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言葉を紡ぐことの意味

スマホを開ければ、テレビを点ければ流れてくる、刹那的な犯罪や陰惨なニュースの数々。

自宅に居ても、昼夜問わずパトカーのサイレンの音を聞くことが多くなったのは気のせいではなさそう。ふと今から30数年前、旅行先のNYで眠れず一晩中パトカーの音を聞いていたことを思い出す…今や日本の治安は当時のNYと変わらないのでは。

なんだか物騒で世知辛い世の中になってしまった。

もともと日本人は思いやり深く義理人情に厚い国民だったはず。それがどうしてこんな風になってしまったのだろう。


最近、どこもかしこも思いやりが欠けてきたように感じます。

犯罪とまで行かなくても、特にネット上であまりにも苛辣な言葉での他者攻撃や批判が多く、心が痛みます。

そして世相を映し出す新語、ネットスラングの濫用。ウィットに富んでいたり言い得て妙なのはいいとして、意味をよく吟味せず安易に使ってしまうことで心が荒むことに繋がるのでは、と思うのは考えすぎでしょうか。

たとえばSNSでよく目にする『親ガチャ』『老害』『搾取』。対個人というよりは主に社会や体制、特定の敵対勢力などを攻撃する時に使いますね。

なるほど、一見便利な慣用句です。それらの言葉で都合の悪いことや気に食わない人を十束一絡げに悪者にし、糾弾できるのですから。しかも自分の意見としてではなく「民意」という事にして。

曰く『老害は排除せよ』『親ガチャだから頑張っても意味ない』『搾取されているから手取りも休みも少ない』

この表現からは思慮も思いやりも感じられません。そしてそんな言葉が時に刃となり攻撃し合い、お互い傷つけ合ってしまうことに。

自分で考え言葉を選ぶ事を放棄してしまった先には、労りや慈しみの気持ちが入り込む余地もない――


と言っている私自身、じつはそんなチープな言葉の罠にどっぷり嵌まってしまったひとりなのです。

コロナ禍で仕事量が増えストレスも溜まっていたある時、SNSで私と同じ介護士のこんな主張が目に留まりました。

「本業は派遣で、副業を持つ。それが搾取されない働き方」

度々繰り返されるそのプロパガンダに心が揺らぎます。聞けば聞くほど、自分は『搾取』されているのかなと。なんだか正社員でたくさん残業して働いているのが馬鹿らしくなり、仕事に真摯に打ち込めなくなってしまったのでした。


今思うと、あの時は本当に心に余裕が無かった、のを通り越して追い詰められていた。でも今はやっと落ち着いて、当時を振り返ることができるようになりました。

自戒の念を込めて、これからはせめて言葉を大切にしたい。少しでも「いい言葉」を紡ぎたい。


ちょっとした言葉の掛け方選び方ひとつで、良くも悪くもなる。そして、言葉に救われる命もある。

失業してから、いろんな人の温かい言葉に助けられてきました。

だから、今度は私が助ける側になれたらいいな。

一人ひとりがちょっとずつ変わることで、いい連鎖が生まれるように、

私はまず言葉から変えていきます。



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