月号感想⑤(終)

 気がついたら5月号が届いている!
 急いで最終回をアップします。

★作品2欄 小林幸子さん選歌欄から

児の歌を冷泉流に読まれをり神の御前に昇殿をして/三浦智江子

自分が詠んだ子供の歌、と取りました。神社への奉納短歌で入選されたのでしょうか。冷泉流の披講のなか、歌を通してお子さん自身がまるで神と対面しているような非日常性とひそかな誇らしさを感じさせる歌ですね。

みえざるを何か啄むセキレイのセキレイこそがまぼろしだらう/千村久仁子

哲学的というか、どこか衒学的な雰囲気の漂う歌ですが、その独自の感覚と、「セキレイ」の反復による流れるようなリズムが一首に心地よさを産んでいますね。セキレイも、あるいはその先の見ている主体すらもまぼろしとなって消えてしまいそうな危うい感じが魅力と思います。

石像のライオン二頭座しており阿吽をまねてきみと吠えたり/宮内ちさと

なんだろう、このほのぼのとした感じ。親しい人とのたわむれの場面でしょうか。上の句がくっきりとしたどちらかといえば硬質なシーンを形作り、そこから「阿吽」で繋いで一気に力を抜いた景に持ち込むことで、一首に緩急が生まれているようです。

ながながと心の叫びを書いてのちtweetボタンがいつも押せない/海老茶ちよ子

共感の気持ちから選をした歌なのですが、それにしてもツイッターという現代的なアイテムの使用に嫌味がなくていいですね。わたし自身ツイッターをしているので、似たような経験があります。この次に載っている「キスをするためには口を噤まねばならぬと知ってのちの星空」と合わせて読んでさらに味わい深い歌かもしれませんね。

空っぽのケージに空の皿と鉢が朝の陽を受く猫逝きしのち/清原はるか

買い猫の挽歌。アイテムの使い方がうまく、存在の空白が強く際立ちます。胸が締め付けられますね。

倒れ伏すランター達こそ愛しけれ笑顔の勝者のインタビュー切る/黑田英雄

駅伝のワンシーンとして読みました。いやあ、ひねくれていて最高ですね!(※褒め言葉です) あまり大きな声で言うべきではないでしょうが、実際、繋がらない襷やブレーキとなってしまう選手というのは、駅伝などのスポーツの見所のひとつでもあります。そのシーンに係助詞まで用いて「愛しけれ」と述べてしまう倒錯は、読んでいてドキドキします。

鍵穴に合わない鍵を渡されてこの世界へと生まれてきたの/はなきりんかげろう

どこかポップスの歌詞のようでもあるんですけど、この感覚が、現代的というか、この絶対的な孤独感をすごく巧みに表現しているようで気になった歌です。

重ねれば重ねるほどに豊かなり今治生まれの白きバスタオル/魚谷真梨子

大きければいよいよ豊かなる気分東急ハンズの買物袋(俵万智)を想起しました。その豊かさの象徴を都会的な東急ハンズに求めるバブル期の感覚と、地方特色性のある今治タオルとの対比がおもしろく思います。

夫在ればともに語るらむ子の婚のよろこび秘めて行く冬日射し/山尾春美

もうこれはね、「語るらむ」の文語のうつくしさですよ。お子さんの結婚を、今は亡き夫とともに喜びたかった。けれども夫はいない、というその寂しさもありながら、「よろこび秘めて行く冬日射し」という下の句の控えめな動景。その雰囲気が「らむ」という助動詞で一気に広がるような、言葉の選択の綾がみごとですね。

★若葉集 三井修さん選歌欄から

足跡は残したくないできるだけ踏みしめられた雪上を行く/椛沢知世

雪をできるだけそのままにしたいという欲求にも読めるし、できるだけ「自分の痕跡を残したくない=ひっそりと生きたい」という心情にも読めますね。雪ということばの持つイメージがふんだんに想起されて、どこか一首にうつくしい儚さが漂います。

小麦粉に水をあわせてゆくときに原始の生は手を伝いくる/泉乃明

この感覚はおもしろいですね。たしかに小麦粉を捏ねているとき、そこに生を感じるような手触りというのは、感覚としてとても分かるものです。その感覚を捉える視点の持ち方がいいなぁ……。

わたあめを首に巻いてるカラフルな女ばかりで怖い駅前/うにがわえりも

成人式のショールでしょう。たしかに「わたあめ」という比喩はピンと来ますし、それを「怖い」とする感覚もわかります。その怖さに、「わたあめ」「カラフル」という説得力をきちんと持ってきているのが巧い歌だなぁ、と感じます。

そして全てを諦めてゆく夕暮のコーヒーにがいテレビつまんない/頬骨

この下の句ですよ。この投げやりな感じが、すごくいいですよね。なんというか、一瞬だけやる気になった感じの夕暮すらも投げ出して、歌うことすら諦めてしまったような虚脱感。その脱力した物言いが「全てを諦め」たというテーゼの象徴として機能しています。

どの溝も合わずに捨てた鍵は今魚になって跳ねる海面/とわさき芽ぐみ

モチーフとして上記のはなきりんかげろうさんの歌と一緒なのですが、それをこちらは独特なイメージで詩的に飛躍させていますね。鍵が魚へと変貌する、そのシュルレアリスティックな手法が一首をあざやかに輝かせています。

母を恋うようにあなたを詠むだろうタンポポ飛んでタンポポになる/仲町六絵

この歌は下の句が魅力ですね。タンポポのリフレインがとてもとてもきれいに効いています。

雨を眺めるのが好きだったベランダに出しっぱなしの靴まで濡れて/はたえり

この感覚、好きです。この歌の魅力を語ろうとすると、感覚的すぎて難しいんですよね。もしかしたら伝わらない人にはまったく伝わらないタイプの歌かもしれないとも思うのですが、その零れ落ちてしまいそうな感覚をつかんでくるところがたまらなくたまらないのです。

ゆき先の見えぬ道のり手探りで歩むに似たり 抗がん剤替わる/里乃ゆめ

どこか茫洋とした四句までのイメージが、結句の「抗がん剤替わる」の言葉で一気に重力を増してきます。結句の切れが、一首を遡って影響を与えてゆく……四句切れの醍醐味ですね。内容のテーマ性もさることながら、その技巧性に目を惹かれました。

(※若葉集の選は、三井さんの選歌後記と被りまくったのでちょっと焦りました)

★  ★

思いのほか時間がかかってしまいました。今回ので少しは慣れたので、次はそこまで苦労はしないと思うのですが、ちょっとやり方は考えた方がいいかもしれません。
ただ、こうして評を書くのは勉強になりますね。自分がその歌のどこに惹かれたのか、言語化することによって明確になるのは助かります。いっぽうで、言語化できないところを削ぎ落としてしまっているように感じるのはまだまだ学びが必要なところです。
最初は隔月と言っていたのですが、ちょっとこのペースだと厳しいですね。とりあえず次回は7月号で挑戦しようと思います。

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