変態は褒め言葉である!(前編)


先日、ツイッターで「#いいねした人の2018年の短歌から一首選んで感想を書く」というタグに反応して頂いた方の歌に感想を書かせて頂きました。
なお、評のなかに「変態」という言葉が多用されていますが、これはわたくしどもの界隈では最大級の褒め言葉であることを御留意いただければ幸いです。
後半は年明けになっちゃうかもなぁ……できるだけ早めにやりたいところです。


あと30年は元気でいられるよ いま飲み込んだきみの唾液で/平出奔

実に変態である。平出奔さんことヒライデホンさんは、口語のなめらかな律をたいせつにするひとだと感じる。ときに定型であることを逆らってでも、自分のリズムで詠むことを重視する。それは定型に収まりきらない自分の感情をいかに発露すべきか悩んだ結果なのではないかと思う。この歌の「飲み込んだきみの唾液」はキスだと読むのが自然だと思うのだけど、どこか小学生が好きな子のリコーダーを舐めているような奇妙な倒錯を感じさせるのが楽しい。唾液で30年である。変態である。

殴りつつ笑え笑えと怒鳴る人なんでこの人好きなんだっけ/藍笹キミコ

実に変態である。歌の状況もそうなのだけど、そんな異質な状況にも関わらず、冷静な描写と、冷静な疑問……その描き方が実に倒錯している。幸せな歌ではないんだけど、レトリックを排した平易な文章で不幸を淡々と描くことに奇妙なうねりが見え隠れする。個人的に「それを歌にする」という行為は、「対象がなにかしら特別なものとして詠み手が認識している」という風に解釈している。つまり、だからこれは「特別なもの=日常ではないもの」として行為を捉えているはずなのだと読むのだけど、幸せな歌ではないし、やっぱり実に変態である。

職質をパスしたあとで警官と公園で作るねるねるねるね/芍薬

実に変態である。もはや変態しかいない。歌を詠む人間なんてやっぱり変態ばかりだ。「ねるねるねるね」はお菓子の名称。粉末を水に溶かしてゆくと粘度のある食物に変わるものなのだけど、その作り方は見てゐると実にあやしくて、良い大人が公園で作っていれば職質にあうのもありえるかもしれない。そこまでは理解できるのだけど、この歌はさらに踏み込んで警官と一緒になって「ねるねるねるね」を作り始めてしまう。発想が実に変態である。その奇妙にほのぼのとした景が楽しい。

少女にも人は殺せる おぼえてて 生んだのだからほろぼしていい/菅沼ぜりい

実に変態である。そして狂気的である。観念的な歌で、具体には欠けるところがあるのだけれども、それが歌全体から広がる怨の圧量を増しているように感じる。その恐怖感は、この歌を取り囲むような『生む』『生まれる』という少女性によるものだと思う。生む側であり、同時に生まれた存在でもある少女は、殺すこともほろぼすことも許されていて、あるいは許されていなくて、ただ、そこにある不気味な感情だけを「おぼえてて」と訴える。その瞬間に浮き上がる情念の濃さ! 変態である。

どんな蝶だつたのでせう蜘蛛の巣に呼び鈴のやうに揺れる片羽/深影コトハ

実に変態である。蜘蛛の巣にかかった蝶の片羽の描写が非常にうつくしい。蝶は、もう生きてはいないことでしょう。その死がまた、この描写をうつくしくする。たとえばミロのヴィーナスの欠落のように、欠けているからこそ、もう見ることが叶わないからこそ揺れる片羽の残酷なまでのうつくしさが想起されます。ぶっちゃけわたし、深影さんの文体のファンなので、この描写にはめちゃくちゃやられました。変態である。

美しきホムンクルスの少女らは瞳を閉じてただ冬を聴く/あひるだんさー

実に変態である。真性の変態である。この歌はとある連作のなかの一首なのだけど、その連作のすべての歌にエロ漫画家の名前を詠み込まれている。らしい。です。私にエロマンガの知識が欠けているのですべてを読み解くことはできなかった。ホムンクルス先生なんて知りません。まったくわかりません。レンアイサンプルは名作ですね。そのホムンクルス先生のイメージを背景に、実に倒錯した抒情性を持つ一首です。変態である。

