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イチローズモルトのマーケットイン思考

■イチローズモルトのすごいところ

前回からの続きで、私が思う「肥土伊知郎さん=秩父蒸溜所=イチローズモルト」のすごいところについてです。

・2008年に蒸溜開始
・ウイスキー氷河期に自らBAR回りで営業
・つくり方が基本に忠実かつ超本格
・クラフトならではの斬新な発想、スピード感ある実現
・ハンパないウイスキー愛
・とにかく実直

今回は「ウイスキー氷河期に自らBAR回りで営業」についての2回目です。
創業者自らひたすらBAR回りの現場力、イチローズモルト!!|チャーリー / ウイスキー日記|note


■マーケットイン思考からはじまっているイチローズモルト

もともと東亜酒造時代からバーテンダーさんからの評価に耳を傾けていた、肥土さん。
初代イチローズモルト600本を売るために、2年間かけて営業に回ったBARが、のべ2,000軒に上るそうです。

この「売れないイチローズモルト」を自分の手で「必死に売った経験」、すなわち三現主義(現場・現物・現実)で得た知識は、セールスマンであり、マーケッターであり、なによりブレンダーである肥土さんの二代目以降の「イチローズモルト」の商品開発に、存分に生かされていると思います。

これは「おいしいウイスキーをつくれば売れるはずだ!」というプロダクトアウト型の思考でなく、「お客様に求められるウイスキーを提供するんだ!」というマーケットイン型の思考なのだ思います。


■マーケットイン思考で大逆転「サントリー角瓶」

実は、日本で国産ウイスキーが根付くキッカケとなった商品、1937年発売「サントリー角瓶」も、同様にマーケットイン型で生まれた商品と言えます。

サントリーの創業者:鳥井信治郎と、初代山崎工場長:竹鶴政孝は、1929年に国産第1号ウイスキー「サントリー白札(今のホワイト)」を、本場スコッチウイスキーに負けない国産ウイスキーとして、大々的に発売します。

しかし、「焦げくさい」「煙くさい」と散々な評価をもらいます。
これは、白札は「良いものをつくったから売れるはずだ!」というプロダクトアウト型の商品開発だったので、軌道に乗らなかった側面があると思います。
それまで日本人は、国産ウイスキーなんて飲んだことなかったので仕方ないと言えば、仕方ないのですが・・・

ここで、のちに「大阪の鼻」と呼ばれることになる名ブレンダー鳥井は、山崎工場に泊まり込み、原酒の改良とブレンドに没頭します。
そして、鳥井さんは料亭の宴会などに自らウイスキーを持参しては、客に注いでまわりお客の意見を聞き、それをブレンドに生かします。
まさにマーケットインの思考だと思います。

一方で「商売の天才」鳥井は宴会では、味の評価を聞くだけでなく、自社の国産ウイスキーの宣伝にも努めました。ちゃっかりしていますね!

ブレンドを追求する間、1931年には資金ショートで年間を通して原酒の仕込みができなくなる年も経験し、また1934年3月には10年契約を満了した竹鶴さんが退社し、鳥井さんにとって苦しい時期が続きます。

一方で、売れ行き低迷により原酒の熟成が進むとともに、妥協を排し、日本のスコッチ通の利き酒名人の3人に試作品ができるたびに品評してもらっていたところ、やっと3人ともがOKを出した商品が完成します。

それが1937年発売「サントリー角瓶」(当時は12年もの)です。
初めて日本人に受け入れられたウイスキーである角瓶は、マーケットイン思考で開発され、発売から80年以上たった今も、国産ウイスキーの販売量No.1を誇ります。


■初代角瓶の神秘

1937年に12年もの初代角瓶を発売しました。
逆算すると、1924年・1925年に蒸溜したウイスキー原酒を使っていることになります。
ということは、基本的には1929年に国産ウイスキー第1号として発売し、味の評判が良くなかった「白札」と同じウイスキー原酒を使っているわけです。
それが「長期熟成」を経て、「マーケットイン思考」の商品開発、「大阪の鼻」鳥井のブレンドによって、当時の日本人に受け入れられる味わいに仕上がったわけです。

マーケットイン思考の重要性とともに、ウイスキーという商品のもつ神秘性を感じる逸話だと思います!


■売れないものを売ることで鍛えられる力

話を戻します。
放っておいても「売れる商品」を売るセールスマンと、「売れない商品」を売るセールスマンでは、しばらくすると『営業力』に大きな差が生まれます。
「放っておいたら売れない」のでセールスマンは、「どうやったら売れるか」を考え抜きます。その結果、売れる思考・クセがつき、強いセールスマンとなります。
逆に、「売れない商品を売るのがセールスマンだ」と表現することもできます。

一方で、売れていない商品を、どのようにしらた「売れる商品」にブラッシュアップできるのか?を悩み抜き、試行錯誤の末に商品開発をする「つくり手」も、鍛えられているので強いです。

肥土さんは、セールスマンとして、つくり手として、そしてマーケッターとしても、一番ウイスキーが売れない時代に、BARの現場で、バーテンダーさんたちに揉まれました。
そりゃ、強いわけです!

厳しい時代に、大変な苦労をされているわけですが、その貴重な実体験を通じて、感性が磨かれ、今のイチローズモルトの世界的な名声があるのだと思います。


■勝って兜の緒を締めよ!

サントリーの輿水精一・名誉チーフブレンダーが、3月に行われた「ウイスキーフェスティバル2022in東京」のトークセッションで、ジャパニーズウイスキーについておっしゃっていたことに、ハっとする内容があったので引用したいと思います。

つくれば売れる今は、作り手には危険な時代。品質がいいから売れているのだと誤解してしまいます。これからは、作り手のこだわり、プロとしての矜持が一番大事。だからこそ、自分たちでジャパニーズウイスキーの定義を厳格化したことにも意義があるのです。ただ、日本人のものづくりには、現状に満足せず磨き上げようとする心があるはず。だからそんなに心配してないんですけどね。
ウイスキーガロア JUNE2022  Vol.32 P96
発行:ウイスキー文化研究所

ウイスキーは、1860年にスコットランドでブレンディッド・ウイスキーが誕生した時から、何度も何度も「ブームと低迷期」を繰り返しています。

世界的なウイスキーブーム、そしてジャパニーズウイスキー人気の現在、輿水さんの言葉は大変、示唆に富むものだと感じました。

そして、私も自分事に置き換えて、仕事でもプライベートでも、うまくいっている時こそ「好事魔多し」で、慢心には気を付けたいと思います!


■最後に
今回も話が蛇行しまくりました。すみません。
次回も引き続き、「イチローズモルトのすごいところ」についてです!


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