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歩幅


2018.2.10

私は啓介に連れられ、ある舞台を観に行った。


啓介の知り合いが出てるとかで私の分まで貰ってしまったらしい。舞台は苦手だとわかってるはずなのに。

前の日の夜から憂鬱だった。差し入れはどこで買ってく?とダブルベッドで仰向けになりながら聞く。どこでもいいよ。調べといて。と向こう側に身体をむけアイマスクをつける啓介が言う。うん。と答えたがもう調べてあるよとは続けなかった。

いつもよりも少しだけマスカラを濃く塗る。ピアスどこにしまってたかな…普段全くつけてないから耳に通すのにも苦労した。眼鏡にしようかコンタクトにしようか。緊張する場なのに着飾らなければならない事が更に身体中を窮屈にさせる。啓介はいつも言う『今日もきまってんね〜』言われる度に自分がバカらしく思えてくる。

バスもうすぐ来ると思うよ。玄関でブーツを履きながら伝える。啓介は、あぁ。と言いながらクローゼットの前で上着を悩んでいる。はやくー!と煽っても中々来ない。ねぇもう先行ってるよ!と返事を聞くまでもなくエレベーターへと向かった。先に行ってもどこかで待つのに。

下へ降りるとマンションから20m先のバス停にはまだ人がまばらにいた。まだ来てなかったんだ、小さなため息がる。後ろでガシャンッと音がなる。啓介が缶コーヒーを一本買ってタバコに火をつけていた。

付き合った当初はこの余裕な感じがよかったと思っていたはずなのに今じゃ私の機嫌が悪くなる一因となっている。それでも今日は黙っておこう。これから揉めても解決するものでもない。

バスに乗ってすぐ有楽町で差し入れを買ってから歩いて劇場に向かうからね。と話しかけると、有楽町?なんかあんの?なら銀座の方がなんかいい店あんじゃない?と言いながら検索しだす。昨日調べた店さ、と携帯画面を見せると、それよりここのがいいって。と画面をうえにのせてくる。うん、いいんじゃない?というと満足そうに啓介はじゃっ!と言いながら目をつぶった。

窓を見るとバスが橋を渡っていた。東京湾は綺麗じゃないっていうけれど夕焼けを反射させる景色はいつも心を落ち着かせてくれる。今日は晴れでよかった。


劇場につくとチケットに書いてある番号と座席表を確認する。Eの、25と26だって。Eって結構前だよね。凄いね。と口では言っていたが前であればあるほど憂鬱だ。E列につくと今度は25を探す。真ん中の方じゃない?確認していくたびに憂鬱さがどんどん増していく。

大丈夫?私の顔に緊張があったからか啓介が確認してくる。うん、全然平気。ありがとう。まったく平気ではなかった。

劇場という少し密閉された空間の中で、大勢が前方にある舞台の役者に集中する。その時にお腹が痛くなったらとか気持ち悪くなったらと想像してしまう。静かな時、役者の生の声を聞いてる観客の前で私が、すみません前通ります。と言ったら足をどけなければならない人たちは皆、怪訝な顔をするだろう。また戻る時に同じ顔を見るのも怖い。それが一往復とは限らないかもしれない。その後ろのそのまた後ろの列の観客も前の席の人が頭を動かす度に苛立つだろう。舞台を見るというのは緊張してしまう空間に2時間も3時間も拘束されるような感覚になるのだった。

最近は安心材料としてハンカチに一滴のアロマオイルを垂らして嗅いだり握っていればなんとか耐えれるようになっていたものの、やはり常時緊張していた。

啓介はレコード会社に勤めていて時折こういう付き合いというものを持ってきていた。普段は1人で行ったり会社の人と行ったりしてくれていたけど、これは大きな劇場のだから君も観たいと思って。と言っていた。以前苦手な話は伝えていたものの、今回この話をされた時には何度も行って慣れればいいんだよ、ほら、もう克服してきたんじゃない?と笑っていた。


ブー


開演の音と同時に劇場全体が暗くなる。オーケストラが舞台と観客の間で演奏を始めた。早く終われ早く終われ。そう思いながら上がっていくカーテンを眺めていた。









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