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[一旦終了]ニートだからマルクス読む 14

こんにちは、ばっきーです。
ピラティスインストラクターしてます。
マルクス資本論実況プレイしていきたいと思います。パート14です。
今資本論がそばにあり、これを読みながらメモを取っていくようにnoteをとっています。
ですので人にむけて書かれたものではないです、まして解説でもありません。
年収300万以下の正社員を辞める人がマルクスと格闘する記事になります

一応12月末退職予定でそれまで有給休暇を消化してました。
12月末になったのでもうニートです

書いていて思ったんですけど、わかるところは書いておりません。
これどういう意味なんだろう?と疑問に思ったところを取り上げてたりしてます。
あとは自分の理解ってこれであっていますか?という感じで書いています。
ではいきますね。
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仲山昌樹先生の入門講義購入しました。
そろそろ届くんじゃないかなと思います。

いま同著者の「アンチオイディプス入門講義」も読んでいます。
文系とはなんぞや、を教えてくれる講義本です。かなりのバックボーンいりますよね?というのを教えてくれます。

第五巻p16まできました
 

「摩滅鋳貨」ってなんでしょうか?
お金がすりへっていくとはどういうことなのですかね。
わからねー。

やっぱりマルクス回りくどすぎて全然頭に入らないの面白いな(笑)
そっこーでねむたくなるわ(笑)

すっげー回りくどくて頭に入らない言葉のわりに、言ってることすげー当たり前ですからね(笑)。読んでて思うんですけど。

p21から経済学者のケネーというかたが取り上げられています。やばいマジであくびとまらない。

農業を中心として自由に経済活動しましょう、といった人でいいかしら。

重農主義
18世紀後半に、フランスのブルボン王朝の侍医であったケネーを中心に、その使徒ミラボー侯爵、メルシェ・ド・ラ・リビエールPaul Pierre Mercier de la Rivière(1720―93)、ル・トローヌGuillaume François Le Trosne(1728―80)、デュポン・ド・ヌムールなどによって展開された経済理論と経済政策をいう。フィジオクラシーということばは「自然の統治」からきたものとされている。重農主義者は、商工業を偏重し農業を捨てて顧みなかったフランスの重商主義に反対し、自然法の哲学観に基づいて、個人的自由の尊重と、農業の生産的性格とを強調した。
 彼らの見解によれば、人間は二つの違った秩序のもとに置かれている。すなわち、神が人間の幸福のために定めた永久不変の「自然的秩序」と、国家の形成に伴ってつくられた「人為的秩序」とがそれである。自然的秩序を規制する法則は「自然法」であり、人為的秩序を維持する法則は「人定法」である。人間は自然法の許す範囲内で自由でなければならない。もし人定法がこの自由を束縛するならば、それは有害な法律である。重商主義のとっている商工業偏重主義と保護干渉主義は、人定法を重んじ、産業の発展を阻む有害な政策である。重農主義者はこれに反対し、産業に干渉するよりもその活動を自由に放任することによって国富は増進するものであると説いた。そして彼らの唱えた「為(な)すにまかせよ、行くにまかせよ」(レッセ・フェール、レッセ・パッセ)という自由放任主義のモットーは、封建制度の束縛を打破しようとする資本家階級の要求と合して、そののち永く世界の資本主義の指導理念となった。

https://kotobank.jp/word/%E9%87%8D%E8%BE%B2%E4%B8%BB%E7%BE%A9-77330

まあ、もちろんマルクスもこれも搾取が生まれますよねと言ってます。
あ、でもp26から面白そうかも。
アダムスミスについて取り上げられています。

経済の父アダムスミスを、知の巨人マルクスはどのように評価しているのでしょうかね。

とかおもって、読んだけど
すごい議論ついていけなくて草。

頭が締め付けられるような感じになったのでお風呂に行きました。
風呂場で、さっき自分の頭の狭さを見せつけられた感じを振り返ってました。「わからない」というものにぶつかった時の感覚です。

自分にとってはレベルが合わなさ過ぎたかなと。

はい。今回でマルクスいったん諦めます。
4巻まで進んで終わりです。

またマルクスの解説(というかアダムスミスとかの解説とか、アダムスミス)を
またもう少しよんでから読もうかなと思います。
はーい。諦めます。いったんマルクスの岩波は通り過ぎますー。

諦めた原因なんだろう。
回りくどい文章が頭に入ってこない
言葉があまりにも抽象的すぎる

ここが理由かな。
ニーチェみたいな、わかる単語とわかる単語の組み合わせの文章で全くピントこない、みたいなことはなかったかな。
なんかマルクス解説でよく取り上げられそうな部分を聖地巡礼したからもういいかなぁ、といったところかなぁ。

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