フランスとLGBTとニッポンの女性専用車両について

先日、ツイッターでたまたま数年前に読んだ本の著者を見つけた。及川健二さんという方で「沸騰するフランス」という本をお書きになっていた。その本はフランスの極右政権「国民戦線」の党首ジャン=マリー・ル・ペンを取材した本で、2010年当時はまだ彼が国民戦線の党首であった。

本を読んだ当時の私は、どうしてわざわざフランスに行ったのに、極右政党なんかにスポットを当てたのだろうと、純粋に疑問に思っていた。フランスといえばもっと、アートだとか最先端の福祉だとか、移民問題だとか、昔も今もホットな内容を取材すればいいのに、よりによってなぜ極右政党?と思ったわけである。

しかしその後、時は流れて、フランスで極右政党が昨年の選挙では躍進して、野党第一党にまで登りつめた。及川さんが取材した党首のジャン=マリー・ル・ペンは引退し、娘のマリーヌ・ル・ペンが新党首になってから、国民戦線は人気を増やしたというから、当時の及川さんが極右政党を取材されたというのは、今振り返れば、なんと先見の明があったのだろうと驚く。

沸騰するフランス」の中では、当時の党首のジャン=マリー・ル・ペンが日本に親近感を抱いていることも明らかにされていた。日本が移民の受け入れに対して世界のどの先進国よりも厳しい対応をし、強制送還もしているところが、とてもリスペクトできるのだというくだりを読んだときは、絶望的な気持ちになった。日本は決してフランスの極右をバカにできない。私たちが普段、普通に受け入れている日本の保守性は、フランスから見れば極右並みなのかと思うと、がっかりした。

話は変わるが、その及川さんが、最新の著作ではLGBTについて書かれていることを知った。ご本人もカミングアウトされていて、フランスから日本を眺めながら、日本の女性車両について疑問を呈していらした。

短く言えば、及川さんは、「女性車両バンザイ」と単純に言ってしまう女性たちに対して首を傾げる、というものだった。もしも女装している男性が乗ってきたら、彼女たちは拒絶するのだろうかと。

その点、私も及川さんの意見には頷ける。生物学的には男性でも心が女性の人が、女装をして女性車両に乗る。女装は彼らにとっては「女装」ではなく、彼らの本来の服装である。だから、もしも他の乗客の女性たちが、彼らを見て、車両から閉め出そうとするなら、私はおかしいと思う。今はLGBTという性別も広く認知されるようになったわけだし、性別は必ずしも生物学的な要因だけでは決められない。自分は女だと思うなら、女である。それでいいじゃないか、と私は思う。だからもしも、女装した男性が女性車両に乗ってきて、そこで驚いたり、拒絶感を覚える女性がいるならば、彼女たちにとって、性別とは何かについて考える良い機会を得ることになると思う。

しかし、事はそう単純に行かなさそうだと思える出来事が起きた。

東京を走る朝の電車で、女性車両でのトラブルがニュースで取り上げられた。すぐさまワイドショーネタになり、たちまちホットな話題となった。

トラブルの内容は、男性が女性車両にわざと乗り込んできて、そこで乗客の女性たちと口喧嘩になり、駅員まで出動して喧嘩の仲裁をしたが治まらず、電車は遅延して交通に大きな混乱が生じたというものである。しかも、乗り込んできた男性は最初は一人、それから三人組となり、女性車両が「男性差別」だと主張しているのである。

ワイドショーでは、この男性差別論についてはほとんど意見されず、男性たちの嫌がらせ行為への批判や、駅員の対応への批判と駅員への同情の声、そして電車内での痴漢行為が女性たちをいかに苦しめてきたか、女性車両が作られるに至ったそもそも論が展開された。世間ではこのそもそも論がもっとも人々の共感を得て、自らの痴漢被害を語ったコメンテーターが一部ネットで称賛の声を浴びた。

そこで私が思ったのは、日本の電車においては、人の性別は男と女だけで、そこにLGBTが入る余地もないのかということだった。ワイドショーで繰り返し放送された動画では、朝の車内で女性たちが、男性に向かって「降りろ!」と怒鳴っていた。満員電車なので、1対大勢という構図になり、見ず知らずの女性たちがそろって大きな声で「降りろ! 降りろ!」の大合唱をしている映像が何度も流れて目に焼きついた。女性車両に乗り込むという嫌がらせ行為をした男性に対する敵対心が、朝の車内に溢れていた。みんなでこいつをやっつけよう、という女性たちの攻撃性が、男性差別を主張して乗り込んできた男性の攻撃性とぶつかり合う光景であった。

痴漢という犯罪がある限り、日本の電車においては男は女の敵であり、女性車両は男たちから身を守れる唯一のサンクチュアリー(聖域)という意識が通っているとしたら、男でも女でもない、あるいは男にも女にもなれる人々は、女性たちから見て、もはや見えない存在に等しいのだろうか?

この問いに関する答えは自分でもまだ出すことができない。もちろん今後も考えていきたいテーマであるので、多くの人の意見を聞きたい、特に、フランス在住の人の声を聞きたいと思う。性別や性のあり方が固定化している日本を変えるにはどうしたらいいか、一緒に考えていきたい。

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