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比べること、比べる必要のないこと

4月の部署異動が決まりバタバタと3〜5月を過ごしていたら、いつの間にか季節もジャケット着てた季節から半袖で生活するまでに進んでしまっていた。

忙しいながらも、人生の中でもベスト5入るぐらいめちゃくちゃ充実してる時間を過ごしせている今日この頃。
改めてここ数ヶ月間の想いとか考えをまとめておこうと思いう。


私のコンプレックス

突然ですが、健康診断って好きですか?
私は、嫌いです。
何故かというと、理由は一つ。身長を測るのが嫌だから。

体重なら分かりますよ?不摂生な生活してないかとかの指標になりますからね。
血液検査とか尿検査、レントゲン、心電図はもちろん分かりますよ。ちゃんと検査せないかんですよね。
でも身長って、もうこの歳で伸びなくない?
去年も一昨年もその前の年も同じところで測って伸びてなかったよね?
って毎年思いながら測ってもらっている。
リアルで会ったことある人は分かると思いますが、吾輩はチビである。
身長は160cmちょいであり、日本人の男性平均を大きく下回る。
海外、特に欧米に行くとより自分の身長の低さに嫌気がさす。

今となってはあまり気にしないようにしてはいますが、昔から結構コンプレックスを抱えていた。
頑張って努力して伸びるものではないので、諦めて開き直っている節もある。
けどやっぱり「あと10cm、20cm高かったら人生変わってたのかな」と未だに考えることがある。

遺伝には勝てないのです!

他人と比べるということ

現在参加しているオンラインスクールの活動はオンラインが主だからか、元々旅好きにそういう思考の人が多いからなのか、あまり見た目とかジェンダーなどを気にしない人が多いと思っている。
このスクールの活動を通じて色々な人と1on1したり、講義を通じて、「他人と比べない」「自分軸をしっかり持つ」ことが幸福度を上げるヒントだと実感している。

そのうえで、他人と比べることが決して悪いわけでもないと思っている。
自分も競争は好きな方だ。
中高大と陸上の短距離選手として練習に没頭してきた私は、かけっこで1番になることが自分の生き甲斐だった。
競争相手に勝った、辛い練習に耐えて成果が出た、過去の自分を超えられた、そういった時に得られる達成感、充実感はなんともいえない。
何より自分の好きな「走ること」で1番になれた時の喜びは、間違いなく幸福度が高い状態といえる。

少し話は逸れるが、私のやってきた陸上競技、特に短距離走においては歩幅が重要な要素の一つだ。
一歩でどれだけ進み速く足を回転させるかで勝敗が決まる。
もし仮に私の身長があと20cm高ければ、単純計算で足は10cm長くなり、歩幅も5cmぐらい伸びると仮定すると、100m走だと大体50歩ぐらい(一流選手は40歩前半)なので、5×50=250cm先にゴールできる計算になる。
タイムにすると0.1〜0.2秒、歩数にすると約1歩半の差。
これが勝敗を分ける大きな大きな差となって表れる。
ちなみに自慢だが、私の100m自己ベストは11.2である。
お分かりいただけるだろうか。
あと身長が10cm、20cmあれば、夢の10秒台が出ていたかもしれない。
まぁ机上の空論だが、そんな夢を見ずにはいられない。

話を戻すが、他人と比べることは決して悪いことではないと思う。

ただし「比べてよいもの」と「比べる必要のないもの」の区別は必要だと思う。

学生時代 合宿にて(なついw)

「比べてもよいもの」と「比べる必要のないもの」

例えばスポーツやコンクールなどにおいては、他人や他チームとどちらが強いか、優れているかを比べて勝敗を決める。
勝ったら幸福度は上がるし、負けても悔しくて更に上を目指そうという活力にもなるため、比較することの良い要素といえる。
また、見る側にとっても感動と興奮を与え、幸福感を上げることができる。

一方、見た目やジェンダーといったものは、比べる必要はないと思っている。
人はそれぞれの考え方があり、それに従い生きてる。
自分の価値観を他人に押し付けることは、私はナンセンスだと思っている。
当たり前だが、同じ価値観の人間なんていない。
「普通」の人なんていないのだ。

