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「ただ創る」という言葉の奥深さ

「四谷シモン」という人物をご存じだろうか。

人形作家で俳優。
何処で彼を知ったのか全く覚えていない。アングラ演劇を調べていた時に澁澤龍彦の流れから知ったのか、それとも球体関節人形を調べていた時に巡り合ったのか、はたまた別の流れなのか……全く覚えていないが何故か知っている。

そんな私にとっては不思議な存在の四谷シモンですが、
彼の人形館が香川県坂出市にある事を知っている人はどれだけいるのだろうか。

これを初めて知った時は、全くもって意味がわからなかった。
何故に香川県?何故に坂出市?と疑問に感じていた。
どんな理由だったかはっきりとは覚えていないけれど、確か坂出市が「ゆかりの地」という訳でもないが、確か当時のオーナーが買い集めた、という理由だったはず。
でも、そのおかげで、もしかしたら一生見る事ができなかったかもしれない四谷シモンの人形を間近に感じる事ができている。

私も何度か訪れたことがある。

基本的には人はあまりいないので、とても静かでゆっくりとした時間が流れている。
建物も昭和11年に建築された「淡翁荘」という、鉄筋コンクリートの2階建て。
外観はモダンな感じだが、中は洋風で調度品ひとつひとつに拘りを感じられる。
建築された当初から、ここに人形たちが住まう未来が見えていたように。

さて、そんな近くて遠い存在だった四谷シモンさんですが、2018年に坂出市で講演をしてくれる、という事を聞きつけました。
もちろん、速攻でチケットを取って見に行きました。

色んなお話を聞けたのですが、その中でも特に印象に残っていた言葉を、ふと、思い出した。

参加者から「どういう思いで人形を創っているのか?」という質問があった。
それに対して「ただ創る」という意味合いの返答だった。

その返答を聞いた時に私の頭の中は「?」が無数に浮かんでいた。
質問に対しての答えになっていないのではないか?
多分、同じような反応を示した参加者の方がたくさんいたのだと思う。
その雰囲気を察したのか、もう少し丁寧に説明をしてくださったのだが、やっぱり理解ができなかった。

その時は「やっぱり天才って考えている事が違うんだな。すげーや」という、何だかとっても馬鹿っぽい感想を抱いていた。

その後、その「ただ創る」という言葉を思い出すことはなかった。
心の片隅には残っている言葉だったが、特別に意識する事もなかった。

そんな中、月日が流れて、最近になって「あ、こういうことなのか?」と思った。

少し前から「瞑想」に興味があって、その中で「見えない世界」とか「見えない力」等にも興味の範囲を広げていっている。
凄くスピっている感じがするかもしれないし、私も自分で「あー、スピってんなぁ」と思う。
でも、最近、それが顕著になってきただけで、実は前々から自分の興味の奥底に眠っていたモノが引っ張り出されているだけだなのだ。
でも、やっぱりスピリチュアルな感覚って理解されない怖さもあったし、逆に過剰にそっち側に偏りそうで、極力、避けて通ってきた。
でも、やっぱり自分で日常に少しずつ取り入れるようになったり、本を読んだりするの中で段々と見過ごせなくなってきたのだろう。
だから、この言葉が引っ張り出されたのかもしれない。

こうやって書いているが、何もまとまらない。
まとまらないが、繋がりそうな感覚はある。

「マインドフルネス」とか「ゾーン」とか、その辺りの気がする。
何かに過剰に集中している時に有意識ではない何かが引っ張り出されてくる感覚なのかな?と思う。

彼の人形制作の過程は「自分先行」ではなくて「人形との対話」から生まれてくるものなのかもしれない。

私は「実物を創る」という芸術とは向き合ってこなかったので、実感を伴って理解していないので、表面的なふわふわした想像上の理解しかないけれど……。

わからない。
わからないけれど、ふと思い出したので、記録しておこうと思って記事を書いてみました。

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