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2月13日 未来会議のトークイベント「MIRAI TALK NIGHT ~MIRAI BAR~」

2月13日は未来会議のトークイベント「MIRAI TALK NIGHT ~MIRAI BAR~」
に参加してきた。
今回の第二回は相馬双葉漁業協同組合富熊地区代表 石井宏和さんがゲスト。
興味深い話をじっくり聞くことができた。

その時のメモ

小さいころ

魚料理が毎日出ていた。あまり魚が好きじゃなかった。常におかずの盛りが大盛りだった。魚が食べ切れないので次の日にまた同じ料理。嫌いになる。家は港から2キロくらいの距離。時間は不規則。ひいおばあちゃんに育てられた。ひいおばあちゃんか好きだった。両親はもちろんお祖母ちゃんは仕事だった。富岡町は小学校から高校に入るまで、ずっと同じメンバー。バレー部だった。小学校の時はソフトボールやっていた。不良ではなかった。

進路を選ぶ

小名浜水産高校をなんとなく選ぶ。長男だから家業を継ぐと思っていた。漁業科に入った。なんとなく自身がなく、諦めた子だった。モテない。大人しかった。今は海星高校に変わっている。
専攻科 一年間3回遠洋航海。毎回帯同。一回で2、3ヶ月。一度の航海で行きと帰りで生徒たちの雰囲気が変わって帰ってくる。
進学した。
中学生の頃は成績は普通。高校に入ったら一躍優等性になった。格が上がった(笑)。
なので、専攻科に行かざるを得なかった。

卒業後

家業の漁師を継いだ。
祖父は喜んでくれた!父は婿養子。自分は初めての男子。漁船で一年間船酔いで苦しんだ。
漁師になってから。朝2時起き、戻りが次の日の夕方。周りはみんな遊んでいたので一緒に遊んでいた。寝不足なので父に甘えていた。12時まで遊んでいて2時に出港など。
27歳に船を任されるようになって責任感を感じるようになった。時代的に採算が合わなくなってきていた。やりがいを感じることができなかった。
燃料費が高い。魚が安値。沿岸漁業は後退していた。同年代の漁師は富岡町にはそんなにいなかった。久之浜港を拠点にしていたが久之浜にも同年代がいなかった。親に頼ってたので危機感がなかった。
祖父が小さい船で釣り船をやっていてそれがだんだん楽しくなってきていた。釣船は副業。祖父の帯同だったが、自分が舵を取っていた。お客さんの喜ぶ顔がやりがいを感じた。
親に本気で釣船をやりたいと話をした。親も同意して底引き網漁から釣船に切替えた。家族は賛成。親戚は難色を示していた。底引き船を釣船に。27歳の時。
釣船の船長はスナックのママのようだ。何をしてきたか?お客さんを楽しませるためにはどうしたら良いのか?常に考えていた。新規のお客さんには声を掛けて、指導したり、常連のお客さんにも助けてもらって和やかな雰囲気作りを心がけていた。いかに楽しい雰囲気を作るか。

奥さんと

26歳くらい。町のお祭りで知り合った。自分から声をかけた。近所のこの友達だった。付き合って5年で結婚した。釣船やって自信がついてきた。なかなか結婚することが出来なかった。32歳位で結婚した。2009年。

震災の話。。

震災が起きた時、漁港にいた。
船を出すか出さないか?一旦家に戻り家族の無事を確認して自分の船を沖に出した。15時過ぎに船を出した。船をなくしたら商売が出来ない。当時、富岡には9隻の船。助かったのは自分の船だけ。家族が無事だったから次に何を守るか?船を守る。
台風の波を想像しながらいた。その前のチリ沖地震を経験していた。

津波が来たらば沖に出せ

言い伝えてあった船を守る知恵。

沖合10キロまで行った。結果的に2晩過ごした。海の上ではラジオ情報、たまに繋がった携帯。海の上から津波が到達するのを見ていた。陸が真っ白に霞んだ。海の上は凪。ヒョウが降った。気持ちの悪い天気だった。
船の上で一人。きつかった。

震災後

娘が亡くなってしまった。自分を恨んだ。自分を責めた。その場から居なくなりたい。なぜ船を守ったのか分からない。
その後の情報として原発の危機。いっそのこと爆発して欲しかった。何もかもなくなって欲しかった。
妻は津波にのまれて共立病院に入院。船の仕事はしたくなかった。一年以上は海に触れたくなかった。別な仕事につくことも考えた。

なぜ自分が生かされたのか?なぜ船が残ったか?
船を捨てて他の仕事につくということは割り切れなかった。
調査の依頼で事故後初めて自分の船に乗った時に、、ここが自分の場所だと感じた。
新たに娘が生まれた。石井家や夫婦にとっておおきな喜びだった。神が与えた試練を乗越えるなんてない。結局前に行くしかない!

自分たちができることは限られている。汚染された。今後どうしたら。。調査目的で船を出すことしかなかった。ものすごくストレスたまる。つまらない仕事。釣れない。今までの仕事と全然違う。生活のために調査のために船を出している。

沿岸漁業をしている漁師さんを眺めて。最近は週一回の操業で気分転換になっているようだ。やりがいは低いと思う。漁業の復興のためには仕方がない。欲がもっともっと出てくる。

うみラボについて

うみラボを始めた。国、県、電力の情報発信に信憑性を感じられなく思った。実際に体験を通じて情報発信していく。
うみラボは必要。
釣船の頃とは違うが一般の人に乗ってもらって釣りをしてもらっているので楽しい。

原発の汚染水問題

汚染水タンク、バイパス、汚染水の漏洩。
毎回判断を求められる。漁業者に責任を押し付けているように感じる。いまいち納得できない。漁業者を通して欲しいとも思う。
一般向けの説明会は平日開催した。既成事実を作っているようにしか思えない。

地下水バイパス2015年5月
地下水は汚染水ではない。流すべきだ。数値が高い。それは地下水なのか?と質問したことがある。低濃度の汚染水のではないかと聞いたことがある。
汚染水ではない。
漁業者が了承しないと汚染水が溜まっていっていまう、、これはまるで脅迫のようなもの。

海へのイメージは回復しているのか?

海にどこまで関心があるのか?分からない。危険と思っている人の方が関心があるのでは。
廃炉は早くしてもらいたい、汚染水対策を早くしてもらいたい。だが感情的には流して欲しくないとも思う。

報道の仕方

漏れた事実だけが一人歩き。量は大したことがない。
数値的に安全だとしても原発の目の前で取れた魚は食べづらいと感じる。受け入れられるまではまだまだ時間がかかると覚悟している。
実際に海ラボで釣りをして、ヒラメ、アイナメ、メバル釣れた時。獲物を食べたくなってしまう。うみラボは釣らせて没収。アクアマリンふくしまでの数値データは下回っている。建前上、食べさせるわけに行かない。

生態系が変わったと言われている

原発の近くではフジツボ減ってる。魚の分布が変わってきている。今後うみラボで調査していくテーマ。

日本の漁業が衰退。

世界の成功事例に習って、持続可能な儲かる漁業のモデルケースになれたらと思っている。
漁業者は狩猟民族!なかなか規制は難しいかも。。
儲かる漁業のやり方が、資源管理に繋がると提案していきたい。
具体的には分からないが、今の試験操業のやり方は最初の資源管理のベースになるのではないか。

福島県の漁業者の後継者。未来は不安。新規参入についても考えて行かなければならない。
それまでは200種類。福島の魚というブランドがない。ある意味漁獲量が少ないのがブランドではないのか。

いかに福島の魚が魅力的か考えて行く。


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