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小説とセックスと寄付活動と

SNS視野を広げよう

はあちゅうさんの2作目の小説「仮想人生」を読んだ。はあちゅうさんにお会いしたことはないけれど、彼女の人柄や個性が浮き立ってみえる楽しい小説だった。ネットの世界に精通している彼女だからこそ描ける世界観が満載で、テンポよく引き込まれるストーリー展開だ。

連作短編になっているところもまた面白い。Twitterアカウントを持つ登場人物たちの日々の物語をそれぞれの人物視点で語りながら、それぞれの人物たちがネット上と現実世界の両方の中で交差していく。

そんな人物たちを繫げたのは、Twitter上にあるセックス・フレンド(セフレ)を募集するアカウントだった。この小説において、Twitterとは見知らぬ者同士がその場限りのセックスを楽しむためのツールとして描かれている。この小説の中でTwitterが登場したら、すぐその後にはセックスが続く。セックスとTwitterは切り離せない関係で、Twitterが新しい相手とのセックスを呼び込み、そして終わったばかりのセックスが、さらにTwitterに深くハマり込む契機となっていく。

もしもネットの世界をよく知らない読者が「仮想人生」を読んだら、Twitterというものは、セックス・サイトなのだと誤解するだろう。

それは私が普段から触れているTwitterとはまったく違う世界だ。

私が毎日閲覧しているTwitterの画面上に流れてくるのは政治ネタばかり。Twitterはアルゴリズムで機能しているから、よく眺めるアカウントほど頻繁に現れるように出来ていて、そこからユーザーの嗜好が分析されていき、それでますます似たような情報ばかりが流れてくるようになり、私というユーザーの傾向が作られていく。だからセフレ・サイトばかり閲覧するユーザーには、セックス関連の情報が集まってくるし、政治ネタばかり眺めていれば、政治情報が滝のように届くようになる。

私の中でTwitterと言えば、一般人同士がときに文化人を巻き込んで、政治論争を繰り広げるプラットフォームだ。だからたまに畑違いの人とTwitterアドレスを交換すると、驚かれることもあるし、反対に私の方が驚かされることもある。タバコの害悪を糾弾する投稿だけに特化しているユーザーだったり、自分がエステで痩せていくプロセスを逐一写真に撮ってアップし続けているユーザーなどに出会うと、Twitterの使い方は人によってこうも違うのかと視野が広がる。

これと似たような発見が先日もあった。

クラウド・ファンディングで寄付を募る会に足を運んできた。主催者は某大手新聞社。新聞社とクラウドファンディング(略してクラファン)がタイアップして慈善活動を広めようという企画だった。登壇者の方々は、東南アジアの貧しい農村で現地の人々に農業のやり方を教える活動をされていたり、アマゾンの森林保護活動をされている方だったり、恵まれない子供の支援をされている方だったりした。みなさん活動費の一部をクラファンを通して得た寄付金で賄っている。

彼らの活動の話を聞きながら、私の中にあったクラファンのイメージが大きく変わっていった。

私はこれまでクラファンと言えば、芸能人が自主映画を撮ったり、絵本を出したりするのを一般人が応援するサイトというイメージがあった。実際に私もある芸能人の絵本や講演会のチケットをクラファンという形で買ったことがある。

また、よくSNSで流れてくるのが、小物職人が革の財布やバッグをクラファンという形で買わないかといった宣伝である。建前上は、完成品として公式販売される前に支援という形で買えるメリットがあると唄っているが、ふつうの通信販売と実質的にどう違うのか私にはよく分からない。なぜなら、一年前に売ってみて大好評だったという同じ財布が、色の種類を増やして今年も売られたりしているのだから、公式発売される前といった建前はほぼ意味を成さないと思われるから。

あと、もっとよく分からないのが、「僕のお母さんに誕生日プレゼントを買いたいから12月11日までに1万円支援してください」といった極めて個人的な内容の寄付を募るポルカというサイト。フレンド・ファンディングというらしいが、私はあなたのフレンドではありませんよと首を傾げたくなる。ポルカはけっこう謎で、「仙台から三泊四日で熱海に旅行に行くお金を6万円支援してほしい」とか「新しい掃除機を買いたいけれど、妻に財布を握られていて買えないから支援してください」といったものまで、ありとあらゆるプライバシーが公開されている。どうして赤の他人が赤の他人の掃除機や旅行代にお金を出すのだろう?

つまり私にとってクラファンとは、芸能人を応援するファンサイトが形を変えたものか、通信販売が名前を変えたもの。それ以外はお金のために自分のプライバシーをさらけ出している、間違った形であけっぴろげな人々が集まるサイトというものでしかなかった。

だから新聞社とタイアップで海外支援活動への寄付を募るという話を聞いた時、自分がこれまで知っていた(知っていたと思い込んでいた)クラファンはクラファンの中のほんの一部でしかなかったのだと思い知った。そう、まるでTwitterがセフレ募集プラットフォームだと思い込んでいた人が、同じツールのまったく違う使い方を教えられたような感じ。

SNS視野が狭かったなと思った。いつも似たような投稿ばかり眺めているから、似たような投稿ばかり流れ込んでくる。いつも見ている投稿の裏に、あるいは奥に、まったく違った世界が流れていることに気づかなかった。

SNS視野を広げるにはどうしたらいいか?

普段と違った投稿をあえて眺めるようにすればいい、のではない。SNSからいったん離れて自分の体で動くことが必要だ。イベントに行くでも良いし、小説を読むでも良いから、自分の体を動かして得たり出会ったりした人からの情報をもとにSNSに再アクセスすることで、今まで知らなかったSNSの裏、あるいは奥の存在を知るのだ。

そのようにして広げていった視野で得た新しい情報の中で、自分にとって本当に必要だと思うものだけを取捨選択すればいい。SNSは人間をバカにして感情の劣化を進ませると考える文化人や学者もいるけれど、私はSNSをたくさん眺めて考えるという行為をするだけでも、人は成長できると思っている。私は人間の力を諦めていない。

今日から私もTwitterでセフレを募り、グレタさんに負けないようにアマゾンの森林保護活動に支援しようか?



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