丸々と肥えて恐ろし夜の蜘蛛僕の嫉妬は旨いのだろう/鉢屋七丸

実に変態である。夜蜘蛛が嫉妬を食べて肥えているという発想がまず素晴らしく変態的である。「丸々と」というゆっくりした韻律から入り、二句目の文語の終止形で一度スパッと切るのが音としてきれいで、上の句で一度俳句のように完結する。この手の作品だと下の句にどうつなげるかうまいのだけど、先述したとおり「嫉妬を喰らっている」というミステリー的でホラー的な内容がぞわりとした読後感を呼び起こします。変態である。

ポン菓子をつくる 祝砲打つみたく響けよ響けあなたを揺らせ/高木一由

実に変態である。この歌は、すべて結句の「あなたを揺らせ」だけに集約する歌だ。それまでのすべてが序詞のようなもので、意味的なものを掬おうとすると難しくなるように思う。けれども、その言葉から生まれる感情は、しっかりと歌のなかに色を残してゆく。ポン菓子から一首の言葉がながいながい旅を経て「あなたを揺らせ」という命令形の、あるいは言い差しの言葉へと向かってゆくさまは、どこか祝福のように一首に力を与えているのだと感じます。

すっぴんで元彼と逢うどうでもいいんじゃなくたぶんこれがただしい/湊屋

実に変態である。たぶんただしい。けれども、歌として「会」ではなくて「逢」の字を使っているあたりがいじらしいというか、なかなか含みのある作意になっている気がします。三句から四句にかけての「どうでもいい/んじゃなくたぶん」は句またがりというよりも、独立した句として、否定を強調する働きとして読むと個人的にはさらにおもしろく感じられますね。変態である。ちなみに「あまがみの仕方をまなんでけだものにうまれかわった せっくすをしよ」という歌もよかったけど、変態ネタが冗談にならないのでやめておいた。

指揮者などおらぬが如く降り続く雨の音にも休符はあって/野原豆

実に変態である。自然の音に耳を傾けたときに、指揮者のいない雨という比喩は思いついたとしても、そこに休符という発想に至るだろうかということを思うと、やっぱりこの歌も実に変態なのである。「気づき」というのは歌をおもしろくする大きな要因なんだけれど、それに加えて措辞を持って詩にしようという表現がうつくしいですね。変態である。

眼球の奥の小部屋にシンバルを鳴らしてる人がいて眠れない/田村穂隆

実に変態である。わたしも寝つきがいいほうではないので、不眠の感覚としてとてもよくわかってしまうのだけど、「眼球の奥の小部屋」「シンバル」という比喩は思わず「あ~~~~!!」って言ってしまうぐらい納得ができる。なんなんでしょうね、あの痛みというか重みを伴った謎の音は。ちなみにこれはネプリの連作から引いてきた一首なのですが、他では「僕を殺しながら僕に殺される夢を見たんだ 絞殺だった」という歌も実に変態的ですね。よき。

真っ直ぐと駅までつづくこの道の脇を曲がろう迷子になろう/海月ただよう

実に変態である。海月さんは実景とも読める歌のなかに心情を重ね合わせた作品を詠むのがとてもうまい作者で、今回、まとめて読むことで一筋縄ではいかないタイプの作品を多数見つけました。掲出の一首は特徴が顕著にあらわれた典型的でわかりやすい歌ですね。おもしろいのは、これが『2018年の抱負』という題で詠まれた歌ということで、後ろ向きなのにどことなくまっすぐな感じで屈託している感じがとても素敵です。変態である。

