見出し画像

子どもみたいなわたしに、花マルをあげる。


おとなになっても、

この歳になっても、

人のことを ずるい と思ったり

なんて勝手なの! と憤ったり

相手の身勝手さの被害者になりきって
さんざん悪態をついたり

羨ましくて 素直になれなかったりする。


自分が当事者であればあるほど

自分の本音はうまく説明ができず

素直になればシンプルなはずのことが

全然うまくほどけないのだ。



わたしだって 一番がいいもん

わたしだって わがまま言いたいもん

わたしだって 特別がいいもん

わたしだって お姫様扱いされたいもん

わたしだって やりたいもん

わたしだって 欲しいもん

わたしだって

わたしだって

わたしだって

……



根っこの要求は、いたってシンプルだ。

いつだって、

たくさんの愛情を注がれたいし
一番でありたいし
特別になりたいし
認められたくて
受け入れられたくて
好きなことを好きでいたくて
やりたいことをやりたくて
自分で決めたくて
思うように進めたくて

子どもの頃から、変わらない。

大人になったからって、変わらない。

大人になったところで、
こんなに情けないほどシンプルでまっすぐで
途方もない要求を隠すための
言い訳が上手くなるだけだ。




大人になる ということは、

この、いつまでも自分の中にいる
子どものままの自分のことを

自分で面倒見れるようになるということだ。


自分で、ご機嫌をとってやれるようになり、
自分で、愛してやれるようになることだ。




それじゃあ、どうする?


このシンプルにまっすぐで、わがままな自分を、
どう面倒みる?

否定して押さえ込んだところで、
叱り飛ばして反発してみたところで、
あるいは逃げ回ったとしたって、
いなくなってはくれないのだ。
(その場はしのげても、あとからベソかいてまた顔をだしてくる。)



それなら、受け入れるしかない。



わがまま言ってる自分を許し、

最大限 共感し、味方になるのだ。

子どもはそのうち気が済んで、

すやすやと満足して眠ってしまうから。



だから今日もわたしは、

子どもみたいなわたしに、

花マルをあげる。



どれだけ聞き分けのないことを言ったとしても、

それが「わたし」なのだ。

しかたがない。


どんなに否定したって

根っこの本音が 消える わけではない。

それは本音に上塗りして、

本当はそこにあるものを、ただ隠しているだけだ。


それならとっとと、降参してしまえばいい。


だから今日もわたしは、

子どもみたいなわたしに、

花マルをあげる。



そうやって、生きていく。

大人だからね。

note読んでくださり、ありがとうございます😊💓 自宅では集中できないため、カフェにおこもりする時のコーヒーをご馳走いただけたらとっても嬉しいです✨ あなたのすきま時間の楽しみになるような記事、お届けしていきます🕊