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はあちゅうさんいわく、Instagramはパラダイス、Twitterは修羅の国

先日、テレビのあるトーク番組で、はあちゅうさんがご出演されていて、上記のような面白いコメントをされていた。

SNSといっても様々あって、その機能の違いによって集まってくるフォロワーの質も異なる。はあちゅうさんのおっしゃる通り、Instagramはみんなが楽しい素敵な写真を載せて、それに対して「いいね」をつけあう優しい世界だ。投稿者と面識があろうがなかろうが、素敵な写真に「いいね」をつけあうことで、広い意味で好意のゆるい繋がりができる。

それとは対照的に、Twitterでは見知らぬ人同士が議論をしたり、喧嘩をしたり、はたまた罵詈雑言を飛ばしたりと、投稿者同士に対して思いやりのかけらもない。ユーザーによっては、見知らぬ他人を傷つけることに快楽を覚えている人さえいる。修羅の国というのは、すばらしく言い得ていると思う。

私もこの夏、不愉快な出来事があった。それはこのnoteでのことである。noteは良質な投稿者ばかりが集まるプラットフォームだと思っていたので、とてもがっかりした。やはりnoteも登録者が増えてくると、悪質なユーザーも参入してくるのかもしれない。

その男性ユーザーのことはすでにブロック済みなので、今はもう被害はないが、この夏、一方的に暴力的な言葉で批判する内容のことを書かれ、しかも「トーク」ではなく、noteの記事にして10通も投稿された。批判の内容というのが、あまりにも支離滅裂で、文章遣いも暴力的であるために、10通も公開されたけれど、正直、その人が何を言おうとしているのか把握するのは難しかった。

そのユーザーの暴力的な文章遣いは、まるで彼が今から私を殺しに来るのかと思うような気迫で、とても怖かった。私はその人と面識はないし、過去にnote上でやりとりしたこともない。なので返信はしなかったが、その執拗な投稿には、正直、恐怖を覚えた。

しかし、今振り返れば、彼の方が臆病な人間だったのかもと思う。その後、そのユーザーは私に関する10の投稿に、それぞれ100円の課金をしたからだ。見知らぬ他人に関する内容のよく分からない投稿に100円払う人などいないから、事実上、それはロックがかかったようなものだ。

今、振り返っても、あの夏の数週間は、いったい何だったのかと思う。

ちなみに、その男性ユーザーは、本を自費出版しようと計画しているらしく、その点は私と似ている。おそらくネット上のリンクが、ハッシュタグの出版繋がりか何かで、彼は私のページをたまたま見つけたのかもしれない。それで攻撃の対象に選んだ。そうでなければ、互いに繋がりあう共通点などないのだから。

悪質な攻撃を一方的に受けていた時、私もその人のページを見てみると、どうやら彼は裁判のことを本にして出版したいらしい。お金を巡って親戚同士でトラブルになり、何年も裁判をした挙句になんとか勝訴したが、親戚との縁は絶たれ、孤立無援になり、その一連のことを本に書いて自費出版したいと、要約すれば、そのようなことを投稿していた。裁判の途中に相手方の弁護士が自殺し、そのことも書きたいそうである。

私はなぜ、彼が見知らぬ他人である私を攻撃してきたのか、少し想像できた気がした。彼はおそらく孤独なのである。攻撃できれば、対象は誰でも良かったのではないだろうか。たまたま私がネット上で彼のリンクに引っかかったから、ターゲットにされたまでなのかもしれない。こちらは大変不愉快で、怖い思いもしたけれど、相手はやはり個人的にプライベートでトラブルを抱えた人なのだろう。

最期にひと言。

自費出版といっても何でも出版できるわけではない。そこにはきちんとした決まりがあり、それに反する書き手は自費出版でも会社からお断りされる。ひとつは、過激な性描写や過度に暴力的な表現などがあるもの。ふたつめは、他人の名誉を著しく毀損する内容のもの。そして最後は、裁判に関するものである。係争中の裁判はもちろん、終わった裁判でも、係争内容の細部に触れるような本は、自費出版でも断られる。そもそも裁判は守秘義務を伴う領域であるために、弁護士もののドラマなどは、じつはこの守秘義務を完全にクリアし、かつ、現実にあった裁判を視聴者に連想させないよう、たゆまぬ影の努力をして作られた作品なのである。

あのユーザーがこのことに気づく日は来るだろうか?

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