見出し画像

二級ウイスキー原酒の調達先は? そして一升瓶ウイスキーの正体とは?? 《一升瓶ウイスキー⑤》

■前回までのおさらい

◇昭和の地ウイスキー=一升瓶ウイスキー

①1973年をピークに日本酒が売れなくなってしまったから、日本酒の酒蔵がウイスキー製造に参入した。
(第二次大戦後、日本酒には醸造用アルコールを添加することが一般的になっていたので、酒蔵にとって、スピリッツの取り扱いはお手のものだった)

②既存の一升瓶のボトリング設備を活用したので、「一升瓶入ったウイスキー」という特殊な形態のウイスキーが誕生した。
(酒蔵による地ウイスキーは、低価格戦略をとった商品が多く、ほとんどが二級ウイスキーだった)

◇二級ウイスキーの中味

①10%ちょっと ウイスキー原酒
  +
②90%近く スピリッツ
 「自社製造の醸造用アルコール」
       or
  「スピリッツメーカーから購入」

この「二級ウイスキー」の説明と、「ボトリング設備は高いよ!」というところまでが、前回のお話です。

そして、一升瓶ウイスキーの属していた二級ウイスキーについて、掘り下げてみたいと思います!


■二級ウイスキーのウイスキー原酒の調達先って?

◇二級ウイスキーの10%ちょっとのウイスキー原酒の調達方法

①    自社製造(ポットスチル)
  → 本格的なモルト原酒づくり

②    自社製造(連続式蒸溜機)
  → 日本酒に添加するための醸造用アルコールを製造する連続式蒸溜機を活用してグレーン原酒づくり

③    他社から購入

③他社から購入の場合、ウイスキーの売上がうなぎ上りでウイスキー原酒に余裕がなかった国内大手メーカーからは購入ができなかったでしょうから、どのように調達したのでしょうか?

《Q》 一升瓶ウイスキー時代の、二級ウイスキーのウイスキー原酒の調達先は?

《A》 スコッチ・モルト原酒を輸入。

これは、日本の酒税法における「ウイスキー」の定義にウイスキー原酒の国産・輸入の区別がないため、輸入ウイスキー原酒を使用しても、国産ウイスキーとして、販売が可能だからです。

日本の酒税法ではこのような「ウイスキー」の定義となっているため、当時の二級ウイスキーでは、以下のスペックもかなり存在したのではないかと思います。

◇二級ウイスキーの中味

①10%ちょっと 輸入スコッチのモルト原酒
  +
②90%近く スピリッツ

つまり、日本で製造されたウイスキー原酒は入っていなかった二級ウイスキーも存在したと邪推できるのです。

一方で、輸入ウイスキー原酒に自社製造のモルトウイスキー原酒をブレンドして、二級ウイスキーをつくっていた酒蔵もありました。
(現在は安積蒸溜所を運営する笹の川酒造など※1)
※1 ウイスキーライジング P208 ステファン・ヴァン・エイケン(小学館)


◾️日本のウイスキー業界の対応

この「日本国産原酒が入っていなくても、日本国産ウイスキーを名乗ることができる問題」はウイスキーの等級制度がなくなって現在でも、酒税法上は同様の状況です。

これではやはり問題が生じるため、それを解消するため、2021年に日本洋酒酒造組合が「ジャパニーズウイスキーの定義」を定めました。
この定義では、「ジャパニーズウイスキー」と名乗る際には、日本国産原酒100%を指定しています。

ただ、法律ではなく組合の内規ですし、「ジャパニーズウイスキー」と名乗る際の定義のため、いまだに日本国内では、輸入ウイスキー原酒のみを使用していても『日本国産ウイスキー』と名乗って販売することが可能です。


■スコッチ業界の原酒売買

歴史的にスコッチ・ウイスキー業界では、ウイスキー原酒の売買が行われて来ました。今も行われています。
これは、農民のお酒としてのウイスキーが流通し、ブレンデット・ウイスキーが発明される歴史的な流れの中で、自然と誕生した商慣習です。

色々な味わいの原酒を、色々な蒸溜所から買いつけて、目指す味わいにブレンドして仕上げるというのが当たり前のスコッチ・ウイスキーの製造工程なのです。

このように原酒売買の商慣習のあるスコッチのウイスキー原酒ですが、「昭和の地ウイスキー=一升瓶ウイスキー」が台頭した、1970~80年代には、困った状況に置かれていました。


■スコッチ不況

第二次大戦後、スコッチ・ウイスキーはその生産量を徐々に回復し、新規の蒸溜所が開設されました。
しかし、1970年代に入ると、「原酒在庫が過剰に積みあがった」のに加え、若者の「スコッチ・ウイスキー離れ」が進みます。

こうして、スコットランドには、行き場を失ったウイスキー原酒の在庫がダブつくようになります。

スコッチ・ウイスキー業界の苦境を伝える一例としては、1984年、日本企業としては初めて宝焼酎と大倉商事が共同で、一時は世界最大クラスのモルト原酒の生産量を誇ったトマーティン蒸溜所を買収しました。
それくらいスコッチ・ウイスキー業界は苦境でした。対する日本のウイスキー業界は超右肩上がりで、原酒不足だったのです。

そして、コッチ・ウイスキー業界の苦境を伝えるもう一つの例としては、

「新しい樽を買うより、ウイスキーの入った樽をスコットランドから買うという方が安く済む」

ウイスキーライジング P208
ステファン・ヴァン・エイケン(小学館)

という状況があったそうです。

このように

・スコッチ不況で、
  ダブつく原酒を売りたいスコッチ業界。

・ウイスキー景気で、
  ウイスキー原酒の足りない日本の洋酒業界。

両者の思惑が一致し、スコッチのモルト原酒が大量に日本へ輸入されたのです。


■一升瓶ウイスキーの正体

一升瓶ウイスキー誕生の背景を、あらためてまとめてみたいと思います。

・1973年をピークに日本酒が売れなくなってしまったから、日本酒の酒蔵がウイスキー製造に参入。

・日本の酒税法上、ウイスキー原酒10%以上と、スピリッツ90%近くをブレンドすれば、二級ウイスキーとして販売できた。スピリッツの扱いやブレンドは、醸造用アルコールを扱っていた酒蔵にとってお手のもの。

・ウイスキー原酒づくりは得意ではなかったが、スコッチ不況で良質のスコッチのモルト原酒を安価で入手できた。

・ウイスキー原酒とスピリッツをブレンド後は、既存の一升瓶のボトリング設備を活用して充填したので「一升瓶ウイスキー」が誕生。

・主に低価格戦略をとっていたので、輸送コストを下げるため、酒蔵の近場でのみ販売していたので、「地ウイスキー」とも呼ばれるようになった。(当時は地酒ブームだったので、そこからのネーミング)

なかなか興味深い流れです。


■一升瓶ウイスキーの終焉

次回へ続きます!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?