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キョロ充は川端康成 「山の音」を読もう!

なぜキョロ充はこの本を読むべきなの?


繊細な気持ちを理解できるから。キョロ充が特に下手くそとしているのは、自己主張するのが下手くそだから。それと複雑な気持ちを理解できないから。微妙な感情を理解することができず、ゼロイチ思考で「好き嫌い」「イケテル、イケテナイ」に固執しているから、なりたい自分を表現できない。小説は複雑な心理を読み取る練習ができるのです。

どんな話なの?


日本の伝統家族の切なさを描いた物語です。老人、尾形慎吾は自信の死が近くなっていくのを山の音を通して気づきはじめます。

彼の息子の修一はお嫁さんの菊子がいるのにもかかわらず、愛人を持っています。そのことにお嫁さん菊子は苦しみます。

老人尾形慎吾は、息子の嫁の菊子に儚い恋心を抱いています。尾形慎吾の嫁の保子の姉に彼は憧れていたのです。保子の姉を、息子の嫁の菊子に見出していたのです。

愛人の戦後の未亡人の虚しさ、愛人をもたれた嫁の切なさが家族を通して描かれています。

それらを通して、主人公尾形慎吾の老いる虚しさが描かれています。

尾形慎吾が少年の能の仮面に接吻する場面や、菊子が流産する話、そして愛人に子供が授かる話、尾形慎吾の娘房子が夫から逃げてきた話、その夫が別の女と心中した話などなど…

心が参る話がたくさんあります。


何がいいの?


まず会話の流れがとても勉強になるのです。

先ほど述べたような複雑な出来事のもとで起こる会話がとても繊細なのです。

つい言ってはいけないことを言ってしまったりするシーンが多々あるのです。
他にも、何気ない一言で感情が揺れるシーンも多々あります。

つまり、会話のレベルが高い(もしくは読解力が低い)ので「どうして今の言葉は余計だったのか?」と考えるようになるのです。

今の一言が、なぜこれほどまでその人の感情を動かしたのだろうか?

その理由が省略されているため、自分が納得するように考えるのです。

この考える作業が、複雑な心理を考えるトレーニングになるのです。

川端康成は行間を非常に大きくとると言われています。

私はアホですのでまだ完璧にわかってはいませんが、

行間を読むとは、書いてることから書いてないことを想像をする、という意味です。これは筆者が読者の想像力に投げかけているのです。


例えば、怒っている時の描写を描くときに、

「みちこは怒っていた」

と書かれているとします。

これは行間をとっていません。伝えたいことをそのまま表しているからです。

一方、行間をとって

「みちこはフォークを強くお肉に刺した」

と書かれているとします。

みちこの行動から、みちこが「どのように怒っているのか」を想像することができます。

ただ怒っているだけではなくて、気性が荒さや理性の欠けた具合を想像することができます。

この「想像すること」は日常生活でも必要とします。





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