見出し画像

今更LIBERTY&ARTSについて考えてみた #17

湯船に浸かっている時は色々考えられて思考が整理されるのに、
上がった瞬間、考えていたことを忘れるのはなぜなのか。
こんばんは。おぬきです。

========
今日はTwitterで上がっていた

『自由とはなんぞや』

という問いに対して自分なりに考えてみました。
(言葉の定義とか一切無視してますのでご了承ください)


私が思う自由とは、

【自分の行動を自らの意志によって選択できること】

かな、って思っています。

選択には様々な経験や責任が必要であって、自由に選択するって、
実際結構難しいなって大人になった今では感じます。
だってどう考えたって誰かに委ねたほうが楽なときもある。
「自由にやっていいよ」って言われても、
「え。何すりゃええねん!」ってときもありませんか?
けどやっぱり、ここぞ!というときには自分で選択する自由があるといい。

自由とは誰もが与えられているものではなく、信頼を自ら勝ち取ってこそ存在しているのではないのかな、と思います。

珍しく結論から話しているけども。それも自由だーーーー!

画像1

ゆーてますけど、
自由という言葉を意識する様になったのは高校時代。
またかよって思う方もいらっしゃると思いますが、
弊サッカー部のモットーがこちら

LIBERTY(自由)&ARTS(芸術)が創立の精神です。
サッカーを通してその本質を追求すべく努力を続けています。

LIBERTY(自由)&ARTS(芸術)

まぁこの言葉は根付いていたものの、当時は正直、
『自由とは』とか『芸術とは』みたいな哲学的なことを考える余裕もなく、
ただ掲げられていただけの言葉でしかなかったんですよね。

でも大人になって、というかサッカーから離れてみて、先生のインタビューなんかを目にしてから、私達のサッカーってたしかに自由だったなって思うんです。

こちらから選手に要求することはないですよ。私がミーティングに入ると、全て私の形になってしまうから、あえて入らないようにしています。私がこうだ、と思っても、選手から見れば違う場合もありますからね。
でも、大枠の方向性は決めます。たとえば、「スペースを活用すること」とか、「まずは(ピッチを)ワイドに使って、そこからどうするのか」とか。線は一つですが、そこから自由に枝を広げてほしいと思っています。私の話を聞いていない選手もいますけれど、それも自由ですから(笑)。


自由というものは2種類あって、全くのFreedomな状態の自由と
1つの芯があって、そこから派生する自由があって、

私達は後者の枠や方向性は決まっているけど、自分たちで考えて、自分たちで選択をする。という自由を与えられていたんだな、と思います。

ARTSについては前もnoteに書いたけど、芸術は自由なんですよね。

どんな作品を描いても自由だし、捉え方にも正解はないから自由。
芸術が一番この世の中で自由なんじゃないかな。

芸術とは自由であり、自由とは信頼


私の尊敬する元岡田監督も言ってました。

『結局はピッチにいる選手が選択してプレーしますから。』


この言葉を聞いた時はやっぱり自由というのは信頼の上でなりたっているんだな。と。

とかなんとか書いてて、お風呂の中ではしっかりオチが決まっていたのに
全然オチが思い浮かばないのである。

そして責任がどうのと書きながらも、Freedomな状態の自由も楽しめる大人になりたいもんである。
にんげんだもの。

きぬを

#おぬきのいきぬき




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?