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廃業しまくったはなし

こんにちは。初めてこの記事から読む人もいるかと思いますので、できるだけ簡潔にこれまでの経緯のおさらいからしますね。

私は人口国内最大の神奈川県横浜市出身。3年半ほど前に高齢化率国内最大の群馬県南牧村に移住。森林の悲惨な現状を目の当たりにし、林業の会社を勢いで起業。人々と森林資源との接点を増やすべく、石窯薪焼きのパン製造業、またキャンプ場運営にまで手足を広げた現29歳です。

ということで、そんな私がタイトルの通り事業をたたみまくったのですが。。どうしても廃業ってネガティブに捉えられがちなワードであり、私自身積極的に話すような内容でもないので、だからこそ状況や心境を言語化できればと思い記事を書きます。




1. これまでの3つの事業

上に書いた「簡潔なおさらい」の通り、まずは林業の会社を起業しました。

そして高齢化率日本一、また消滅可能性都市日本一と言われるような場所での起業のため、よく「地域活性化」「地方創生」していると勘違いされることが多かったので、あえて興味ないと否定しました。

日本全体が衰退する流れにあるなかで、地方を田舎を盛り上げる「べき」という理想は果たしていま日本の自治体が掲げるべき目標なのか?というところに疑問を持っているという話です。あくまで急激な衰退と共に歴史や知恵、文化や伝統がバッサリ消えてしまうことを避けるために、仮に降下するにしても軟着陸を目指すというのがあるべき姿ではないかという話です。(2年前の記事ですが)

そのような中で、一度先代の死去により途絶えてしまったパンを、弊社で一度復活させることになりました。完全な復活ではないので言葉を選ばなければなりませんが、先代の味を懐かしむことのできるような味のパンを製造し始めました。要するにパン事業は、軟着陸するためのプロジェクトのひとつです。

そしてキャンプ場の事業も始めることになりました。村の持ち物であるキャンプ場の管理を弊社で受託した、という言い方がより正確です。そのため初期投資は少ないものの、村の予算の中で事が進むという制約があったり、そもそも始める前に村の議会で弊社が受託する議案が否決されたりと…まあ指定管理ならではの事情もあります。書こうと思えばキリがない。この話含む直近2年の苦労話系はこちらから…。

このように、私は会社の事業として「林業」「パン屋」「キャンプ場」の三本柱を立てて動いてきました。それ以外にも村の古民家を活用して観光資源作りましょうみたいな検討会の会長だったり、最近耳にする機会の増えた「コミュニティースクール」関係で学校運営協議会の会長だったり、それに付随していろんな委員を兼任するなど、会社以外の場でも役割を多くいただいて気付けば地域にどっぷりでした。相変わらず活性化は興味ないですが。



2. 林業をたたんだ

もともと林業の会社として立ち上げた弊社ですが、真っ先にたたむことになったのは結果として林業でした。2023年3月末のことです。生活拠点が山奥なので、他の林業の事業者が仕事をしている現場をよく目にするのですが、しばらくはその度に結構悔しかったですね。なぜ会社を作ろうというモチベーションまで生まれたような仕事を続けられないのだろうか。悔しいです。

防災の観点でも、エネルギーの観点でも、国土をより良い形で後世へバトンタッチする観点でも、林業は必要な仕事。一方で、きつくて危険で汚い仕事でもあり、大学進学率50%のこの国で大卒者の林業就業者は1000人に1人いない。それだけ選ばれにくい仕事だからこそ、大卒の自分が林業の会社を作って、大卒林業が選ばれる選択肢になるよう門を広げられたら…なんて思っていましたが。

土砂崩れが起きた現場で木を搬出

林業はなかなかお金が発生しにくい仕事です。基本的に農作物の畑と考え方は同じで、売上が立つのは野菜が売れるのと同じタイミング、つまり40〜50年かけて木が伐採出荷できるようになったタイミングです。それまでの間はずっと手入れの手間やコストがかかり続けます。ウッドショックがあったとしても木材価格が低迷している今、そのコストは到底払える額ではないので、木の成長過程の至るところに補助金や予算が充てられます。(このあたりの話、質問が多いので書いておきます)