精液を出すためだけの半ズボンぼくにはあるけどきみにはあるかな/水沼朔太郎

実に変態である。いや、ほんとうに変態である。そうした行為のための汚してもいいような服装、ということなのだろう。ちなみにわたしは持っていないし、そういう存在を頭の片隅にも思い浮かべなかった。たぶん、この作品は「そういうもの」を短歌、あるいは文学の世界にはじめて見せたものだと思う。(もしかしたら他にもあるのかもしれないけど、少なくともわたしは知らない。)それを表すことは、短歌と読者の世界を拡げるものなのだと思います。変態である。

人間のいない写真を撮りたくて空だけを向き 人間であり/松岡拓司

実に変態である。一字の空白がとても効果的だ。人間を見たくないと思うことは往々として存在するし、カメラを撮るときにそれを理由に空を被写体として選ぶというのはよく分かる感覚です。けれどもこの主体は、空を向いた瞬間に自分の中の『人間』を見つけてしまう。なによりも強く気づかされてハッとしてしまう。その瞬間の衝撃を、この言い差しの四句からの空白が実にきれいに写し取っているように思います。変態である。

でもたぶんのんのんびよりりぴーとの世界にだって貧困はあるよ/たくあん

実に変態である。レベルの高い変態だ。作中に出てくる『のんのんびよりりぴーと』はいわゆる日常系と呼ばれるアニメ作品のタイトル。岡山の田舎を舞台に少女たちがほのぼのとした生活をくりひろげる平和なストーリーなのだけど、当然、作品にはけして描かれることのない『貧困』の世界はある。あるいはアニメに限らず、現実においても「見えていない物語」というのは確実に存在する。それをふっと提示する怖い作品です。変態である。

「弱いものいじめをするな」と守られるそうか私は弱かったのか/あおきぼたん

実に変態である。これを歌にするのは相当な痛みを伴うような気がするのだけど、でも、誤解を承知で言うのならやっぱり痛みの乗った歌というのはとても秀でている。庇護されることで優しさに触れたはずなのに、そこで初めて気づかされて客観的な自分の立ち位置に傷ついてゆく。「そうか」という言葉に複雑な感情が乗せられていて、とてもいい歌です。変態である。

側溝に落っこちるああ側溝は遥かに続く海への隧道/濃転季

実に変態である。「旅かえる」というアプリをモチーフにしたと思われる連作のなかの一首。アプリの方はまったく知らないのですが、連作のなかに漂うほのぼのとした雰囲気がすてきです。掲出の一首はそうした連作を意識せずに読んでもいい歌で、側溝に落ちた不運から一転、遥か遠くの海へと想像が広がってゆくのがうつくしく、結句の「隧道」というのが非常に決まっている。変態である。

コンビニで買えるロケット花火でも人に向ければ武器になり得る/宮嶋いつく

実に変態である。うたの日から引いたのだけど、この歌にわたし以外の票が入っていないことが実は非常に不満である。うたの造りとしては「発見」の短歌の部類で、あるいはただごとの系譜でもある。でも、このそれ以上にこの作品に隠されているのは「悪意」の存在である。コンビニで買える武器というアイテムの提示が、読む人にその悪意と否応なく対峙させる力がある。変態である。

太陽を青で塗ることくらいしか自由になれる術を知らない/藍あざみ

実に変態である。まったくもって不自由な自由。太陽を青く塗るのはたしかに常識への反発なのだけれど、ここでは反発のための反発であって、主体が本当に思い描く『自由』とはかけ離れたものなのかもしれない。それでもこの主体は「それくらい」しか思いつかないし、そのことを非常に口惜しく感じているように取れる。そして、その主体の心情は読む者への問いとなって跳ね返ってくる。自由って、なんだろうね。変態である。

ひろびろと雨傘を開く性欲はひとりで満たすものだと思う/冬樹

実に変態である。マジで。いや、この歌に関していうと『自慰』が題なので、変態なのは仕方ないのだけど、それにしても伸びやかな初句と『雨傘』というアイテムから、実にきれいに『性欲』というフレーズを引きだしている。ひとりの性欲をここまでうつくしく引きだせるのは、ほんとうに変態である。マジで。良い歌。

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