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仕事と生業

「現実」って言葉、非常に罪深い。

どのくらい罪深いかと言えば、深夜にUberするマックくらい罪深いし、聖霊王アルファディオスや悪魔神ドルバロムくらい罪深い。(後者は同世代男子がキャッキャしてくれればいいです。)

こう書くと軽く聞こえちゃうけど、実際個人的にこの言葉には本当に強い負の力があるなーと思ってる。


今回はタイトルに書いた、「仕事」と「生業」という言葉から思ったこと。
ほぼ日記みたいな内容だけど。

この2つの言葉を見た時、世の人はどんな印象抱くのかな。
個人的には「仕事」はあれもやらなきゃなーといろんなタスクを思い出すし、「生業」はこれを「なまむぎ」と読んだ友達のことを思い出す。

改めてちゃんと意味を確認しようとこの2つの言葉を辞書で引いてみて、トップにあった意味はこれだった。
・仕事:何かを作り出す、または成し遂げるための行動
・生業:生活を営むための仕事

それぞれの言葉の意味はちゃんと認識してはいたけど、トップに来る意味がこれだとは思ってなかった。
正直日常使っているニュアンス的には逆なことも結構多いし、同じように考えていた人も一定いるんじゃないかな。
一応補足しておくと、仕事の2つ目の意味に「生活を営むための行動」というのもちゃんと載っているが、ここでは1番に出てくる意味を前提に。

なんでこんな思いこみになっていたかと思えば、今の世の中においては自分も含めて「生業化した仕事」に多くの時間を割いて従事している人が非常に多いからなのかなと思う。
もちろん資本主義社会において生活を営んでいくためには何らかの手段でお金を稼ぐことが不可欠だし、何かしらの労働に従事することで生活を営む人が大半。
そしてその「生業化した仕事」を通して経験することが自己の成長や新たな発見につながることも往々にしてあると思う。
なのでこの事に対して著しくネガティブな心象を持っているというわけではない。

だけど「現実」という存在がゆえに「生業化した仕事」に従事することから逃れることができない、もしくはそれが当たり前という状態になっているんだろうなと思う。
それが冒頭に書いた「現実」という言葉の罪深さの正体と思っている。

ただ最近、この「生業化した仕事」に従事する現状に対してちょっと立ち止まって考えてみようというきっかけがあった。
それは仲のいい友人の妹の就活の話を聞いた時。

その子は春から国内の航空会社でCAとして働き出すのだが、小さい頃からの憧れだった仕事に就くことができたこともあり非常に希望に満ち溢れていた。
小学校1年生の時に乗った沖縄行きの飛行機で見たCAさんの、凛として美しく、それでいて頼り甲斐のあるその姿が非常に格好良くて、自分もそうなりたいとずっと夢見てきたそうだ。

正直似たような憧れを持って就活した、みたいな話は非常に多いと思う。
そして夢を追うことって大事だよねみたいな安直な話をしたいわけじゃない。

個人的に感じ入ったのは、その子がしっかりと今の自分に対して腹が据わっていたこと。
実はCAとして志望していた国内最大手の赤の翼と青の翼にはどちらも受からず、国内のMCCからの内定が出る。
就活的に他だと世界展開している超有名ラグジュアリーホテルやリゾート会社からも内定をもらっており、報酬・待遇や自由度的にはそっちの方が断然良い内容。

それでもその子はすべての内定が出揃った時に改めて顧みて、自分は果たして何を大事にして生きていたいんだろうと日々考え、会社云々ではなく「CA」という職に就くことを選んだ。
つまり「生業としての就職先」を選ぶわけでなく、「夢・憧れを成し遂げる仕事」として航空の世界に入ることを決めたのだ。
だからこそ今はまだ想像のつかないような大変なことが待っているかもしれない自分の将来に対して、不安を抱くのでなく腹を据えて覚悟を持てているのだろう。

今の自分に立ち返って考えた時に、決して今働いていることは嫌いじゃないし楽しくないわけでもなく、日々の中でやりがいや自己の成長を感じる場面も多々ある。
ただ彼女から感じたような腹を据えた覚悟があるかと言われると、正直胸を張ってあると言えない。

やはりそれは今働いていることが、仕事ではなく生業としてそこにあるからかもしれない。

過去振り返ると自分が心底楽しいと思えたのは、音楽や文章を創っている時だったり、自分の起こしたアクションや創ったものがダイレクトに人に届いて感動してもらっている実感を得られてる時だったかな。

その時は責任がなかったから楽しいと思えていたのかもだし、それが仕事になったらなったで考えが変わる可能性も全然あると思う。そして同時に「現実」を見る・考えることもとても大切。

だけど人生は一度きりだし、自分の人生だからこそ紆余曲折あれど最後はちゃんと自分が主役であるべきだろうなって。
そして自分が心底楽しかった過去の出来事って、やっぱり自分が全力でのめり込めてたし、自分が自分としてそこにいてもいい実感を持てていた気がする。

だからこそただ夢を追うという意味ではなく、腹を据えて自分という存在を全力投入できるからこそ、そんな楽しいと思えるような「仕事」を目指し、探し続けるべきなのかなと思った。

そんな感じで、この先1〜2年はそんな自分の心に正直に行動しながら、「仕事」を考えて見つけていく期間にしようと思う。
めちゃくちゃ難しいし障壁が多いことも自覚しているけどね。

夢を諦めずにミュージカルの世界に飛び込んだ親友の存在もずっと心の中にあったし、子供の頃から当たり前&それが良いと思い込んできた生き方そろそろ捨てて、もっと好き勝手に生きてみよかな。

今回あんま纏まってないな。
それでもこんな駄文を読んでいただいてありがたいです。


罪深い「現実」も、それをある種の糧や原動力にしちゃえば良いのかもね。
なんでも飲み込む図太さとあざとさを持ったもん勝ちだな。


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