そのため業界全体で潤沢にお金が余っているようなことは少なく、この手の林業の世界では、仕事の効率化や技術力の向上などで身体も知恵も絞りに絞って稼げるようにする、というモデルになります。もちろん単価の高い林業の仕事もありますが、技術や機械、実績や信用がないとなかなか仕事を取りづらいです。今思えばもっと技術力の高い人を多く雇い、積極的に重機を導入していれば、歯車をうまく回せたかもしれません。

しかしながら従業員の減少、またそれに伴うスケジュールや金銭面への圧迫、他の従業員へのしわ寄せなどが重なり、もう一歩ハイレベルな組織に成長させるために勢いをつけるタイミングを逃してしまいました。勢いをつけるには時間もお金も頭も組織に余裕がないといけません。その余裕を持たせるために、収益の安定化を図って事業を増やしていたのですが、結果としてそれが仇となりました。このまま無理に続けてさらに共倒れになるよりは一旦林業をたたんだ方がいいと判断しました。事故を起こさず終わらせることができたことに関しては、本当にホッとしています。

林業関係でお世話になった皆さま、ありがとうございました。



3. パン屋をたたんだ

続いてパン屋です。先代のパンが有名だったこともあり、弊社で再び焼くようになったパンは大変ありがたいことにかなり注目を浴びました。NHKのおはよう日本で放送していただいたり、各テレビ局各新聞社さんに数多く取り上げていただきました。従業員の努力の甲斐もあり、人気が落ちることはオープンから無く、ほぼ毎日売切れで天気の悪い日にたまに売れ残るといった状況でした。お買い上げいただいた皆さま、ありがとうございます。

さて、そのようなパン屋だったのですが、常に複数の課題がありました。軽々氷点下二桁度にまで冷え込む場所のため、冬場はすぐ施設の水道が凍る。石窯があまり大きくないため大量生産に不向き。ハードワークすぎて人手の確保が難しい。小麦粉をはじめとする原材料費、灯油やガソリンなどの燃料費の高騰。他の道の駅出品者の価格帯も意識すると大胆な値上げに踏み出しづらい。工房が川沿いで薪が湿気るので営業日前に乾燥した薪の運搬が必要。厨房が狭く導入できる機械に限りがある。などなど。

石窯を薪で600度くらいまで加熱

まとめますと、製造の手間がすごい割に大量生産できない、といったところです。何かを犠牲にするか、大規模な投資をして諸問題を解決していくかなど、できることがないわけではなかったのですが…。林業のときの判断と同じですね、解決するために必要なエネルギーを割く判断をしなかった、ということです。もちろん折角立ち上げたパン屋ではあったので、そう簡単に撤退したくはなかったのですが、ひとまず一旦のゴール、節目としてやるところまではやったという認識もあります。2023年8月15日に閉店しました。

まずはお買い求めいただいたお客さま、話題にしていただいたメディアの皆さま、取引先の皆さま、そしてパン屋関係で働いていただいた従業員の皆さま、ありがとうございました。



4. まとめ

2つの事業をたたんだ経緯を説明しましたが、もしかしたらどこかで違う歯車が動いていれば違う結果になっていたかもしれません。あのとき入社したいって言っていた人が入っていたら…とか。あのとき売上がもう少しあって余裕があったら…とか。人生もそうですが、事業も往々にしてそんなもんなんだろうなと、思います。

また記事に書く可能性が高いですが、私事ですが半年ほど前に家族が増えました。男の子です。超少人数の会社経営のため特に、家庭事情は少なからず経営判断に影響を及ぼすものです。物事を続ける根気と、辞める勇気とのバランスといった話もありますし、今回のダブル廃業は積極的な気持ちでの判断のみではありません。このちょっとモヤモヤしながらもたたむ判断をした心境を、少しでもこの先の糧にできたらと思い書いています。読者のためというよりは自分のため。

3年前に書いた記事でも似たようなことを言ってますね…。

捨てたらまた何か極める。色々極めていたらいつの日かそれらが繋がる。と思う。捨てることはなくなることじゃない

大学卒業後の進路のはなし

林業もパン屋も廃業しても、それらが将来のなにかに繋がる日が来る。悔しい気持ちをいつまでも引きずらないで、ポジティブに前向きに、また次の何かを極めるタイミングが来たと捉える。人生、そんなもんですな。おつかれ自分


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