【勝海舟】明石藩舞子台場跡(舞子砲台跡) ・幕末の石垣護岸が現役!
ご好評いただいております(?)、神戸観光・ちょいと足のばしシリーズw
今回も最寄り駅は「橋の科学館」や「舞子公園の松林」と同じく、
三ノ宮駅からJR神戸線の快速電車で21分の 舞子駅。
舞子駅から海側へ、歩道橋経由で300mほど。
舞子公園の西のはずれの海辺にあるのが、
明石藩舞子台場跡(舞子砲台跡)。
せっかくの風光明媚な明石海峡なのに、この日はどんよりで残念…
明石藩舞子台場跡(舞子砲台跡)は、
幕末に勝麟太郎(勝海舟)の指導のもと明石藩が造った砲台場の跡。
近年の発掘調査で、
今も活躍中の海岸護岸が なんと明石藩舞子台場(舞子砲台)築造当時の石垣であることが判明!
この石垣ね。
勝海舟設計の石垣が、護岸として現役活躍中!
2003年からの発掘調査で貴重なものであると分かったことで、
2007年に国の史跡として登録。
護岸以外にも、石垣の上部が見えるところも。
台場跡のその他の部分は、
発掘調査の後に埋め戻されて「現地地下保存」されているとのこと。
公園として整備され、
大砲風のベンチが設置されていますよ。
前から疑問なのが、この構造物。
もちろん江戸時代のものではありませんが、かなり古そう。
ここ明石藩舞子台場跡は、
発掘調査で全貌が判明して国史跡になる前から「舞子砲台跡」として地元では親しまれてきた場所なので、
その昔(昭和?)に雰囲気づくりに造られたものかな???
ちなみに、
現在この地は 今は神戸市(垂水区)ですが、昔は「明石」藩(藩庁は明石城)だったんですね。(明石郡垂水町を経て1941年に神戸市に編入したようです)
なお写真左奥には現代の「明石」市(神戸の西隣の市)が見えています。
以上、
幕末の石垣が現役活躍中の、明石藩舞子台場跡のお話でした!
Googleマップを貼っておきますね。
最後までお読みいただき ありがとうございます。
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