自分に投資された金額に見合わぬ者達よ、放棄せよ!①

 突然ですが皆さんのご両親は教育熱心だっただろうか?

 日本では憲法に定められている通り中学校までは義務教育である。それ以降は家庭の都合により、高校や大学に進学するなり、就職するなりするのが一般的だろう。
 僕自身は幼稚園から中学まで私立に通い、高校は県立だった。そして2年間の浪人を経て6年制の大学に進学させてもらった(卒業までに8年を費やしたが)。小学校では習い事もいくつかやらされていたし、中学校からは勉強をメインに強制され医学生による家庭教師をつけさせられたり、一時期は電車で片道1時間半かかる都内の個人塾などにも通わされていた。しかも僕たちは双子だから、かかる金額は2倍。これはかなり経済的に恵まれていた方だと思われる。
 今日は、そんな学校以外でも塾などの習い事を複数やらされていたり、親に英才教育として大金を投資されたのにも関わらず、なんでそんな仕上がりになっちゃったの?(笑)って人達に向けて書いていこうと思う。
 
 まず、僕たちの過去について話そう。幼少期の習い事。僕たちの場合は幼児教室、テニス、公文、ピアノ(今になってこれはもっと真面目に続けていれば良かったと後悔している)、水泳、塾、家庭教師など幅広くやらせてもらった。
 
 しかし、身になったものは一つもない。

 なんなら今でも上手く泳げないし。両親的には色んな物の触れてほしいという思いもあったのかもしれないが、僕たちが「やりたい!」と言って始めたものは何一つないのだ。全てがイヤイヤだった。
 毒親持ちの僕たちに拒否権はなく、ただ言われるままに習い事を消化していった。習い事ではないが幼稚園に入る前の思い出として強烈だったのは、朝起きてまず1から100までを暗唱させられたことだ。これ自体はそんなに英才教育でもなんでもないが、少しでも言い間違えられると母に嚙みつかれたことを覚えている。さすがに今では異常だとわかる。
 小学校の時は同じような経済レベルのおぼっちゃま、お嬢様がいたのであまり習い事に関して違和感は感じていなかったが、中学校ともなると、私立と言えど様々な小学校から新しい人間が増えてきた。そこで自分の家庭が周囲と少しずれていることに気が付いた。
 僕たち双子は遊び方を知らなかったのだ。小学校の帰り道、友達と下校中に寄った駄菓子屋で買ったブタメンの味。それが僕たちにはわからない。
平日、休日は習い事をして友達と遊ぶ時間などなかった。僕には双子の弟がいて、一番の友達が僕の弟だったから。それが普通だと思っていた。
 中学に入って思春期にもなると自我との闘いが始まった。自分の家と他の家との違いがすごく気になるようになった。普通の遊びも知らない自分の家が恥ずかしく思えて仕方がなかった。僕はクラスのイケてるグループに所属しようと努めた。そこに所属すれば何も知らない自分じゃなくなる気がしたからだ。そこではちょいワル(私立の中学なのでワルと言ってもたかが知れているが)な奴もいて、僕は晴れて(?)ブレイク|《僕の中学校で一番イケてるちょいワルグループの名前。自分たちで命名した。それと対をなす女性版グループはカリスマ。ダサすぎ。》の一員になった。
 そこから思春期の勢いに任せて全ての習いごとをやめていった。音楽を愛する今ではピアノはできるだけ続けていれば良かった、と少し後悔はあるけど。まぁ、ピアノの先生パームみたいで不味だったし、いずれにしろやめていたと思う。

キレると怖かったピアノの先生。

 習い事を辞めていったはいいが、高2で父が死ぬまで塾には通わせられていた。何を隠そう、我が家は医学部至上主義の家庭だったのだ。父が医師でもあったため僕たちは小さい頃から勉強を第1と刷り込まれていた。恐ろしいことに別に心から医師になりたかった訳ではなく、高校くらいには自然と医者になるんだろうなぁ、と考えるほどに刷り込みが成功していた。

ここからが地獄の始まりなのである。

自分で自分の事を決定をすることができない人生がどんな悲劇を生むか想像できるだろうか。
自分の人生に責任が持てず、自分のケツを自分で拭けず誰かに責任の所在を求めるようになっていくことになるだろう。
その過程は次のnoteで。また、次回。 ちゃんちょん。

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