TAMAVIVANT'92村上佐保太郎左ェ門隆之介「ナンセンス・オンセンス」《Love Letter from Wall》について

資料の中からこんなものを見つけました!
TAMAVIVANT'92の資料です。
今日はこの資料について話をしようと思います!

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TAMA VIVANTについて

まず資料の一番上に記載されている「TAMAVIVANT」について説明をしましょう。これは、多摩美術大学の故・東野芳明名誉教授が1984年にスタートさせた展覧会です。「プランナーやプロデューサー、あるいは研究者など、これからの美術・芸術、広義における文化の案内人たる人材を育てたい」という思いから始まったこの展覧会の第1回 TAMA VIVANT'84「戯れなる表面」には松井智恵さんや吉澤美香さんなどが参加しています。場所は多摩美術大学八王子キャンパスだけでなく西武百貨店などでも開催されたようです。各展覧会の情報は以下の「TAMA VIVANT II 09」のサイトを参考にしてください!

このサイトを見ると、資料の「TAMAVIVANT'92 グラマラス/壁への手紙・壁からの手紙」というのは1992年に開催された展覧会のタイトルだということがわかります。このときの会場はシブヤ西武シードホール。そして出品作家は赤塚祐一、榎倉康二、片山雅史、小林孝亘、辻晴子、根元和、村上隆の7名です。
この展覧会の「オープニング」で「特別パフォーマンス」として"何か"が行われたのでしょう。次に、資料の下から2行目に書かれている村上佐保太郎左ェ門隆之介について考えてみたいと思います。

村上佐保太郎左ェ門隆之介について

村上佐保太郎左ェ門隆之介は作家の「オープニング」で「特別パフォーマンス」をした作家の名前で間違い無いでしょう。しかし出品作家には記載がありません。でも大丈夫!この資料には続きがあります。

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「特別パフォーマンス」にはパフォーマーが3名いたようです。村上佐保太郎左ェ門隆之介さんと小沢剛さん、それから、ゴッホ今泉さんです。

小沢剛さんの展覧会歴を見ると、以下のように書かれています。

1992.11     青井画廊(大阪)
          12       細見画廊(東京)
1992.  1       レントゲン藝術研究所

小沢さんのサイトから「青井画廊(大阪)」と「細見画廊(東京)」では「JIZONG」の作品を展開したということがわかります。それから93年の「レントゲン藝術研究所」というのは、以前noteで少し触れましたが、西原珉企画の4人展「fo(u)rtunes」展のことです。92年に「まごころブラザーズvideoにインサート」「同プロダクション新作にも登場」というのは後日調べるとしても、この「小沢剛」は、あの「小沢剛」で間違いなさそうです。

ゴッホ今泉は一体どなたでしょうか…。調べてみるとツイッターアメブロをやっていました。Twitterの自己紹介文を引用すると現在は「60年代アメリカンコミックス・スタイルを標榜とするイラストレーター」をしているらしいです。

肝心の村上佐保太郎左ェ門隆之介は1962年東京生まれ。
パフォーマンス歴を見ると、

1991年「賛成の反対なのだ」細見画廊
1992年「チャッピーとシロ」レントゲン藝術研究所

と書かれています。「賛成の反対なのだ」はバカボンのパパのセリフでしょうか(重要!!!)。
「細見画廊」の展覧会歴は調べるのに時間を要しそうなので、国会図書館が空き次第調べることにします。「レントゲン藝術研究所」に関してはお任せを。「チャッピーとシロ」と聞いてすぐにわかりました!これは、いや、この子たちは92年9月4日〜11月4日まで催された椹木野衣氏企画の展覧会「ANOMALY」のオープニングにパフォーマーとして登場した村上隆氏の愛犬2匹の名前で間違いありません!写真を載せられないので、イラストを描いてみます(一応、美大生ですし?)。

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ANOMALY 展に展示された作品に、このようなものがありました。村上隆氏の作品です。大きな台の上に、肩くらいある髪・口髭と顎髭が生えていて・裸に赤いふんどしを付けた痩せ型の男が、フラフープをしながら立っています。その台の下は柵のような構造になっていて、中には2匹の犬。このワンちゃんこそが「チャッピー」と「シロ」なのです。とは言ってもこの情報だけでは特定に至らず…。村上佐保太郎左ェ門隆之介とは誰だ!いつかお目にかかってみたいですね、村上佐保太郎左ェ門之介氏!

では次に、資料の中心に配置された解像度が恐ろしく低い画像について説明しましょう。

村上三郎の《紙破り》について

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このイメージはご存知の方も多かったり少なかったりしそうですが、それは置いといて。これは村上三郎氏が十数枚の紙を突き破って走り抜けるパフォーマンス作品《紙破り》の写真です。これはハトロン紙を貼り付けた障子の木枠を展覧会場に配置して、それを自らの身体で走りながら突き破るものでした。それまでの美術の概念の持つ”定型”からの逸脱を試みていた村上三郎氏の真骨頂!と言われたり言われなかったりします。この作品は、当時4歳の長男が障子を突き破る光景を偶然見たことから生まれたとか、そうじゃないとか。このパフォーマンス(アクションという表現の方が適切?)は1955年10月に具体美術協会第1回東京展で行われました。この展覧会は具体美術協会のメンバーによって企画され、東京の小原会館にて開催されたようです。ちなみに具体美術協会とは、吉原治良氏を中心とした計15名によって54年に結成された団体です。それからメンバーは増えたり減ったりがあったみたいですが、メンバーには白髪一雄氏(この間までオペラシティで展示がありましたね!)とか田中敦子氏(電気服の人)などがいます。同じ年の10月に東京で具体美術第1回展(これが上記の《紙破り》が披露された展覧会)を開催、以後1968年まで21回行い、その間アンフォルメルミシェル・タピエ氏などとも交流を持ったり、海外展を開催したりなど活発な活動を続けました。でも1972年2月吉原氏が亡くなって、同年3月に解散してしまいます。

「ナンセンス・オンセンス」〈Love Letter from Wall〉について

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本題に戻ってこの資料です。「ナンセンス・オンセンス」〈Love Letter from Wall〉は村上佐保太郎左ェ門隆之介氏によってTAMAVIVANT'92オープニングで行われた特別パフォーマンスの時に作成された資料でした。村上さんは村上さんの《紙破り》を「再確認、再認識、再表現、せんとした」のでしょうか?これが、かの有名なシミュレーショニズムってやつなの?!再現芸術なのでしょ?!そう言えば中ザワヒデキさんが「これが「再現芸術」の端緒となりました」とおっしゃっていたっけ。それにしても、村上佐保太郎左ェ門之介って誰なの…いつかお目にかかてみたいわ…

わぁ、気がついたら長くなってしまったじゃないか!
今日はこの辺にしましょう…
みなさんくれぐれもCOVID-19やインフルエンザ、花粉症などにはお気をつけて☺︎

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