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吸血鬼将棋漫画「バンオウ-盤王-」と永瀬軍曹の努力について

ジャンプ+で連載中の漫画「バンオウ-盤王-」が面白い。

未読の方にざっくり粗筋を説明すると、吸血鬼の主人公・月山元が将棋に出会い、凡才ながら吸血鬼ならではの長寿を活かして300年間の研鑽を積んだ結果、プロ並みの実力を身につけて竜王戦でプロ棋士に挑戦することになる物語である。

「吸血鬼将棋漫画」とは随分奇をてらった荒唐無稽な作品と思われるかもしれないが、実際には吸血鬼要素は作品のちょっとしたフレーバー程度で、まさかの本格的正統派将棋漫画なので興味のある方は是非読んでみてほしい。

さて、この設定、
「才能はないが300年間の研鑽を積んでプロ棋士並みの実力を身につけた」
を見て皆さんはどう思っただろうか?

ぶっちゃけ私は、
「300年ぽっちじゃ短すぎね?」
と思いました。

そもそも、漫画作品におけるインパクトとして300年は短い。
「葬送のフリーレン」は1000年以上生きているエルフだし、「ヒカルの碁」の佐為は平安時代(つまりは約1000年前)の囲碁棋士の亡霊だ。

ただ、これにはやむを得ぬ事情がある。
将棋が現行の形態(駒、ルール)で広く普及したのは戦国〜江戸時代と言われているからである。
この点が囲碁とは違う。
仮に月山が1000年前から将棋を指していたら、現実に即していないことになってしまうのだ。
(吸血鬼の存在が現実に即していないことは一旦置いておこう)

いずれにせよ、才能のない人間がプロ棋士に匹敵する力を身につけるには300年は短すぎると思う。

例えば私は将棋ウォーズ2級のアマ級位者だが、300年かかっても絶対にプロ棋士に勝てないと断言できる。
流石にアマ初段くらいにはなれるだろう。
頑張れば阪神タイガース岡田監督(アマ三段の腕前と言われている)には勝てるかもしれない。

だが、プロ棋士は無理だ。

そもそも300年という時間が与えられたところで、300年間絶え間なく将棋の研鑽を続けることなんて凡人にはできないだろう。
そこまで長期間、ひたむきに将棋と向き合い続けるなんてことは普通の人にはできないのである。

「将棋は才能ではなく努力」

とは、永瀬拓矢九段(前王座)の有名な言葉である。

将棋ファンから「軍曹」と呼ばれる永瀬九段は将棋に対してひたむきに努力する棋士として知られており、その勉強量は同業のプロ棋士すらドン引きさせるレベルと言われている。

永瀬九段は週刊少年ジャンプを愛読しており(「僕とロボコ」のファンらしい)、ジャンプ+で連載されている本作も読んでいる可能性があるが、仮に永瀬九段に300年の年月を与えたらどうなるだろう?

一説によると、永瀬九段が将棋を覚えてから今に至るまで約20年間の勉強時間の合計は、およそ10万時間らしい。
(電卓を使って年平均、日平均を計算してみよう!)

これを単純計算で300年に換算すると、150万時間となる。
(そんな単純計算は普通通用しないのだが、それが通用してしまうのが永瀬九段の「軍曹」たる所以である)

流石に150万時間も将棋の勉強をすれば、プロ棋士としてタイトル独占はもちろんのこと、人類がこれまで達していない棋力にまで到達できそうである。
もしかすると、プロ棋士を遥かに凌駕する実力をつけるに至った現代の将棋AIにすら勝てる可能性があるかもしれない。
(余談だが、永瀬九段は2015年の電王戦においてAIが角不成に対応できないバグを突く形でAIに勝利している。
もちろん、そんなバグは速やかに修正されたし、その後もAIは飛躍的な発展を遂げて、今や藤井聡太八冠ですらAIと真剣勝負をしようとはしない)

ところでAIといえば、AIは何故将棋が強くなったのだろうか?
「人間を遥かに上回る演算処理能力があるから」
というのは真実の一面に過ぎない。
AIはその演算処理能力を活かし、ひたすらに自分自身との対局(自己対局)を繰り返して、数億もの局面を学習することで強くなっているのだ。

つまりは、AIも人並み外れてめちゃくちゃ努力しているのである。

話を元に戻して、「バンオウ-盤王-」の主人公・月山はどうだろう?

冒頭に書いた通り、本作では月山の吸血鬼設定はちょっとしたフレーバー程度にしか使われていないが、吸血鬼の身体能力が人間を超越している描写は存在する。
そして身体能力と同じく、精神力も人間を超越しているのかもしれない(多分)。

だとすると、300年の年月をかけて月山は人並外れてめちゃくちゃ努力し、150万時間くらい将棋の勉強をしたのかもしれない。
あるいは、人間のような睡眠を必要としない吸血鬼の場合、それ以上の時間を費やすことも可能だっただろう。(永瀬九段が羨ましがりそうだな)

なるほど、そう考えれば300年で凡才がプロ棋士に匹敵する実力を身につけることもあり得るのかもしれない。
ただしそれには、人並み外れてめちゃくちゃ努力することが条件となるだろう。

ということで、以下の言葉を結論として本稿を〆たいと思う。

「将棋は才能ではなく努力でもなく、【努力する才能】である」

……もしかすると永瀬九段も吸血鬼なのかもしれませんね(論理の飛躍)

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