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会いに行く旅

私にとって旅の原点とはなんだろうとふと考えた。
幼い頃から色々と旅に連れて行ってくれたうちの両親だが、私の旅の原点は多分これだなーと思ったので書いていきたい。

旅の原体験=帰省

我が家では毎年盆と正月の2回、決まって遠出をするイベントがあった。
兵庫県にある祖父母(以下おじい、おばあ)の家への帰省だ。
当時東京に住んでいた私は、東京⇔兵庫の往復は新幹線に乗れるドキドキと、田舎ならではの新鮮で豪華な食事が待っているワクワクで、とても心躍るイベントだった。

東京⇒新神戸の約2時間半は今では本を読んだり携帯やPCをいじったりしていればあっという間に着いてしまう。
しかし子どもの頃は、結構な長旅に感じていた(当時は3時間ぐらい掛かっていたのかな?)。
それでも、新幹線の窓から眺める景色は幼いころから好きだった。

旅の記憶

新横浜を抜けてからの田園風景や静岡に入ってからの富士山や茶畑、海の景色。名古屋につけば「半分過ぎたな」、京都、新大阪に着いたら「あとちょっと」と胸を躍らせていた。
今思えば、子どもって電車に乗るまではテンションが高いものの、乗ってしまえばすぐに寝てしまうことが多いと思う。
我が子がまさにそうだ。
だが、私は景色を結構覚えているということは割と起きていた時間が多いのだろう。
弟が生まれてからも、窓際の席は死守していた。

降車する新神戸駅はトンネルに囲まれているためか、毎年夏は「あっちー」、冬は「さっみー」と感じていたのをよく覚えている。
ローカル線に乗り換えておじい、おばあの家に着くと「遠くからよう来たなあ」と毎回変わらず出迎えてくれるシワシワの笑顔。
これを見てこそ「夏休み」であり「お正月」だった。

トンネルに囲まれた新神戸駅

帰省とはおじい、おばあ、そしていとこや親戚に会いに行く「旅」なのだ。

恒例の〇〇

帰省中は毎度のパターンというものがあった。
夏は自由研究を同い年のいとことするのが恒例で、昆虫採集をしたり、近所の田んぼでザリガニやカエルを捕ったり、材木で工作を作ったり。
年末年始は初日の出を近くの山に見に行ったり、家で餅つきをしたり、正月のテレビを見ながら親戚で集まってお雑煮やおせちを食べたりした。

また、夏でも冬でも帰省中どこかで必ずたこ焼きパーティーをするのが恒例だった。
ソースではなく、明石焼きのようにだし汁に浸して食べるたこ焼きが幼いころから大好きだった。
このように、東京では中々気軽にできないような体験を沢山させてもらった。

おじいとおばあにひ孫の顔を見せに(娘ギャン泣きw)

憧れのおじい

おじいは私が最も尊敬する大人だった。
もちろん父も尊敬しているのだが、おじいはたまにしか会えないレア感があり、特別な存在だった。
多彩な趣味、知識量が半端なかったこと、そして何より優しく厳しかった。
当時私が幼いころ見ていたおじいは農業をしている普通のおじいちゃんだったが、大人になると色んな事実を知ることができた。
若かりし頃友人と起業し自分たちの会社を立ち上げたこと、書道や華道など様々な分野で活躍していたこと、スポーツも万能で当時水泳で記録を持っていたことなど。
高校や大学、就職先の進路に迷ったとき、今後の人生について考えるとき、いつも背中を押してくれた。

そんなおじいは2年前に天国へと旅立った。
残されたおばあ一人で住むには広すぎる家からは、築年数だけではない老朽化を感じてしまう。
大人になり就職してからはこの毎年恒例の帰省がなくなってしまったのだが、もっとおじいが元気なうちに、人生について色々聞いておけば良かった。
今更悔やんでも仕方ないのだが悔やんでしまう。

会いに行く旅

観光名所を巡る旅、癒しを求める旅、グルメ旅、どれも魅力的だが、私は誰かに「会いに行く旅」を、家庭を持ったこれからも続けていきたい。
会いたいと思った人のところには時間を作って会いに行くようにしたい。
そして自分の子どもたちにも、「毎年恒例の○○旅」というものをプレゼントし、様々な体験を通じて成長してほしい。

そんなことを、私自身の旅の原体験から改めて気付かされた。

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