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3月25日 未来会議のトークイベント「MIRAI TALK NIGHT ~MIRAI BAR~」

3月25日は未来会議のトークイベント「MIRAI TALK NIGHT ~MIRAI BAR~」に参加してきた。  #‎ミライバー
今回の第三回は原子力災害避難者支援及び市民運動活性化に携わ る梅村武之さんがゲスト。
その時のメモ(あまりまとまっていません!):

うめちゃん県外から

支援でいろんな方が来ている。震災以降県外から来ている。
出身京都、休学中人力車、東山あたり。
人力車で日本一周の手伝いなどをした。
震災前、人力車をやっていた。
震災後、岩手に行ったのは人力車が縁。
震災当時、美術の業者。京都の博物館、たいしてゆれなかった。テレビ見てビックリした。

なぜ岩手へ?

震災がゴジラのようなイメージを感じた。
小学生4の時阪神淡路大震災。ボーイスカウト。小さかったのでボランティアに行けなくて悔しかった。関西は人事な空気だった。
3月25日に仕事をやめた。休職は考えてなかった。地元に戻る気持ちはなかった。無茶した。勢いだった。
自分が生き長らえること。
災害で簡単に壊れると大変な人が生まれた。
岩手でNPOに知合う、人力車仲間と繋がっていた。岩手県庁で山田町?沿岸見た。

どんな活動?

山田町役場でボランティアセンターを作る。遺体の移動。除染、掃除して、ボランティアセンターを設置。遺体の移動などの仕事について自分もイケイケだったので、あまりショックを感じなかった。津波のあとは街というより自然を感じた。
3週間ボラセンの立ち上げをやった。
入れ替わりの社協の入替えのシステムを作る。基盤整備をしていた。
自衛隊が撤退。NPOが支援センターのセンター長を務めた。8月末まで務めた。
辛い時間の心のバランスは取れてなかった。ひたすらイケイケだった。仲間とご飯食べて息抜き。隣町まで行かないと店がない。焼き鳥が涙がでるほど美味かった。

当時の雰囲気

災害は範囲。役場とのやり方はスムーズ。ただ粛々とやるだけ。山田町民はオープン、ラテンな感じ。明るい感じ。
毎日海に潜って遺体の捜索。ヘリで捜索。
ボランティアの勉強。元消防、元自衛隊、いろいろ勉強した。
ずっと状況が変わり続けるのが災害。
2012年9月まで岩手のNPOにいた。
被災者による被災者支援をするチーム。ダイビングのチームで捜索をやっていた。
時間が経ってくるとなかなか見つからない。
探すことが肉親を支えている。自分が辞めることで捜索活動が終了。
組織的に将来性が危ないと思ったので身を引いた。
NPOの組織の代表は逮捕されて裁判で裁かれた。(NPO法人「大雪りばぁねっと。)
良い行いをしても一つの犯罪ですべて否定される。真っ黒にされてしまった。ものすごく大きな体験。

なんで事件になったか?

会計処理が弱かった。説明できない処理。
ダメだと言い続ける側近がいなかった。
自分は言い続けられなかった。手に負えなくなってしまった。

NGOへ

その後、京都へ戻る。国際協力NGO NICCOに採用された。2013年3月まで京都。2014年3月までは気仙沼にいた。
老舗のNGO。
災害支援のスペシャリストになりたい。
気仙沼の唐桑地区にいて気仙沼と陸前高田の支援。メンタルヘルスの支援。
心のキズは時間が経ったほうが深い。
漁具
カタールフレンドシップ基金。
4人でやっていた。
国際協力NGOとしての判断として東北のサービスを3年でひく。ソマリア、シリアに軸足を移す。世界を見た時に切迫した場所へ。
自分はまだ違うと思い、双葉郡の支援をする一般社団法人 RCFに入る。
双葉郡は何も終わってない。

福島県へ

大熊町2014年6月
いわき市にきた。
分散避難した人のコミュニティの復活。
大熊町11500人未だに避難生活。好間にある大熊町役場出張所、いわきに人口の半数が住んでいる。住民の集まりを作り組織化する。
今は大熊町いわき会がてきている。
自分達で自分たちの集まりを作る。
交流会を通してチームを作っていく。分散避難の難しさ。
ヒヤリング。対話をする。
大熊町の人で多かった話。誰がどこにいるかがわからない。近所の人がどこにいるのか?
新しい関係性を作っていく必要性。
新しくここで生きていくという人もいた。
もう引っ越しがない人達がつながり合う。新しい関係を作る。

岩手県と違うところ

岩手宮城はもとの街に住めている。地域を作り直しやすい。大熊町は違った。
つなぎ直すコーディネートとしては同じだった。
大熊町の人は周りを気にする人が多い印象がある。
避難してきて自分たちとは異質な周りだからかどうか。
意見を引き出すのが
分散避難=価値観の孤立
共感が出来ない。
価値観の孤立はなかなか解消されない。
とにかく話す。いろんな方たちと対話ができるといいなあ。
いわきは色んな価値観があるからこそ対話。
自分は当事者ではない。
共感はできるけど共有はできない。
自分が来たことで風通しが良くなったかも。

今後の大熊の人に思うこと。

イメージできない。
双葉郡未来会議を見ててもわかるのは、双葉、大熊は特殊。
子供は自分の人生を歩む上で地元の占めるウェイトは。。
浪江、富岡がモデルケースを作って元気づける。
故郷がかがやかしいものとなる。
根岸(今回の聞き手 新聞記者)
大熊町給食センター。綺麗な大熊町の線量が低い地域にある。好間の仮設から大熊町の給食センターで働く。
地元で働く喜びを感じる。まず人が戻る。そうすればこの地域が忘れられることはない。


地元愛が大事。

役場の方との一緒に仕事をして。
いろんな人がいる。みんな疲れてます。それはしょうがない。省エネモードになっている。そこは尊重してあげたい。
官民連携を大熊町のケースでやりたかった。
委託事業の上下関係が出来てしまう。
大事にしている10個
いかなる支援もいかなる政治的なことに左右されない。
人材を育てる難しさ。
人材が少ない。ノウハウがない人が入ると趣味趣向が入ってしまう。
自分の想像できないことを常に考える。
地域の人とモノをできるだけ活かすプログラムを作る。伴走する視点とスキルが必要。
3月で大熊支援を終了する。
地域の事は空いた時間に費やす。富岡町の鳥藤本店に就職する。まちづくりや対話の活動をする。
富岡に仕事を増やす仕事をする。


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未来会議のトークイベント ミライバー

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