ただ、「人は見た目が9割」という本もあるように我々人は見た目で判断し、考え方が流されてしまうのも事実である。
世間体をどうしても気にしなくてはいけない場面も多々ある。
例えば、どんだけハワイが好きだとしても、葬儀などの場面にアロハシャツで行く訳には当然いかないし。

私が身長でコンプレックスを持っているから余計強く思う感情かもしれないが、私の中では「比べてもよい」「比べる必要がない」の判断基準を持っている。
それは「努力でどうにかなるか否か」「他人に迷惑をかけないか」だ。

例えば、もっとモテたいと相談してきた友達が見た目が不潔で寝癖ボサボサ、服もシワシワ、目にクマがあり、太っていたとする。
こんな友達がいたら、みなさんは何て声をかけるだろうか?
「もっと優しくしなよ」とか「もっとエスコートしてあげなよ」とか、性格的なアドバイスをしますか?
十中八九しないだろう。

私だったら、まずは生活習慣から見直して、夜ちゃんと早く寝る方法や、筋トレの習慣化、おすすめの美容院やヘアワックスを紹介するとか、服は安くて良いから清潔なもの買えばとか、その辺からアドバイスすると思う。
特にファーストインプレッションは大事で、どうしても視覚情報から人間の脳は「この人はこーゆー人だ」と判断してしまう。
これらは努力でどうにかなるし、ちょっと変えるだけで他人に対して好印象を持たれる要素だと思うので、「比べてよい」部分なのではないかと判断する。

一方で、身長やジェンダー、障害などは努力ではどうにもなりようがない。
特にジェンダーについては最近考える機会が多いのだが、捉え方は本当に人それぞれだと認識している。
私はいわゆる世間でいうノーマルだと思っているが、うちの長男はもしかしたらジェンダーギャップがあるかも?と思うこともある。
乗り物より動植物が好きだったり、いきなり一人称を「わたしは〜」と言い出したり、他にもいくつか思い当たる節がある。
お姉ちゃんの影響もあると思うが。
ただ私としてはこの子がどのように育っても、自分の考え方をしっかり持ち、思うがままに生きてくれたら良いなーと思っている。

問題点と解決策

問題は「世間体」という考え方ではないだろうか。
自分がどう思うかよりも、どう思われるかを気にし過ぎるのが世の通説になってしまっている。

どう思われるかを気にして他人と比べるよりも
・自分がどうしたいか
・どう努力すればより豊かになるか
・そして他の誰かを豊かにできるか
をもっと当たり前に考えることができる世間体になれば、世界はより豊かになると思う。

そのためにも自分軸をしっかりもち、考え方を恐れずに発信できる能力は大事になってくるのかなと思う。

子育てにおいて私が最も重視したいと思うことは、「その子らしさをいかに発揮できる環境を作ってあげられるか」ということだ。
そしてその作るべき環境とは、自分を常にオープンにできるところであるべきだと思っている。
言い方を変えれば、心理的安全性の高い居場所作りというのがしっくりくる。

そのためにも、家や職場(子供にとっては幼稚園や保育園、学校など)とは別の「第3の居場所」を作りたい。
そこでは皆んながオープンで、世間体を気にすることなく、人と人がコミュニケーションを取れる、そんな場所を作りたい。
まだどのような形になるのか具体的には固まっていないが、少しずつできることをやっていく予定だ。

さいごに

人間は欲があり、隣の芝は青く見えるのは当然のことだと思う。
逆にそれこそが人間であり、他人を気にせず自分勝手の人ばかりでは、当たり前ですが秩序は保てない。

ただ一方で、人には必ず適材適所があると思っている。
私はストレングスファインダー的にも、人の適材適所を振り分けるのが割と得意?というか好き?なのか、楽しんでできる能力があることを改めて実感した。
誰もが輝ける場所、素の自分を出せる場所はどんなとこなのか。
そんな場所がないのであれば作ってしまえ!
そんなことを思いながら、今後色々仕込んでいこうと思う。

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