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《アメリカ禁酒法時代》 海の上の『酒屋通り』

■禁酒法下のアメリカで好まれたお酒

前回からの続きです。

ヤツは本物の酒を持って来る、本物の漢(おとこ)だ! マッコイ船長 《カティサーク④》 | 記事編集 | note

ビールは、密輸するにもアルコール度数が低くてかさばりますから、密輸されるお酒は「ラム」「ウイスキー」などの蒸溜酒が多かったそうです。

そして、

◇一般庶民 = ラム
◇お金持ち = ウイスキー

が、好まれたようです。

ちなみに、イギリス海軍で支給されていたお酒も、こんな↓感じでした。

◇水兵 = ラム
◇将校 = ジン

これからもわかるように、ラムは西インド諸島から「三角貿易」によって持ち込まれる『安価なお酒』=『庶民のお酒』でした。

話が少し逸れましたが、今回はアメリカ禁酒法時代における、ラムをはじめとした『お酒』の密輸ルートについて紹介してみたいと思います。


■禁酒法下のアメリカに持ち込まれる『お酒の2大ルート』

お酒の生産国によって、アメリカに密輸入されるお酒は、大きく2つのルートがあったようです。

◇ラム
カリブ海諸国で生産されたラムを、
 → アメリカの東海岸に陸揚げして密輸


◇ウイスキー / ジン
スコッチ・ウイスキーや、
ロンドン・ドライジンを、
 → アメリカの東海岸に陸揚げして密輸

カナディアン・ウイスキーを、
 → アメリカの北側の国境から密輸

密輸ルートだけをピックアップすると以下のようになります。

◇密輸の2大ルート

【ルート①】
アメリカ東海岸ルート ⇒ 海上=船

【ルート②】
カナダ国境ルート   ⇒ 陸上=車

今回は、①アメリカ東海岸ルート《海上=船》を、掘り下げて解説してみたいと思います。


■海上の「アメリカ東海岸ルート」のお酒密輸人の一番の有名人は?

答えは、前回の記事でご紹介した「マッコイ船長」です!

◇リアル・マッコイとは?

・マッコイ船長は、まがい物のお酒は扱わず、本物の美味しいお酒のみを密輸。

・その中でも、禁酒法下のアメリカをターゲットに新発売されたカティサークをメインで密輸。

・「マッコイの密輸するお酒は本物だ!」と噂となり、「リアル・マッコイ」というイディオムが『本物の/まがいものではない』という意味をさすようになった。

マッコイ船長は、アメリカ東海岸ルートで、最初はラムを、その後はスコッチ・カティサークを密輸していたわけですが、具体的な密輸の手口を確認してみたいと思います。


■陸地から3マイル離れたら「自由な公海」

1923年にアメリカ禁酒法が施行された時、アメリカの管轄区域は「陸地から3マイルまで」でした。

そのため、国外からアメリカの密輸するためのお酒を積んできた貨物船は、まずは「陸地から3マイル」の外に停泊します。

ここなら、アメリカの手が及ばないからです。

そこに、運び屋小さな船でやって来て、海の上で、お酒をバトンバスするわけです。

いわゆる、今でいう「瀬取り」ですね。

◇瀬取り
洋上において船から船へ船荷を積み替えることを言う。
一般的には親船から小船へ移動の形で行われる。

Wikipedia

瀬取り - Wikipedia

また、この小船での運び屋(お酒密輸業者)は、アメリカのギャングを中心に、地元の漁師たちが小遣い稼ぎのため自分たちの漁船を出して、その役を担っていました。

ちなみに、この小さな密輸船を、
「ラム・ランナー=rum runner=ラムの運び屋」
と呼びました。

それくらい密輸されるお酒の中で、ラムが多かったという証ですね。


■海の上の『酒屋通り』

私の父親の実家の新潟県寺泊には、『魚の市場通り』という人気スポットがあります。

新鮮な魚介類をあつかう魚屋さんが並んでいて、店頭では焼き魚のほか、串にささった焼き魚やイカ、貝なども買い食いできる天国みたいなスポットです!

そして、2階を「海鮮系の定食が食べられるレストラン」にしているお店が多いです。

寺泊魚の市場通り(魚のアメ横)|新潟の観光スポット|【公式】新潟県のおすすめ観光・旅行情報!にいがた観光ナビ (niigata-kankou.or.jp)

私が子供の頃は、『新潟・寺泊のアメ横』という表現だったと思うのですが、最近は『魚の市場通り』という呼び名に統一されているので、大人の事情があるんでしょうね。。

さて、この『魚の市場通り』みたいな、海上の『酒屋通り』と呼ばれた光景が、アメリカ禁酒法時代にありました。

これは、先ほどの話に繋がるのですが、
「アメリカ管轄外=領海外」
 陸から3マイル以上、離れた海域に、

アメリカに密輸する
ラム・ウイスキー・ジン、ワイン・ブランデー
などのお酒を積み込んだ貨物船・客船
をなして停泊している光景

のことを、

『まるで、酒屋通りだ!』

と表現したのです。

その「海の上の酒屋」に、ギャングや漁師が、小さな船でお酒を買いに(瀬取りしに)行くので、本当に酒屋さんみたいなものですね!

ちなみに、この「酒屋通り」は、英語で
「ラム・ロウ = rum row = ラムの列」
と表現しますから、やはり密輸されるお酒は「ラム」が多かったんだと思います!


■一応、領海の範囲を変えてみたものの

アメリカ当局=沿岸警備隊も黙っていたわけではありません。
取り締まりを強化して、高速警備艇やモーターボートで追っかけるわけですが、アメリカの海岸線なんて長くてキリがありません。

陸揚げできるラム・ポイントは数限りなくあって、なかなか捕まえることはできませんでした。

その上、当局としても「陸から3マイル」という短い距離では、ラムランナーを見つける前に陸揚げされてしまうケースが多く、たとえ見つけたとしても、逃げ切られてしまうケースが多くありました。

アメリカ禁酒法が施行された1923年の翌年の1924年、このラムランナー対策のため、従来の4倍の「12マイル」まで、アメリカの管轄区域が広げらました。

ただ、それでも当局側がラムランナーのすべてを取り締まることができたわけではなく、結局、この海上ルートの密輸は、禁酒法撤廃まで続いたようです。


■海からだけではなく

今回は「海上ルート」でのお酒の密輸についてでした。
次回は「陸上ルート」でのお酒の密輸について、ご紹介したいと思います!

◇参考
オンドリのしっぽ 第135回 

第135回 禁酒法領海3マイル攻防 スリー・ミラーズ オンドリのしっぽ | Liqueur & Cocktail | サントリー (suntory.co.jp)

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